無気力とは全力で迷いそれだけ気を使っている。ということ。

無気力という心理状態は、私もサラリーマン時代によく感じていた心理状態です。

仕事中に感じるときもありましたが、ゆっくりすごしていいはずの休日の自宅でもなぜか無気力を感じてしまい、どこにも出かけたくない。とにかく静かにしていたい。と、貴重な休日をダラダラゴロゴロとすごしてしまっていました。

そのくせあとになって、「もっとこうしておけばよかった…」と、休日の過ごし方に後悔を感じててしまう…こんな日々を送っていたことを今でも覚えています。

無気力とは、自分の心で迷いや葛藤が活発に巡っている感覚。

さて、無気力とはたしかに嫌な心理状態です。ですが、ただただ嫌がっていても嫌なものは嫌なままですので、ちょっとクールに無気力という心理状態を観察してみましょう。

無気力という心理状態について当時の私が感じていたのは、100&何もしないでいたい!というわけでもない。ということです。

どういうことかと言いますと、確かに、なにもしないで静かにしていたい。という気持ちもあるのですが、同時に、ほんとはいろいろ活動していました。という気持ちもゼロじゃないんだな。ということです。

それは、【頑としてなにもしたくない!なんとしても怠けていたい!】というより、【なにかしたいのだけれどとても慎重になってう優柔不断になってしまう…】と感じていました。

確かに、無気力と聞くと、世の中では怠け者や弱虫みたいに安直に誤解しがちですが、私が感じたのは、私の心のなかに巡るふたつの自分の想いです。

ひとつは、
【ソワソワやドキドキや不安や焦りをただじっと我慢し続けるのは苦しいので、いろいろ活動してすっきりしてきたいと願う自分の気持ち…】

もうひとつは、
【いろいろ活動してかえって失敗したりして今より状況が苦しくなってしまうことはなんとしても避けて安全に現状維持をしていたいと願う自分の気持ち…】

政治の世界や会社なんかでも、改革派と保守派みたいな役割分担がありますが、自分の心のなかにも、新たな活動を起こして心を心地よくしていきたい改革派と新たな活動は避けて心を現状維持していたい保守派と、ふたつの想いがグルグルソワソワドキドキと葛藤を続けている。無気力という心理状態を私なりに捉えた時、このような印象を私は感じました。

無気力とは、なにもできないのではなく、なにかしてみたいけど、やっぱりなにもしないでいたい。ということ。

私は私自身の内面=心に関心を振り向けることで、【期待や焦りといった行動的な気持ち=改革的なわたし】と【不安や恐れさといった慎重な気持ち=保守派的なわたし】のふたつの想いを感じ取っていました。

うらをかえせば、行動的なわたしにも慎重なわたしにも、どちらのもわたしにもそれぞれ言い分があって、行動的なわたしと慎重なわたしと、それぞれの立場のわたしたちの主張が、国会や議会のようにグルグルソワソワドキドキと繰り返されているんだなと感じました。

いわば、私の心が国会議事堂や会議室だとしたら、私の心=国会議事堂や会議室で、行動的なわたしと慎重なわたしがそれぞれの意見を主張し活発に議論している。この状態が迷っている&葛藤しているという状態で、そんな白熱した議論、迷いと葛藤が、長い時間にわたって白熱すればするほど、エネルギーもたくさん消耗しますので、結果、議論=迷いと葛藤が白熱すればするほどエネルギーを消費してしまい、エネルギー不足=無気力という状態になっている。こんな風に私は感じました。

無気力とは、それだけ全力で迷っているという結果。

上記のように、無気力という心理状態を目に見える状況だけ捉えれば、布団にもぐっているだけ…だったボーっとしているだけ…と、なにか怠け者のようなに誤解しがちですが、目に見えない感情や心理を捉えていくことで、目に見えない心のなかでは迷いや葛藤というエネルギッシュな心の働きがグルグルソワソワドキドキとフル回転していて、そのぶん心のエネルギーをたくさん消耗している。ということに私は気づいていきました。

当然のことですが、心理カウンセラーや心理セラピストではない家族や友人や同僚や上司たちといった周りの人たちには、このような私の心の模様がわかるはずもないわけなので、私が内心では懸命に迷ったり葛藤していることを周りの人たちがなかなか気づけなかったのも、何もしていないのに疲れ切っている無気力な私を怠け者のように誤解してしまっていたのも、ある意味、無理のなかったことかもしれないな?と、今の私は思えています。

さて、私がどうであれ、あなたはあなたですね(^-^)私がどうであれ、私が感じたようにあなたも感じなければならないわけでもありません。

なにはともあれ間違いないのは、どうしよう?どうすればいいの?ああしようかな?でもやめようかな?と、あなたが心で全力で迷ってくれいるからこそ、たくさんの心的エネルギーを消費している。ということです。なので、無気力という心理状態は、それだけ、あなたが目に見えない心のなかで全力で迷い葛藤を感じてくれている。=心のエネルギーをたくさん使ってくれている。=気を使ってくれている。ということだと私は思っています。

無気力とは、エネルギーが無くなるまで気を使っている。ということ。

例えば、
携帯電話も目に見えないアプリを使ってたくさん働けば働くほど、そのぶん電池が消費され電池切れになってしまいます。

自動車も目に見えない動力をたくさん使えば使うほど、そのぶんガソリンが消費されガス欠になってしまいます。

それと同じように、
人の心も目に見えない迷いや葛藤を感じれば感じるほど、そのぶん気力が消費され無気力になってしまいます。

無気力という心理状態の説明イラスト

なので、限りある電池を効率的に使えるよう携帯電話の設定を調整してみるように、限りあるガソリンを効率的に使えるよう自動車の整備をしてみるように、限りある気力を効率的に使えるよう心のコンディションを整えてみるのも、ひとつのアイデアなのかもしれません。

