対人恐怖症とは?自分の身を守ろうとする本能。

対人恐怖症という言葉を聞いたことがありますか?

何年前でしょう…私もサラリーマン時代に始めて聞いた言葉で、この言葉を聞いてから、人に対してギクシャクしてしまう自分自身の性格にとても関心を感じるようになったのを覚えています。

対人恐怖症とは、自分を表現するのが怖い…ということ。

「自分はこうしたい!自分はこう思う!自分はこうしてほしい!」

このような自分の気持ち=本音=願い=感じていることや考えていることを誰かに話そうとすると、なぜか不思議なほどに怖くなってしまい、ギクシャクして黙ってしまったり…ついつい嘘をついてしまったり…

また人が集まる集会や飲み会などにもなじめず疲れ切ってしまったり…職場で業務以外のプライベートのことを聞かれるのがとても怖かったり…

周りの人に対して自分の本音や本心をカミングアウトしようとすればするほど、とても気構えてしまい緊張してしまう自分自身の性格にとても悶々としていたのを覚えています。

対人恐怖症とは、ヘビににらまれたカエルって感覚。

さて、対人恐怖症とはたしかに窮屈で嫌な感覚です。ですが、嫌なものではあるけれど感じている以上はなにか生まれてきた意味があるものだろうなと私は思っている立場の人です。なので、対人恐怖症という心の個性をいろいろなカメラアングルで観察してみましょう。

みなさんは、ヘビににらまれたカエルのようだ…こんな表現を聞いたことがありますか?

対人恐怖症の例え 蛇ににらまれたカエル

身の危険を感じて身動きが取れない…下手に動いたら生命があぶない…このような緊張した状態を表現した言葉ですね。

私が感じていた対人恐怖症とは、まさにこの【ヘビににらまれたカエル】という状態がぴったりだったような気がします。

【ヘビ】が周りの人たちで【カエル】が自分なわけですね。

自分も同じ人間なのに、自分以外の人間を【ヘビ】だと感じていまい、【ヘビににらまれたカエル】のように固まって身構えてしまう【カエル】的な立場の自分…

当時は、自分でもなぜそうなってしまうのか?わけがわからずとても苦しかったのですが、今振りかえると、対人恐怖症という心の働きは、人間という生き物にたいして懸命に身構えて懸命に自分の身を守ろうとしているような意図を感じます。

危険な対象物に恐怖を感じるのは生きものとして必須な本能。
例えば、野良ネコちゃんも対人恐怖症。

対人恐怖症とは、人が人に身構えてしまう不思議な心の働き…そして、人が人に身構える対人恐怖症という心の働きは、相手の人を嫌っているのではなく、自分の身を懸命に守ろうとしているセーフティガード機能みたいなもの…

なので対人恐怖症とは、過去に人間という生き物に傷つけられてしまったからこそ、それ以来、人間という生き物に警戒し、人間という生き物から身を守り続けている無意識の防衛機能(専門用語では防衛機制とも言います。)と言えるのだろうなと私は思っています。

そういった意味では、野良ネコちゃんも【対人恐怖症】を持っていると言えるのかもしれません。

野良猫も対人恐怖症

一旦、人間に迎え入れられて人間とともに暮らしていたのに、ある日突然、その人間に捨てられてしまったことで自分はなにも悪くないのに理不尽にも生死の境をさまようことになってしまった。なので、私=寺井がジョギング中に毎朝公園で見かける野良ネコちゃんが、私=寺井を見かけると慌てて逃げ隠れてしまうのも無理のないことなわけですね。

ところで、この野良ネコちゃんは私=寺井のことが大嫌いだから一目散に逃げてしまうのかな?(^-^;)

もしかしたらそうかもしれませんが、それは野良ネコちゃんが私=寺井を嫌っているというより、私=寺井も人間なので、人間という生き物に捨てられ生死をさまよった。という過去の辛い体験をもとに、寺井さん⇒自分を捨てた人間に姿かたちが似ている!⇒危ない!⇒怖い!⇒念のため逃げろ!と、【対人恐怖症】を感じて自分の身を懸命に守っている。とも言えるのではないかな?と私は思います。

つまり野良ネコちゃんが感じた【対人恐怖症】という本能が野良ネコちゃんの生命を守っている。というわけです。

さて、すこし専門的になってしまったのでひと息ついて緩く考えてみると、人がなにかに身構える心の働き自体は、私であってもみなさんであっても人であれば等しく感じる心の働きですね。