今はついつい気を使いすぎて電池切れ=無気力になりがちでも、いつの日か、限りある心的エネルギー=やる気や気力を効率的に使えるように心のコンディションを整えいくお手伝いをさせて頂けると私はとても嬉しく思います(^-^)

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 09時18分--

嫌われる勇気:伝えるは一時の怖さ、隠すのは一生の苦しさ

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。。。なんてことわざがありますね。

自分の知らないことは知らない!と正直にカミングアウトすることは、ことわざの通り、恥ずかしいですし怖いものです。とはいえ、ホントは知らないのに知ったかぶりをしてしまうと、それ以降もズルズルと知ることができないまま、知らないことによって恥をかき続けることになってしまう。

人にバカにされてしまうのではないか?人に失望されてしまうのではないか?人に嫌われてしまうのではないか?という怖さをモヤモヤグルグルと感じるなかで、「知らないことは知らない!教えてください!」と、ありのまま正直にカミングアウトすることは、とても勇気を必要とすることです。そして、このときの「知らないことは知らない!教えてください!」と、ありのまま正直にカミングアウトしようとする勇気を、アドラーの言う【嫌われる勇気】というのだろうなと私は思います。

【嫌われる勇気】を感じるタイミングは、得てして人がついつい目を背けたくなったり、人がついついごまかして逃げてしまいたくなりがちな大切なシーンに感じることが多いものですね。でもだからこそ、【嫌われる勇気】はとても価値のある感情なのでしょうし、実行することで怖さや恥ずかしさといった恐れを和らげてくれて、そのぶん、自分自身の心の自由度をより一層に高めてくれる大きなチャンスでもあるわけですね。

嫌われる勇気:伝えるは一時の怖さ、隠すのは一生の苦しさ

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、好きな人へ好きだ!と、正直な気持ちを勇気を出して教えてあげられたとき。。。

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、嫌なことは嫌だ!と、意地悪な友人に勇気を出して言えたとき。。。

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、無理なことは無理だ!と、理不尽に甘えてくる上司や両親に勇気を出して言えたとき。。。

嬉しいときは嬉しいよ。ありがたいときはありがとう。と、いつもそばにいてくれる大切な人に、恥ずかしながら怖がりながらも、正直な気持ちを勇気を出して教えてあげられたとき。。。

相手はどう思うか?相手にどう思われるか?=相手の気持ちはわかりようがないので、【嫌われる勇気】を実行するにはとても怖くて当然なのだけれども、【嫌われる勇気】を実行してみると、少なくとも自分が自分の気持ちに正直になれたことで、自分で自分の心をほっと少しだけ軽くしてあげられるのかもしれません。

やらずに後悔をするよりやって後悔したほうがいい。。。なんて言葉もありますが、なにも言わずに後悔を続けるよりも言って後悔したほうが、未来の自分の荷物を少なくしてあげられるのかもしれませんね。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時53分--

嫌われる勇気:はじめてのおつかい

嫌われる勇気という言葉をご存知ですか?

嫌われる勇気は、家族療法で知られるアドラーの言葉です。

最近、カウンセリング&セラピーを共有させて頂いたクライアントさんからこんな言葉をよく聞かせて頂くようになりました。

さっき寺井さんがお話してくれたことが嫌われる勇気なんですね。

今日のセラピーで実感したことを嫌われる勇気って言うんだな。

くわえて、先日たまたま書店で『嫌われる勇気』という本をチラッと見かけて驚きを感じるともにとても嬉しくもありました。

しばらく前は、一般の方=特に日本人には誤解されやすい価値観だなと私は思っていましたが、こうして日々日常でも耳にするようになって、私はとても嬉しく思っています。

なぜならアドラーのエッセンスが色濃い家族療法は、私が大切にしている心理療法のひとつだからです。

なので、私も大切に感じているアドラーのエッセンスが、こうして徐々に広がっていることが、私はなにより嬉しいわけです。

嫌われる勇気をメタファー=例え話に変換

さて、心のことをわかっていこうとした時に一番最初に肝心なのは、難しい話を難しい理屈で表現してもより小難しくなってますますわかりづらく感じる。という心のしくみを大切にすることですね。

なので、アドラーの心理学=学問を理屈で述べてもより理屈っぽくなってさらにわかりづらく感じるほうが自然なので、わざわざ理屈で繰り返すより、今回は、わかりやすく伝える心理学=例え話=メタファーを用いて嫌われる勇気のエッセンスを感じていきましょう。

嫌われる勇気とは?例えるならはじめてのおつかい

「はじめてのおつかい」というテレビ番組がありますね。

生まれて初めての1人でのおつかいにチャレンジするお子さまを見守りましょう!という番組ですね。

小さなお子さまが泣いたり勘違いしたりしながら自分の力でなんとかしようとし始める=心理的自立の始まりを感じさせてくれる素晴らしい番組だなと私は思いますし、奥さんと二人で夢中になって見入っていますね(^-^)

さて、嫌われる勇気とは、例えるなら「はじめてのおつかい」に出演してくださっている「お母さんの想い」とも言えるのかもしれません。

心のいっぽうではお子さまの成長を願い、心のいっぽうではお子さまの安全を願う。。。

生まれて初めて1人でおつかいに出かけようとするお子さまは、「お母さん怖いよ!」「お母さんと一緒に行く!」「お母さん助けて!」と、必死の想いで悲哀=助けを求めて懸命に安全確保をしようとしてくれますね。

このとき、あぁ。。この子はかわいそう。。わたしはなんてひどいことをしているの。。。と、お母さんは同情で手を差し伸べたくもなりますでしょう。。。。

もし、かわいそう。。。という同情を優先してお母さんが一緒におつかいにいってしまっては、そもそも番組の企画は崩れてしまいます(^-^)

それはそれとして、もしかしたら、ぼくはいつまでお母さんに助けてもらえるのかな?わたしはいつになったらお母さんに信用してもらえるのかな?と、お子さまはお母さんの顔色をずっと伺い続けることにもなりかねませんね。

お子さまがお子さま自身のことよりお母さんのことを優先して気遣いを続ける。。。そしてお母さんがお母さん自身のことよりお子さまのことを優先して気遣いを続ける。。。このような心の模様を共依存といったります。

共依存自体は素晴らしい心の模様のひとつですね。

ひと昔前、三年B組金八先生が「人という字は人が支えあってできていまぁ~す!」と共依存=助け合いの素晴らしさを説いてくださいました。

ですが、注意が必要なのは、共依存とは大前提として自分のことを支えることができている=自立が叶っている時の余力を自分の責任で一時的に相手に振り向ける。ということですね。

もし、お互いが自分のことを支えることができないままに=自立が叶わないままに、お互いが自分のことを後回しにして相手のことを優先し同情を続ければ、いっときのはずの共依存がいつまでも続くことになってしまい、支えきれずに共倒れというとても残念な結果になりかねないわけですね。

嫌われる勇気とは?同情と愛情の狭間で感じる勇気

さて、「はじめてのおつかい」にお話を戻しましょう(^-^)

お子さまがより安心&安全でいよう=お母さまに助けを求めることは、それだけ懸命に生き抜こうとしているわけですので、とても素晴らしいことでもあります。

なので、お子さまは懸命に安全確保=お母さんに助けを求めることができている=お母さまの同情を求めることができる=お母さまに甘えようとしてくれていることは、この時期の小さなお子さまでしたら当然どころか健全な素晴らしい心の模様なわけですね。

なので、小さなお子さまからこのような懸命の悲哀を感じれば、誰だって(わたしもわたしの奥さんも)かわいそう。。。かわいそう。。。と、ついつい助けてあげたくなってしまう=同情してあげたくなってしまうのもとても自然なことでもあります。

とはいえ、番組に出演してくださっているお母さまたちは、このような同情を感じるのと同時に、こころの片隅では、ちょっとまって。。。この子がかわいそう。。。この子がかわいそう。。。と、この子への同情をいつまでも続けると、将来、この子はひとり立ちできず、かえってもっとかわいそうになってしまうかも。。。という愛情も同時に感じてくださっているのかもしれません。

だから。。。

もしかしたら、一時的にこの子に嫌われちゃうかもしれないけど、お互いの未来の(^-^)のために、この子のことはあえてこの子に任せはじめてみたい。。。

もしかしたら、しばらくはこの子に嫌われちゃうかもしれないけど、これからのお互いのよりよい(^-^)な関係のために、今のうちからだんだんとこの子のことはこの子に任せてこの子をもっと信用してあげたい。。。

そして、この子のことをこの子自身が大切にしてくれる様子を、この子と同じように私も一緒にソワソワ&ドキドキしながらそっと見守ってあげたい。。。

例えばこのように、お子さまをかわいそうな子だと決めつけて一方的に助けてあげてしまうより、この子のことを信用して見守ってあげたい!。。。という想いを優先し始めようとすることを、家族療法のアドラーは、嫌われる勇気と表現しているのだろうなと私は思っています。

いわば、同情と愛情の狭間を感じて苦しく想いが揺れたとき、短期的に取り繕う同情を優先することにくわえて、長期的な財産となる愛情を優先しはじめることもそろそろ増やしはじめてみよう!とする成長心理を、嫌われる勇気というのだろうなと私は思っています。

嫌われる勇気とは?大切なあの人のことは私よりあの人自身に任せたい!ということ。

自分の感情は後回しにして、相手の感情をどうこうしてあげようとすることを同情といいます。

自分の感情は自分が責任をもって満たし、相手の感情は相手に任せて相手を信用して相手の成長を見守ろうとすることを愛情といいます。

親子関係に限らず、夫婦関係でも、恋人関係でも、友人関係でも、会社関係でも、ママ友関係でも、いろいろな場面で=嫌われる勇気のチャンスを感じるものなのかもしれませんね。

いわば、二人以上の人間の間柄において、同情=共依存共倒れ傾向にくわえて、愛情=自立共存共栄傾向もだんだんと増やし始めてみようとする勇気を、嫌われる勇気というのだろうなと私は思っています。

とはいえ、日本には古来より、いわなくてもわかるでしょ!なんでまだやってないんだよ!なんでまだこうしてくれないんだよ!フツーはこうしておくでしょ!などなど、気遣い。気をつかう。気が利かせる。など、素早く相手に同情できることを美徳とするかのような文化もあったりしますので、この記事をお読みになって、頭ではわかっても嫌われるのはやっぱり怖いな。。。と感じてくださったとしても、とても自然なことでもあるだろうなとも私は思います。

まぁ、さらにゆるく例えるなら、かわいい子には旅をさせろ。とか、親ライオンは子ライオンをあえて崖から落とす。とか、愛のムチ!みたいな表現もわかりやすいのかもしれませんね(^-^)