例えば、曲がり角を曲がって突然ライオンと出くわしてしまったら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

例えば、自動車が暴走気味に近づいてくるのを見かけたら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

例えば、上空を飛んでいる飛行機が大きな音を立てて頭上を通過したら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

このようなドッキリ企画のようなシチュエーションに出くわしたとき、対象物にたいして恐怖を感じ身構える。という心の働き自体は、ある意味、自分の生命の安全を確保するために必須な心の働きとも言えます。

反対に、もし危険な状況に恐怖を感じることもできず身構えることもできないとしたら、危険を回避できず自分の生命が危険にさらされ続けてしまいます。なので、ワンちゃんやネコちゃんや鳥さんや魚くんやあらゆる生き物がみなひとしくそうであるように、安全確認ができていない対象物に対して恐怖を感じ身構えることができる心の働き=本能は、ある意味、生き物として絶対不可欠な心の働き=本能とも言えます。

私からしてみると、自分の身を守ろうと身構えている対象物がライオンであれば【対ライオン恐怖症】、暴走車であれば【対暴走車恐怖症】、飛行機であれば【対飛行機恐怖症】、そして人間であれば【対人恐怖症】ということになるだけです。

つまり、心=脳のしくみをよくよく知ったうえで捉えてみると、対人恐怖症の本質とは、すべての人間どころかすべての生き物が身を守るために日々感じている自然な本能。ということになります。

対人恐怖症をなくそうとするとかえって危険。
だからなくすのではなく和らげる。

さて、対人恐怖症という心の働きについていろいろと捉えてきましたが、みなさんはどう感じましたか?

みなさんにぜひ感じてほしいのは、対人恐怖症とは汚れたダメなものなのでしょうか?対人恐怖症とは根絶しなければいけない危険なものなのでしょうか?ということです。

もしウィルスのように対人恐怖症が危険なものなのであれば、対人恐怖症をやっつける!消す!なくす!という雰囲気になるかと思います。ですが、ここまでお話ししたように、もし対人恐怖症を完全に消し去ってしまったとしたら、自分の身の安全を守れなくなる=自分の身をかえって危険にさらす方向性となってしまいます。

つまり、対人恐怖症をなくそうとする=自分の身の危険を自分で増やそうとすることになってしまうわけですから、自分の身を守るために必要な心の働きをやみくもにやっつけよう!なくそう!とすると、残念ながら自分と自分同志の戦争=内戦状態となってしまい、心は永遠に騒がしい状態となり続けるでしょう…

とはいえ、いくら自分の身を守るために必要な心の働きだからと言って、対人恐怖症をそのままの大きさで一生感じ続けるのも苦しいものですね。

つまり当方メンタル心理そらくもが考えているのは、【対人恐怖症をやっつける!消す!なくす!】のではなく、【対人恐怖症を落ち着かせる…和らげる…緩める…】という方向性になります。

例えるならカウボーイが暴れ馬と接するような感じです。

ただでさえ驚いて怖がって暴れまわるお馬さんを無理にやっつけよう!とすれば、窮鼠猫を噛むのことわざ通り、かえって興奮して手がつけられなくなってしまいます。なので、驚いて怖がって暴れまわるお馬さんをホッと落ち着かせてあげて緊張や恐怖をだんだんと和らげてあげるように、対人恐怖という防衛機制=警戒心=セーフティガードをだんだんと安全に緩めていき、なくすのではなく有っても気にならない程度まで和らげて行く。という方向性が当方メンタル心理そらくもの雰囲気です。

対人恐怖症のはじまりとは?
自分はいつから誰に身構えはじめたか?

少し視野を広げてみると、人間も生きものですから、対人恐怖症は、【生きものとして身を守る本能】と捉えることもできるわけですね。うらをかえせば、ある日ある時に人間という生き物に傷つけれられて、それ以来、人間という生きものに対して身の安全を守り続けている=警戒を続けている心の働きを対人恐怖症というわけです。

対人恐怖症のはじまりイラスト

さて唐突ですが、【対人恐怖症を感じている赤ちゃん】を、あなたは見たことがありますか?

もし対人恐怖症が遺伝的なモノであったり性格的固定的なものであるならば、対人恐怖という心の働きは生まれた直後から始動し始めているはずです。

もしそうだとしましたら、生まれたばかりの赤ちゃんは、生まれた直後から周りにいる人間たち=お母さんやお父さんや産婦人科医さんや看護師さんにたいして早速に対人恐怖を感じ始めるはずですね。

ですが、どうやら赤ちゃんは、生まれた直後から対人恐怖症=人に対する警戒を感じることは不可能なようです。(ちなみに、私はこどもの出産に二回立ち合いましたが二人とも生まれた直後から今でも私を警戒しているようには思えません。むしろ私をおちょくっているかのようです(^-^;))

それどころか、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分が誰なのか?ここがどこなのか?すらわからず、ただただエーンエーンと泣くことが精一杯で、周りの人に警戒を感じ自分で自分の身を守ることなどほど遠い状態です。

くわえるなら、もしあなたが全然違う時代や全然違う国や全然違う人たちに囲まれて成長していたら、はたして対人恐怖症=人に対する警戒を感じる必要があったのでしょうか?

例えば、ハワイやモルディブなど穏やかな気候&穏やかな人柄に囲まれて育っていたら、対人恐怖症=人に対する警戒を感じる必要はなかったのかもしれません。

もしそうだとしましたら、対人恐怖症とは、あなたになにか悪いところや劣っているところがあるから生まれてきたわけではなくて、あなたの周りの人たちの言動に反応して生まれてきたわですね。

ということは、自分はいつからどの人間にたいして身構えはじめたのだろう?=つまり自分は誰にたいして身構えはじめたのだろう?対人恐怖症という心の働きがいつから始まったのだろう?と捉えていくこと。うらをかえせば、自分はいつどの人間に傷つけられたのだろう?自分はいつから誰にたいしてビクビクと顔色を伺い始めたのたのだろう?と捉えてみることが、対人恐怖症という心の働きが生まれてきたいきさつを知ることになり、対人恐怖症という心の働きを解きほぐし緩めていくための大きなヒントとなるだろうと私は思っています。

そして、【対人恐怖症という心の働きがいつから始まったのだろう?】という大切なテーマをあなたと私の二人で大切に捉えていく作業を心理カウンセリングと言いまして、【対人恐怖症という防衛機制=警戒心=セーフティガード】をあなたと私の二人のチームワークで安全に落ち着かせ和らげ緩めていく作業を心理セラピーと言います。

あなたが今より安心して心地良く過ごしてせるようになっていきたい!と願ってくださった時、その大切な願いをあなたと私で叶え始めていくお手伝いをさせて頂けますと私はとても嬉しいです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 11時09分--

無気力とは全力で迷いそれだけ気を使っている。ということ。

無気力という心理状態は、私もサラリーマン時代によく感じていた心理状態です。

仕事中に感じるときもありましたが、ゆっくりすごしていいはずの休日の自宅でもなぜか無気力を感じてしまい、どこにも出かけたくない。とにかく静かにしていたい。と、貴重な休日をダラダラゴロゴロとすごしてしまっていました。

そのくせあとになって、「もっとこうしておけばよかった…」と、休日の過ごし方に後悔を感じてしまう…こんな日々を送っていたことを今でも覚えています。

無気力とは、自分の心で迷いや葛藤が活発に巡っている感覚。

さて、無気力とはたしかに嫌な心理状態です。ですが、ただただ嫌がっていても嫌なものは嫌なままですので、ちょっとクールに無気力という心理状態を観察してみましょう。

無気力という心理状態について当時の私が感じていたのは、100%何もしないでいたい!というわけでもない。ということです。

どういうことかと言いますと、確かに、なにもしないで静かにしていたい。という気持ちもあるのですが、同時に、ほんとはいろいろ活動したい。という気持ちもゼロじゃないんだな。ということです。

それは、【頑としてなにもしたくない!なんとしても怠けていたい!】というより、【なにかしたいのだけれどとても慎重になってう優柔不断になってしまう…】と感じていました。

確かに、無気力と聞くと、世の中では怠け者や弱虫みたいに安直に誤解しがちですが、私が感じたのは、私の心のなかに巡るふたつの自分の想いです。

ひとつは、
【ソワソワやドキドキや不安や焦りをただじっと我慢し続けるのは苦しいので、いろいろ活動してすっきりしてきたいと願う自分の気持ち…】

もうひとつは、
【いろいろ活動してかえって失敗したりして今より状況が苦しくなってしまうことはなんとしても避けて安全に現状維持をしていたいと願う自分の気持ち…】

政治の世界や会社なんかでも、改革派と保守派みたいな役割分担がありますが、自分の心のなかにも、新たな活動を起こして心を心地よくしていきたい改革派と新たな活動は避けて心を現状維持していたい保守派と、ふたつの想いがグルグルソワソワドキドキと葛藤を続けている。無気力という心理状態を私なりに捉えた時、このような印象を私は感じました。