短期的には嫌われるかもしれないけど、長期的にはお互いのハッピーを願っている想いを嫌われる勇気というのでしょうね。

なので、嫌われそう=厳しいかな?=相手がかわいそうと感じるからといって、体罰やハラスメントとは次元が違うわけですね(^-^)

ただ、嫌われる勇気=躾や指導や指示という綺麗なパッケージに包み隠して、お前のためだ!あなたのためよ!と、自分の感情を子どもや生徒や部下さんたちに八つ当たりすることを、虐待やハラスメントとも呼ぶのかもしれません。

ともあれ、このホームページのその他のいろいろな記事にも、嫌われる勇気のメタファー=例え話をたくさんちりばめておりますので、いろいろな記事をお読みいただき、当方のカウンセリングサービスへの利用価値を感じてくださるようでしたら、いつの日か当方へとご来訪いただけたとき、記事をお読みいただくより確実に、記事をお読みいただくより安全に、あなたの心の成長と心の自由をもっと大切に育んでいくお手伝いをさせて頂けましたら私も幸いに思います。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時16分--

ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ

不安で不安で仕方がない。
 
自信がない。
 
ドキドキソワソワすることがあたかも恥ずかしくいけないことのように思っているのかな?
 
確かにドキドキソワソワすることは嫌なことではありますね。
 
でも嫌なことが恥ずかしいこととは限らない。
 
ドキドキソワソワとこころが揺れている。
 
ゆらゆらとこころが揺れている。
 
台風がくればゆらゆらと木が揺れる。
 
もし添え木でガチガチに補強して台風に備えたら木はどうなるのだろう?
 
ある程度までは強風に耐えられるかもしれないが限界を超えればボキッと折れてしまうでしょう。
 
もしありのままの姿で台風に備えたら木はどうなるのだろう?
 
確かにゆらゆら揺れるでしょう。
 
でもゆらゆら揺れていることで強風を受け流して自然と台風も通り過ぎて今まで通り自立できているかもしれません。
 
こころは木のようなもの。
 
なにかで補強して耐えてみても結局は限界に怯えることになるのかもね。
 
自分を何かで隠したり自分を何かで補強して見せても、ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?って、自分ではどうしようもない周りの目線やリアクションに怯え続けることになるのかもね。
 
でも不安を感じながらも不安な自分に何かをしてあげたり、自信がない自分なりに自分を安心させてあげようとしていると、夢中にゆらゆら揺れながら、いつの間にかホッと安心できているのかもしれません。
 
ゆらゆら揺れることができるということは、それだけ正直で柔らかく自然だということ。
 
不安とは自分を安心させてほしいという願い。
 
自信がないとは自分に安心してほしいという願い。
 
だから不安=自分を安心させてほしい!という自分からの願いに【安心したいよな〜】って自分が応じてあげながらただゆらゆら揺れていると、そんな自分に安心してあげたいって思えてきたりして、自分が自分を安心させて自分が自分に安心できているのかもしれません。
 
そうすると、安心を自給自足できたりして、自分が自分を支えて立たせてあげる=心理的に自立できてしまうのかもしれません。
 
そうすると、自分という味方がいつも自分のそばにいてくれるような安心=自信を生みだすことができちゃったりして、ゆらゆら揺れながらも自然と落ちつけちゃったりしているのかもしれません。
 
柔らかくゆらゆら揺れながら正直に責任をもって夢中でドキドキソワソワしていたら、いつの間にか落ち着いてしまって再びボケっと自分で立てている。
 
そんな木のような柔らかい心でいられたらわたしはとても嬉しいです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時26分--

不安な気持ちには「心配してくれてありがとう」

不安。。。どうしよう?どうしよう?
 
私もみなさんも日々感じることが多い気持ちですし、私もみなさんも感じ続けることに負担を感じる気持ちですね。
 
私のこころもみなさんのこころと同じように、日々いろいろな不安を感じてくれるものです。
 
もしかしたらああなっちゃうんじゃないか?
 
もっとこうしなきゃいけないんじゃないか?
 
もっとこうしておけばよかったんじゃないか?
 
こんなふうに、私のこころもみなさんのこころと同じように、日々いろいろな不安を感じてくれるものです。
 
同じように、みなさんのこころも私のこころのと同じように、今いろいろな不安を感じてくれているかもしれませんね。
 
カウンセリング&セラピーで本当に良くなるのだろうか?
 
自分はカウンセリング&セラピーを受けて良いのだろうか?
 
自分が弱いだけなんじゃないか?どうすればいいのだろうか?
 
私のホームページを訪れてくださって、この記事を読んでくださっているあなたのこころにも、もしかしたらこのような不安が生まれてくれているかもしれませんね。
 
もしそうだとしましたら、私からあなたにこんな気持ちをお送りさせて頂きますね(^_^)
 
それは。。。
 
【心配してくれてありがとうございます】
 
私のホームページを訪れてくださって、こころに不安を感じてくれているあなたに、心配してくれてありがとうって私はお応えしたいです。
 
私の願いは、あなたのこころにホッとした安心&ホッとした嬉しさ=(^-^)な気持ちが増えていくことなんですね。
 
いつの日か、あなたとカウンセリング&セラピーという機会でお会いすることがかなった時、あなたと私の二人のチームワークでもって、あなたの心に(^_^)な気持ちを一緒に増やしてあげていくことが私の願いなんですね。
 