無気力とは、なにもできないのではなく、なにかしてみたいけど、やっぱりなにもしないでいたい。ということ。

私は私自身の内面=心に関心を振り向けることで、【期待や焦りといった行動的な気持ち=改革的なわたし】と【不安や恐れさといった慎重な気持ち=保守派的なわたし】のふたつの想いを感じ取っていました。

うらをかえせば、行動的なわたしにも慎重なわたしにも、どちらのもわたしにもそれぞれ言い分があって、行動的なわたしと慎重なわたしと、それぞれの立場のわたしたちの主張が、国会や議会のようにグルグルソワソワドキドキと繰り返されているんだなと感じました。

いわば、私の心が国会議事堂や会議室だとしたら、私の心=国会議事堂や会議室で、行動的なわたしと慎重なわたしがそれぞれの意見を主張し活発に議論している。この状態が迷っている&葛藤しているという状態で、そんな白熱した議論、迷いと葛藤が、長い時間にわたって白熱すればするほど、エネルギーもたくさん消耗しますので、結果、議論=迷いと葛藤が白熱すればするほどエネルギーを消費してしまい、エネルギー不足=無気力という状態になっている。こんな風に私は感じました。

無気力とは、それだけ全力で迷っているという結果。

上記のように、無気力という心理状態を目に見える状況だけ捉えれば、布団にもぐっているだけ…だったボーっとしているだけ…と、なにか怠け者のようなに誤解しがちですが、目に見えない感情や心理を捉えていくことで、目に見えない心のなかでは迷いや葛藤というエネルギッシュな心の働きがグルグルソワソワドキドキとフル回転していて、そのぶん心のエネルギーをたくさん消耗している。ということに私は気づいていきました。

当然のことですが、心理カウンセラーや心理セラピストではない家族や友人や同僚や上司たちといった周りの人たちには、このような私の心の模様がわかるはずもないわけなので、私が内心では懸命に迷ったり葛藤していることを周りの人たちがなかなか気づけなかったのも、何もしていないのに疲れ切っている無気力な私を怠け者のように誤解してしまっていたのも、ある意味、無理のなかったことかもしれないな?と、今の私は思えています。

さて、私がどうであれ、あなたはあなたですね(^-^)私がどうであれ、私が感じたようにあなたも感じなければならないわけでもありません。

なにはともあれ間違いないのは、どうしよう?どうすればいいの?ああしようかな?でもやめようかな?と、あなたが心で全力で迷ってくれいるからこそ、たくさんの心的エネルギーを消費している。ということです。なので、無気力という心理状態は、それだけ、あなたが目に見えない心のなかで全力で迷い葛藤を感じてくれている。=心のエネルギーをたくさん使ってくれている。=気を使ってくれている。ということだと私は思っています。

無気力とは、エネルギーが無くなるまで気を使っている。ということ。

例えば、
携帯電話も目に見えないアプリを使ってたくさん働けば働くほど、そのぶん電池が消費され電池切れになってしまいます。

自動車も目に見えない動力をたくさん使えば使うほど、そのぶんガソリンが消費されガス欠になってしまいます。

それと同じように、
人の心も目に見えない迷いや葛藤を感じれば感じるほど、そのぶん気力が消費され無気力になってしまいます。

無気力という心理状態の説明イラスト

なので、限りある電池を効率的に使えるよう携帯電話の設定を調整してみるように、限りあるガソリンを効率的に使えるよう自動車の整備をしてみるように、限りある気力を効率的に使えるよう心のコンディションを整えてみるのも、ひとつのアイデアなのかもしれません。

今はついつい気を使いすぎて電池切れ=無気力になりがちでも、いつの日か、限りある心的エネルギー=やる気や気力を効率的に使えるように心のコンディションを整えいくお手伝いをさせて頂けると私はとても嬉しく思います(^-^)