だから。。。
 
たくさん不安を感じてくれてありがとう。。。
 
たくさん心配してくれてありがとう。。。
 
このような気持ちを、私からあなたにお送りさせて頂きますね。
 
だって、不安を感じてくれている。ということは、たくさん心配してくれている。ということですし、たくさん心配してくれているということは、それだけ、あなたのこころがあなたを慎重に大切に想ってくれているということだと私は想うからですね。
 
なので。。。
 
私に不安を感じてくれているあなたに
 
私から心配してくれてありがとう。。。
 
不安のぶんだけ、あなたのこころはあなたを慎重に大切に想ってくれている。。。
 
あなたのこころがあなたを大切に想ってくれていることは私にとっても嬉しいことです。
 
だから私へと不安を感じてくれている=あなたの心があなたを慎重に大切に想ってくれていること=あなたの不安は私にとっては嬉しい気持ちなんですね。
 
同じように。。。
 
日々私の安心と安全のために、自然と不安を感じてくれている私のこころへと。。。。
 
私から私のこころへ心配してくれてありがとう。。。
 
不安のぶんだけ、私のこころは無意識に私を慎重に大切に想ってくれている。。。
 
私のこころが私を大切に想ってくれていることは私にとっても嬉しいことです。
 
だから。。。
 
いつも無意識に私を心配してくれる私のこころに私から【心配してくれてありがとう】って想いを届けてあげたいです。
 
そうすると、不安を感じてくれている私のこころも嬉しくなってくれて、私のこころに嬉しさや安心=(^-^)な気持ちが増えるかもしれませんね(^-^)
 
【不安】に込められたメッセージとは、安心できていない=【安心したい】って願いだと私は思っています。
 
【不安】とは、【ほっと安心したい】って感情なんだなって私は思っています。
 
なので。。。
 
不安を感じてくれている私に。。。
 
心配してくれてありがとう。。。
 
安心したいよね。。。
 
って、私がリアクションを届けてあげると私のこころに嬉しさや安心=(^-^)な気持ちを増やしてあげられるんじゃないかな?って私は思っています。
 
そして、【心配してくれてありがとう】っていう私からの想いを、不安を感じてくれている=安心を探してくれているあなたが受け取ってくれた時、あなたのこころに【ホッとした安心=(^-^)な気持ち】が増えてくれたら、私のこころにも【嬉しい=(^-^)な気持ち】が一緒に増えますね。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時19分--

防衛機制は心のギブス:無気力とは心の省エネモード?

何かをしなきゃいけない!と頭ではわかっているし、何とかしようとしているのに、人知れずモワッ〜っと脱力した気持ちを感じることになってしまって、いろいろなことになかなか取り組みづらい。
 
もしかしたら、そんな心の働きにお困りな方もいらっしゃるのかもしれませんね。

まずは無気力をクールに捉えてみましょう。

無気力とは、読んで字のごとく、気力が無いと言えるわけですが、見方を新しくしてみれば、力を抜くことができているとも言えるのかもしれません。
 
大丈夫(^_^)だからあきらめてってことではないので。
 
つまりあなたの心に起こってくれていることですもの、きっと何かあなたにとってプラスの意図があるんじゃないかな?って、私は思うわけですね。
 
なので、心の大切な役割のひとつである無意識が、自動的に力を抜いてくれている。と捉えてみることも、あなたの未来に望ましい進展を促すためのひとつのアイデアなのかもしれない。ってことなのですね。
 
では、無意識はどんな意図があって自動的に力を抜いてくれているのでしょうかね?
 
私がいろいろなクライアントさんとセラピーを過ごしているなかで感じるのは、無意識は自動的に何かに備えてくれているんじゃないかな?ってことですね。
 
パソコンでいえば、スクリーンセイバーのような、スマートホンで言えば、省エネモードとでも言いましょうか。
 
ある意味、無意識は残り少ない、もしくは限りあるエネルギーを、無気力にすることで少しでも温存しようとしてくれているんじゃないかな?って、私はふと感じることが多いです。

無気力とは、電池が無い。ガソリンが無い。ってことかもね。

 
ここで無意識の個性を考え合わせてみると、無意識は願いや想いや気持ち=英語で言えば【WANT】=日本語で言えば【本音&本心】を大切にしたがるわけなので、あなたがあなたの本音や願いを叶えていってあげれば、そのぶん無意識は喜んでくれて、自動的に心的エネルギー=やる気を蓄えてくれるわけですね。
 
なので、願いを叶えることができると元気が出たり、想いを伝えることができると明るくなれたり、気持ちのまま盛り上がることができるとスッキリできたり、本音を打ち明けられると気分を軽くできたりするわけですね。
 
ということは、無気力を感じることができているということは、あなたの心的エネルギーが不足傾向にあること。つまり義務や命令や役割=英語で言えば【MUST】=日本語で言えば【しなきゃ、すべき、あるべき】が、ここ最近優先されがちであることを無意識は自動的に察知してくれて、自動的に省エネモード=無気力にしてくれて、少しでも心的エネルギー=やる気を温存してくれている。とも言えるのかもしれません。
 
やる気が出ない=無気力ということは、やる気というエネルギーがあるのに出せていない!というより、やる気=心的エネルギーそのものが不足しているので、いくらアクセルを踏んでも=やらなきゃ!と気合を入れても、なかなか進みづらい状態。ということなのかもしれませんね。
 