©2012-メンタル心理そらくも
-- 09時18分--

嫌われる勇気:伝えるは一時の怖さ、隠すのは一生の苦しさ

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。。。なんてことわざがありますね。

自分の知らないことは知らない!と正直にカミングアウトすることは、ことわざの通り、恥ずかしいですし怖いものです。とはいえ、ホントは知らないのに知ったかぶりをしてしまうと、それ以降もズルズルと知ることができないまま、知らないことによって恥をかき続けることになってしまう。

人にバカにされてしまうのではないか?人に失望されてしまうのではないか?人に嫌われてしまうのではないか?という怖さをモヤモヤグルグルと感じるなかで、「知らないことは知らない!教えてください!」と、ありのまま正直にカミングアウトすることは、とても勇気を必要とすることです。そして、このときの「知らないことは知らない!教えてください!」と、ありのまま正直にカミングアウトしようとする勇気を、アドラーの言う【嫌われる勇気】というのだろうなと私は思います。

【嫌われる勇気】を感じるタイミングは、得てして人がついつい目を背けたくなったり、人がついついごまかして逃げてしまいたくなりがちな大切なシーンに感じることが多いものですね。でもだからこそ、【嫌われる勇気】はとても価値のある感情なのでしょうし、実行することで怖さや恥ずかしさといった恐れを和らげてくれて、そのぶん、自分自身の心の自由度をより一層に高めてくれる大きなチャンスでもあるわけですね。

嫌われる勇気を感じているイラスト

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、好きな人へ好きだ!と、正直な気持ちを勇気を出して教えてあげられたとき。。。

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、嫌なことは嫌だ!と、意地悪な友人に勇気を出して言えたとき。。。

嫌われたらどうしようと怖がりながらも、無理なことは無理だ!と、理不尽に甘えてくる上司や両親に勇気を出して言えたとき。。。

嬉しいときは嬉しいよ。ありがたいときはありがとう。と、いつもそばにいてくれる大切な人に、恥ずかしながら怖がりながらも、正直な気持ちを勇気を出して教えてあげられたとき。。。

相手はどう思うか?相手にどう思われるか?=相手の気持ちはわかりようがないので、【嫌われる勇気】を実行するにはとても怖くて当然なのだけれども、【嫌われる勇気】を実行してみると、少なくとも自分が自分の気持ちに正直になれたことで、自分で自分の心をほっと少しだけ軽くしてあげられるのかもしれません。

やらずに後悔をするよりやって後悔したほうがいい。。。なんて言葉もありますが、なにも言わずに後悔を続けるよりも言って後悔したほうが、未来の自分の荷物を少なくしてあげられるのかもしれませんね。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時53分--

嫌われる勇気:はじめてのおつかい

嫌われる勇気という言葉をご存知ですか?

嫌われる勇気は、家族療法で知られるアドラーの言葉です。

最近、カウンセリング&セラピーを共有させて頂いたクライアントさんからこんな言葉をよく聞かせて頂くようになりました。

さっき寺井さんがお話してくれたことが嫌われる勇気なんですね。

今日のセラピーで実感したことを嫌われる勇気って言うんだな。

くわえて、先日たまたま書店で『嫌われる勇気』という本をチラッと見かけて驚きを感じるともにとても嬉しくもありました。

しばらく前は、一般の方=特に日本人には誤解されやすい価値観だなと私は思っていましたが、こうして日々日常でも耳にするようになって、私はとても嬉しく思っています。

なぜならアドラーのエッセンスが色濃い家族療法は、私が大切にしている心理療法のひとつだからです。

なので、私も大切に感じているアドラーのエッセンスが、こうして徐々に広がっていることが、私はなにより嬉しいわけです。

嫌われる勇気をメタファー=例え話に変換

さて、心のことをわかっていこうとした時に一番最初に肝心なのは、難しい話を難しい理屈で表現してもより小難しくなってますますわかりづらく感じる。という心のしくみを大切にすることですね。

なので、アドラーの心理学=学問を理屈で述べてもより理屈っぽくなってさらにわかりづらく感じるほうが自然なので、わざわざ理屈で繰り返すより、今回は、わかりやすく伝える心理学=例え話=メタファーを用いて嫌われる勇気のエッセンスを感じていきましょう。

嫌われる勇気とは?例えるならはじめてのおつかい

「はじめてのおつかい」というテレビ番組がありますね。

生まれて初めての1人でのおつかいにチャレンジするお子さまを見守りましょう!という番組ですね。

小さなお子さまが泣いたり勘違いしたりしながら自分の力でなんとかしようとし始める=心理的自立の始まりを感じさせてくれる素晴らしい番組だなと私は思いますし、奥さんと二人で夢中になって見入っていますね(^-^)