義務や命令や役割=英語で言えば【MUST】=日本語で言えば【しなきゃ、すべき、あるべき、気合、頑張らなきゃ、我慢しなきゃ】は、自動車で例えたら一時的な使用を前提にしたターボ機能みたいなものなので、継続してターボを使い続ける状況が長く続いてしまえば、どんどんとやる気=心的エネルギー=自動車で言えばガソリンが消費されてしまって、ゼロに近づいてしまいわけですね。
 
自動車でもガソリンがゼロになってしまえばガス欠となって見動きが取れず、自力でガソリンを補給することすら難しくなって、大変なことになってしまうでしょうね。
 
それと同じように、心もやる気=心的エネルギーがゼロになってしまえば、ダウンすることになって見動きが取れず、やる気=心的エネルギーを増やすための元手のやる気も不足して、大変なことになってしまうでしょうね。
 
自動車であれば、JAFさんやみなさんの助力でガソリンスタンドまでたどり着けば安心できるのですが、あなたの心のガソリン=やる気を増やしてあげられるのは、あなただけができることなので、あなたがダウンしてしまっては、再び自然に走れるようになるまで、たくさんの時間がかかってしまうのかもしれません。
 
なので無意識は、やる気=心のガソリンのガス欠状態だけは何とか避けるために、やる気=心的エネルギーが不足してくると、自動的に無気力=省エネモードにしてくれて、あなたがあなたを労わってくれることを、じっと待っていてくれているのかもしれませんね。
 
なので、あなたが無気力を改善してあげたいのなら、少しばかりあなたの本音を優先していく=したいことをしてあげていく時期を用意してあげて、心のコンディションを整えてあげることも、ひとつのアイデアなのかもしれませんね。
 
とはいえ、本音を大切にしたいのだけれど、肝心の本音が見えづらかったり、MUSTとWANTの区別が難しかったりすることもとても自然なことなので、あなたにお望みいただければ、あなたの心のコンディションを整えていくサポートをさせて頂きたい!という私の本音が叶って私は嬉しいですし、本音が叶って嬉しいぶんだけ、私の心のガソリン=やる気も増えていってくれるんですよね。
 
いつの日か、そんな素敵な機会に恵まれるときが来ることを私もゆっくりと願っています。

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時17分--

防衛機制は心のギブス:人にどう思われているか?が気になる心理は、今以上、人に傷つけられないように守ってくれているのかも?

人目が気になってしかたがない。
 
人にどう思われているか?が気になってぎくしゃくしてしまう。
 
人に合わせ過ぎて疲れてしまう。
 
もしかしたら、自然に人知れず反応してしまうこんな心理=心の働きを感じとることができている方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
自分の想いや願いを大切にするよりも、なぜか?周囲の人の想いや願いの方を優先してしまうかのような心の働きに振り回されてしまって、苦しい想いをしてしまっている方もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。
 
さて、なぜ?あなたの心は、自分の想いや願いよりも周囲の人の想いや願いを優先してしまうのでしょうかね?
 
自信がないから?
 
自分がわからないから?
 
気が弱いから?
 
意志が弱いから?
 
捉えかたによってはもしかしたらそうなのかもしれませんが、でも同時に私はこう思います。
 
それは、あなたの心が人知れず懸命にあなたを守ろうとしているからじゃないかな?って私は思います。
 
ボクシングのガードのように、今は積極的チャレンジしていく時期にはなりづらい理由、相手に合わせてやりくりする必要が、なにか?あなたの心にあるからじゃないかな?って私は思います。
 
それってなんでしょうね(^-^)
 
それはもしかしたら、今まで人とのやり取りで傷ついたことがあって、その時の傷が今も癒えきれていないからなのかもしれません。
 
自分の想いや願いを周囲に発信していくことは、チャレンジなことでもありますので、もしかしたら受け入れてもらえなくて、かえって苦しい思いを増やしてしまうリスクもあるってことなんですよね。
 
もしそうだとしましたら、今傷ついたままにやみくもにチャレンジしていくことは、未来のあなたがさらに苦しくなってしまうリスクもあるということですね。
 
なので、人にどう思われているか?が気になる心の働き=心理は。。。
 
あなたが今以上苦しい思いをしないで済むように。。。あなたの心が無意識にガードを固めて、あなたを懸命に守ろうとしてくれている。とも言えるのかもしれませんね。
 
これ以上にマイナスを増やさないようにしてくれている慎重な心持ち。。。
 
あなた一人では自分にとってマイナスに感じられてしまう心の働き=心理のなかにも、おそらく今あなた一人では見えづらい思いやりやプラスの要素があるものだろうなと私は思っています。
 
あなた一人ではわかりづらい心の働き=心理を私とあなたのチームワークで紐解いていく。
 
そんな素敵なお手伝いをさせて頂けたら、私も嬉しいものです(^-^)

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 19時30分--

気持ち=感情は認めると小さくなり、目を反らすと大きくなる。

不安な気持ち、緊張した気持ち、悔しい気持ち、イライラした気持ち、悲しい気持ち、嬉しい気持ち、皆さんも日々いろいろな気持ちを感じることができますね。
 
では、気持ちってどうすると和らいで、どうすると膨らんでしまうのでしょうか?
 
みなさんはどんな風に思っていますか?
 
もしかしたら、みなさんの中には、気持ちは認めると膨らんでしまうので、気持ちから目を反らしたり我慢したりしなければ。。。。と思っている方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
悲しさを感じているときに悲しい気持ちを認めて悲しんでしまうと悲しみが止まらなくなってしまうので、悲しみは堪えなければいけない。
 
怖いと感じている時に怖い気持ちを認めて怖がってしまうと余計に怖くなってしまうので、怖い気持ちを隠さなければいけない。
 
不安を感じている時に不安な気持ちを認めて不安を受け入れてしまうとずっと不安が続いてしまうので、不安な気持ちをごまかさなければいけない。
 
もしかしたらこんな風に思っておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
はたしてどうでしょうか?
 
悲しさや怖さ不安といった気持ちは認めずに目を背けることで和らぐのでしょうか?
 
私はその反対だと思います。
 
気持ちは共感すること&共感してもらえることで和らいでいくんですよね。
 
気持ちは表現することで和らいでいくんだと思います。
 
気持ちは発散することですっきりしていくわけですね。
 
なので、目を反らしてしまうと心の中にグルグル渋滞し続けてしまって、かえって心が重く苦しくなってしまうんですよね。
 
ある男の子を好きだという気持ちを感じている女の子は、我慢しても余計に男の子への気持ちが膨らんでしまうかもしれません。
 
そして、男の子になかなか気持ちを伝えられずにいると、女の子はかえって苦しくなってしまうでしょうね。
 
もう少しわかりやすく言えば、
 
トイレに行きたい気持ちを我慢しても、トイレに行かずに済むわけではないですね。
 
嬉しい気持ちを感じても誰にも伝えることができなければ、かえって悲しくなってしまうのかもしれません。
 
神妙な雰囲気の中でふと笑いたい気持ちを感じてしまったとき、周りの雰囲気に合わせてひたすらに堪え続けるしかなかったら、きっと苦しくなってしまうでしょうね。
 
心というのはとてもシンプルで、気持ちは認めると和らいで、目を反らすと膨らんでしまうわけなんですね。
 
でも、いろいろな体験や生い立ちから、自分の気持ちを認める=やめたほうがいい!という心理を心にお持ちである方がいらっしゃることも私は知っているつもりです。
 
クヨクヨした気持ちは我慢しなければ弱虫になる。
 
休みたい気持ちを満たせば怠けものになる。
 
悲しんでばかりでは悲しい気持ちを乗り越えられず生きてはいけない。
 
自分に満足してしまったら自分が成長できない。
 
こんな苦しくも誤解した理を心にお持ちである方がいらっしゃることも、私はよく知っているつもりです。
 
でも私はこう思います。
 
クヨクヨした気持ちを認めて発散してしまえば、クヨクヨした気持ちが減って心に空きスペースができてホッとするでしょうね。
 
休みたい気持ちを認めて満たしてあげれば、だるさやしんどさが和らいで心に安心が広がって集中できるようになるでしょうね。
 
悲しい気持ちを認めてたくさん悲しんであげれば、悲しい気持ちが手放せてスッキリと自然と心のページがめくれていくでしょうね。
 
自分に満足したい気持ちを認めて自分が自分に満足してあげれば、自分と自分が信じ合えて自信が生まれ、心に落ち着きが育まれるだろうなと私は思っています。
 
心は冷蔵庫とかカバンとかと一緒で、中にとっておける容量に限度があるわけですね。
 
限度があるから苦しいし、焦るし、ホッとするし、安心したり不安になったり心の変化を感じることができるわけですね。
 
もし心の容量に限度がなく、心に無限に気持ちを取り置けるのなら、そもそも人は悩まないし、争わないし、戦争だって起きないかもしれませんね。
 
冷蔵庫だって賞味期限切れの食材があることを認めず目を反らして使い続けたら、その分冷蔵庫のスペースを無駄にしてしまって使い勝手が悪くなってしまいますね。
 
これと同じで、心も認めてもらえない気持ち=ストレスを抱えたまま生活していたら、その分心のスペースを無駄にしてしまって、気持ちがあふれやすくなって焦りを感じ、気持ちがすぐに一杯になって疲れを感じるでしょうね。
 
なので、気持ちは認めて表現して発散して心の中から心の外に出してあげる方が、心の使い勝手が良くなって効率的でもあるわけですね。
 
とはいえ、今までの生い立ちや苦しい体験がもとで、気持ちを認めたり表現すること自体が苦しいと感じてしまう心理をお持ちである方がいらっしゃることも、私はよく知っているつもりです。
 
でも、気持ちを認めたり表現することに実生活では苦しさを感じてしまっても、心理セラピーという機会でしたら、気持ちを認めたり表現することに感じる苦しさ自体を和らげることもできるので、いろいろな気持ちを発散して心のつまりを解消し、あなたの心をリフレッシュすることもできるだろうなと私は思っています。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 18時19分--

防衛機制は心のギブス:傷つけられたと捉えるか?傷ついていると捉えるか?

心理のことについてよく言われることは、1.能動的に捉えること。2.肯定すること。
 
同じ出来事、同じ気持ちでも、捉え方を工夫してみると、出来事の印象も気持ちも変化させることが出来ますね。
 
例えば、あるクライアント様が「失恋したショックから外出できなくなった。」と聞かせてくれたとしましょう。
 
そのクライアント様の今の状況をまず言葉で表現してみると、
 
「相手に傷つけられたからそのショックの影響で外に出られなくなった。」
 
という言葉で捉えることができるかもしれませんね。
 
確かにこの捉え方もひとつの真実です。
 
でもこの捉え方のままですと、言葉の表現が、傷つけられた=受動的、出られない=否定的になっていますね。
 
この様に受動的+否定的に今の状況を捉えていると、心持ちも防衛的=慎重になって、かえって解決に向けて進展がしづらくもなりますね。
 
なので、もしクライアント様が「傷つけられて外に出られなくて困っています。元気に外に出られるようになるでしょうか?」と相談をしてくださったのなら、私ならこんな言葉で要約して対話させて頂きますね。
 