さて、嫌われる勇気とは、例えるなら「はじめてのおつかい」に出演してくださっている「お母さんの想い」とも言えるのかもしれません。

心のいっぽうではお子さまの成長を願い、心のいっぽうではお子さまの安全を願う。。。

生まれて初めて1人でおつかいに出かけようとするお子さまは、「お母さん怖いよ!」「お母さんと一緒に行く!」「お母さん助けて!」と、必死の想いで悲哀=助けを求めて懸命に安全確保をしようとしてくれますね。

このとき、あぁ。。この子はかわいそう。。わたしはなんてひどいことをしているの。。。と、お母さんは同情で手を差し伸べたくもなりますでしょう。。。。

もし、かわいそう。。。という同情を優先してお母さんが一緒におつかいにいってしまっては、そもそも番組の企画は崩れてしまいます(^-^)

それはそれとして、もしかしたら、ぼくはいつまでお母さんに助けてもらえるのかな?わたしはいつになったらお母さんに信用してもらえるのかな?と、お子さまはお母さんの顔色をずっと伺い続けることにもなりかねませんね。

お子さまがお子さま自身のことよりお母さんのことを優先して気遣いを続ける。。。そしてお母さんがお母さん自身のことよりお子さまのことを優先して気遣いを続ける。。。このような心の模様を共依存といったります。

共依存自体は素晴らしい心の模様のひとつですね。

ひと昔前、三年B組金八先生が「人という字は人が支えあってできていまぁ~す!」と共依存=助け合いの素晴らしさを説いてくださいました。

ですが、注意が必要なのは、共依存とは大前提として自分のことを支えることができている=自立が叶っている時の余力を自分の責任で一時的に相手に振り向ける。ということですね。

もし、お互いが自分のことを支えることができないままに=自立が叶わないままに、お互いが自分のことを後回しにして相手のことを優先し同情を続ければ、いっときのはずの共依存がいつまでも続くことになってしまい、支えきれずに共倒れというとても残念な結果になりかねないわけですね。

嫌われる勇気とは?同情と愛情の狭間で感じる勇気

さて、「はじめてのおつかい」にお話を戻しましょう(^-^)

お子さまがより安心&安全でいよう=お母さまに助けを求めることは、それだけ懸命に生き抜こうとしているわけですので、とても素晴らしいことでもあります。

なので、お子さまは懸命に安全確保=お母さんに助けを求めることができている=お母さまの同情を求めることができる=お母さまに甘えようとしてくれていることは、この時期の小さなお子さまでしたら当然どころか健全な素晴らしい心の模様なわけですね。

なので、小さなお子さまからこのような懸命の悲哀を感じれば、誰だって(わたしもわたしの奥さんも)かわいそう。。。かわいそう。。。と、ついつい助けてあげたくなってしまう=同情してあげたくなってしまうのもとても自然なことでもあります。

とはいえ、番組に出演してくださっているお母さまたちは、このような同情を感じるのと同時に、こころの片隅では、ちょっとまって。。。この子がかわいそう。。。この子がかわいそう。。。と、この子への同情をいつまでも続けると、将来、この子はひとり立ちできず、かえってもっとかわいそうになってしまうかも。。。という愛情も同時に感じてくださっているのかもしれません。

だから。。。

もしかしたら、一時的にこの子に嫌われちゃうかもしれないけど、お互いの未来の(^-^)のために、この子のことはあえてこの子に任せはじめてみたい。。。

もしかしたら、しばらくはこの子に嫌われちゃうかもしれないけど、これからのお互いのよりよい(^-^)な関係のために、今のうちからだんだんとこの子のことはこの子に任せてこの子をもっと信用してあげたい。。。

そして、この子のことをこの子自身が大切にしてくれる様子を、この子と同じように私も一緒にソワソワ&ドキドキしながらそっと見守ってあげたい。。。

例えばこのように、お子さまをかわいそうな子だと決めつけて一方的に助けてあげてしまうより、この子のことを信用して見守ってあげたい!。。。という想いを優先し始めようとすることを、家族療法のアドラーは、嫌われる勇気と表現しているのだろうなと私は思っています。