「今あなたは傷ついているのでから、あなたは外に出られないとも言えるのかもしれませんが、お家で静かに傷を癒やすことに専念してくださっているとも言えるのかな?と、私は思います。」
 
「なので、これからも今のようにしばらく静かに傷を癒し続けてくだされば、傷も癒えて自然と外に出て楽しみたくなってくるだろうなと、私は思います。」
 
私は「傷つけられた」という捉え方のままだと、自分では変えようのない過去や相手に注目することになってしまい、かえってため息が出そうですね。
 
でも、私は「傷ついている」という捉え方をしてみると、自分に注目することができて、解決への選択肢を増やていけそうですね。
 
同じように、私は「外に出られない」という捉え方のままだと、断定的&否定的なので、自分が前進していこうとする解決の芽を自分で摘んでしまうかのように感じられますね。
 
でも、私は「静かに傷を癒している」という捉え方をしてみると、自分を認めてあげることができて、自分で自分を癒やす=自然治癒力も高まり解決が近づきそうですね。
 
同じ状況でも、受動的+否定的に捉えるより、能動的+肯定的に捉えたほうが未来の可能性に注目しやすくなるだろうなと私は思っています。
 
「私は相手に傷つけられたからそのショックの影響で外に出られなくなった。」という受動的+否定的な捉え方を、「私は傷ついているから家で静かに傷を癒している」と能動的+肯定的に捉え直してみるだけで随分と気持ちが軽くなるかもしれませんね。
 
同じ出来事、同じ気持ちなのに、自分が主役になってに捉え直すことでも、いろいろな気持ちの変化を感じることが出来るのかもしれませんね。

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 18時07分--

防衛機制は心のギブス:また傷つくんじゃないか?はずっと続いてる。

あなたがある時とても傷ついたとしましょう。
 
あれから何年も経っているんだから…って済んだことにしたい気持ちもわかります。
 
でも、確実に癒やした!という確かな覚えはありますか?
 
自分が傷ついたこと、自分が何も悪くなかったと、誰も何も悪くなかったこと。
 
でも、確かに苦しくもあったということを深く納得することができていましたか?
 
もしある日あなたが傷ついた時、苦しさのあまり出来事の全体像がスッキリしないまま今に至っているのだとしたら、その傷口は未だに癒えず、また傷つくんじゃないか?って、今もあなたを慎重にさせて怖がらせて惑わしてしまうかもしれませんね。
 
うつも対人緊張も強迫観念も、わかりづらい心の症状のほとんどは、傷口を守ろうとする防衛心理だろうなと私は思っています。
 
うつも対人緊張も強迫観念もパニックもトラウマも、あなたを守ろうとする心のギブスみたいなものですね。
 
ギブスって窮屈でしょ?
 
今のあなたも心に窮屈さを感じてくれているのだとしたら、それは心のギブスなのかもしれません。
 
ギブスしている時ってイライラするでしょ?
 
今のあなたも慎重なあなた自身にイライラを感じているのだとしたら、それは心のギブスなのかもしれません。
 
骨折している人は、いつも通り活動できない自分を嘆いたりはしないでしょうね。
 
でも心に傷を持っている人は、いつも通り活動できない自分を嘆いたり嫌ったり消し去りたいとさえ思いつめてしまいますね。
 
骨折は目に見えるので骨折している自分を許しやすいですね。
 
でも、心の傷は目に見えないのでそんな苦しんでいる自分を許すことに納得しづらいのでしょうね。
 
なので、心理セラピーであなたが情けないのではなく傷ついていたことに気づくことができたとき、あっそういうこと?なーんだ!って肩の力が抜けいって、いろいろなことを許しやすくなるでしょうね。
 
ホワイトボードで例え話を用いたり、イメージする力をユニークに活用して【見えづらい心の傷を五感でわかる化】して、【劣っていたんじゃなくて傷ついていたんだ】って深く納得しやすくすることも、私の心理セラピーの大切なテーマでもあります。
 
傷はあるってことに気が付けていなければ傷ついたときのまま。
 
傷ついていることを認めることができて初めて自然治癒が始まるんじゃないかな?
 
もし何十年も傷ついたままなら、また傷つくんじゃないか?って色々不安になって、何十年経っても傷に怯え続けることも自然だし、あなたが全力で生きられなくても当然でしょ?
 
その全力で生きられないブロックされる感覚が、心にギブスがある=あなたの心が傷ついているっていうサインなんじゃないかな?
 
ウサインボルトだって骨折してたら全力疾走できないし、骨折を認めて治癒を始めなければ、ずっとパフォーマンスを発揮できなくて当然ですね。
 
体の傷でも心の傷でも、傷ついていることに気づいて、癒していこうって認めてあげなければ、何十年だってそのままでも不思議ではないと思います。
 
もしかしたらあなたはずっと劣っていたわけではなくて、ずっと傷ついたままなのかもしれませんね。
 
でも何十年前の傷でも今から癒やし始めれば、ギブスが外れたかのような開放感を感じられるかもしれませんね。
 
自分が足りないわけでも劣っているわけでもなくて、傷ついていたからパフォーマンスを発揮できなかったんだって気づくことができた時、人は大きく変わることができますね。
 
進化する成長するのではなく、傷を癒して心のギブスを外して、いまだ知らない本来のあなたに戻っていく。
 
そんな素敵なお手伝いができたら私も嬉しいです。

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 18時04分--