いわば、同情と愛情の狭間を感じて苦しく想いが揺れたとき、短期的に取り繕う同情を優先することにくわえて、長期的な財産となる愛情を優先しはじめることもそろそろ増やしはじめてみよう!とする成長心理を、嫌われる勇気というのだろうなと私は思っています。

嫌われる勇気とは?大切なあの人のことは私よりあの人自身に任せたい!ということ。

自分の感情は後回しにして、相手の感情をどうこうしてあげようとすることを同情といいます。

自分の感情は自分が責任をもって満たし、相手の感情は相手に任せて相手を信用して相手の成長を見守ろうとすることを愛情といいます。

親子関係に限らず、夫婦関係でも、恋人関係でも、友人関係でも、会社関係でも、ママ友関係でも、いろいろな場面で=嫌われる勇気のチャンスを感じるものなのかもしれませんね。

いわば、二人以上の人間の間柄において、同情=共依存共倒れ傾向にくわえて、愛情=自立共存共栄傾向もだんだんと増やし始めてみようとする勇気を、嫌われる勇気というのだろうなと私は思っています。

とはいえ、日本には古来より、いわなくてもわかるでしょ!なんでまだやってないんだよ!なんでまだこうしてくれないんだよ!フツーはこうしておくでしょ!などなど、気遣い。気をつかう。気が利かせる。など、素早く相手に同情できることを美徳とするかのような文化もあったりしますので、この記事をお読みになって、頭ではわかっても嫌われるのはやっぱり怖いな。。。と感じてくださったとしても、とても自然なことでもあるだろうなとも私は思います。

まぁ、さらにゆるく例えるなら、かわいい子には旅をさせろ。とか、親ライオンは子ライオンをあえて崖から落とす。とか、愛のムチ!みたいな表現もわかりやすいのかもしれませんね(^-^)

短期的には嫌われるかもしれないけど、長期的にはお互いのハッピーを願っている想いを嫌われる勇気というのでしょうね。

なので、嫌われそう=厳しいかな?=相手がかわいそうと感じるからといって、体罰やハラスメントとは次元が違うわけですね(^-^)

ただ、嫌われる勇気=躾や指導や指示という綺麗なパッケージに包み隠して、お前のためだ!あなたのためよ!と、自分の感情を子どもや生徒や部下さんたちに八つ当たりすることを、虐待やハラスメントとも呼ぶのかもしれません。

ともあれ、このホームページのその他のいろいろな記事にも、嫌われる勇気のメタファー=例え話をたくさんちりばめておりますので、いろいろな記事をお読みいただき、当方のカウンセリングサービスへの利用価値を感じてくださるようでしたら、いつの日か当方へとご来訪いただけたとき、記事をお読みいただくより確実に、記事をお読みいただくより安全に、あなたの心の成長と心の自由をもっと大切に育んでいくお手伝いをさせて頂けましたら私も幸いに思います。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時16分--

ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ

不安で不安で仕方がない。
 
自信がない。
 
ドキドキソワソワすることがあたかも恥ずかしくいけないことのように思っているのかな?
 
確かにドキドキソワソワすることは嫌なことではありますね。
 
でも嫌なことが恥ずかしいこととは限らない。
 
ドキドキソワソワとこころが揺れている。
 
ゆらゆらとこころが揺れている。
 
台風がくればゆらゆらと木が揺れる。
 
もし添え木でガチガチに補強して台風に備えたら木はどうなるのだろう?
 
ある程度までは強風に耐えられるかもしれないが限界を超えればボキッと折れてしまうでしょう。
 
もしありのままの姿で台風に備えたら木はどうなるのだろう?
 
確かにゆらゆら揺れるでしょう。
 
でもゆらゆら揺れていることで強風を受け流して自然と台風も通り過ぎて今まで通り自立できているかもしれません。
 
こころは木のようなもの。
 
なにかで補強して耐えてみても結局は限界に怯えることになるのかもね。
 
自分を何かで隠したり自分を何かで補強して見せても、ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?って、自分ではどうしようもない周りの目線やリアクションに怯え続けることになるのかもね。
 
でも不安を感じながらも不安な自分に何かをしてあげたり、自信がない自分なりに自分を安心させてあげようとしていると、夢中にゆらゆら揺れながら、いつの間にかホッと安心できているのかもしれません。
 
ゆらゆら揺れることができるということは、それだけ正直で柔らかく自然だということ。
 
不安とは自分を安心させてほしいという願い。
 
自信がないとは自分に安心してほしいという願い。
 
だから不安=自分を安心させてほしい!という自分からの願いに【安心したいよな〜】って自分が応じてあげながらただゆらゆら揺れていると、そんな自分に安心してあげたいって思えてきたりして、自分が自分を安心させて自分が自分に安心できているのかもしれません。
 
そうすると、安心を自給自足できたりして、自分が自分を支えて立たせてあげる=心理的に自立できてしまうのかもしれません。
 
そうすると、自分という味方がいつも自分のそばにいてくれるような安心=自信を生みだすことができちゃったりして、ゆらゆら揺れながらも自然と落ちつけちゃったりしているのかもしれません。
 
柔らかくゆらゆら揺れながら正直に責任をもって夢中でドキドキソワソワしていたら、いつの間にか落ち着いてしまって再びボケっと自分で立てている。
 
そんな木のような柔らかい心でいられたらわたしはとても嬉しいです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時26分--

不安な気持ちには「心配してくれてありがとう」

不安。。。どうしよう?どうしよう?
 
私もみなさんも日々感じることが多い気持ちですし、私もみなさんも感じ続けることに負担を感じる気持ちですね。
 
私のこころもみなさんのこころと同じように、日々いろいろな不安を感じてくれるものです。
 
もしかしたらああなっちゃうんじゃないか?
 
もっとこうしなきゃいけないんじゃないか?
 
もっとこうしておけばよかったんじゃないか?
 
こんなふうに、私のこころもみなさんのこころと同じように、日々いろいろな不安を感じてくれるものです。
 
同じように、みなさんのこころも私のこころのと同じように、今いろいろな不安を感じてくれているかもしれませんね。
 
カウンセリング&セラピーで本当に良くなるのだろうか?
 
自分はカウンセリング&セラピーを受けて良いのだろうか?
 
自分が弱いだけなんじゃないか?どうすればいいのだろうか?
 
私のホームページを訪れてくださって、この記事を読んでくださっているあなたのこころにも、もしかしたらこのような不安が生まれてくれているかもしれませんね。
 
もしそうだとしましたら、私からあなたにこんな気持ちをお送りさせて頂きますね(^_^)
 
それは。。。
 
【心配してくれてありがとうございます】
 
私のホームページを訪れてくださって、こころに不安を感じてくれているあなたに、心配してくれてありがとうって私はお応えしたいです。
 
私の願いは、あなたのこころにホッとした安心&ホッとした嬉しさ=(^-^)な気持ちが増えていくことなんですね。
 
いつの日か、あなたとカウンセリング&セラピーという機会でお会いすることがかなった時、あなたと私の二人のチームワークでもって、あなたの心に(^_^)な気持ちを一緒に増やしてあげていくことが私の願いなんですね。
 
だから。。。
 
たくさん不安を感じてくれてありがとう。。。
 
たくさん心配してくれてありがとう。。。
 
このような気持ちを、私からあなたにお送りさせて頂きますね。
 
だって、不安を感じてくれている。ということは、たくさん心配してくれている。ということですし、たくさん心配してくれているということは、それだけ、あなたのこころがあなたを慎重に大切に想ってくれているということだと私は想うからですね。
 
なので。。。
 
私に不安を感じてくれているあなたに
 
私から心配してくれてありがとう。。。
 
不安のぶんだけ、あなたのこころはあなたを慎重に大切に想ってくれている。。。
 
あなたのこころがあなたを大切に想ってくれていることは私にとっても嬉しいことです。
 
だから私へと不安を感じてくれている=あなたの心があなたを慎重に大切に想ってくれていること=あなたの不安は私にとっては嬉しい気持ちなんですね。
 
同じように。。。
 
日々私の安心と安全のために、自然と不安を感じてくれている私のこころへと。。。。
 
私から私のこころへ心配してくれてありがとう。。。
 
不安のぶんだけ、私のこころは無意識に私を慎重に大切に想ってくれている。。。
 
私のこころが私を大切に想ってくれていることは私にとっても嬉しいことです。
 
だから。。。
 
いつも無意識に私を心配してくれる私のこころに私から【心配してくれてありがとう】って想いを届けてあげたいです。
 
そうすると、不安を感じてくれている私のこころも嬉しくなってくれて、私のこころに嬉しさや安心=(^-^)な気持ちが増えるかもしれませんね(^-^)
 
【不安】に込められたメッセージとは、安心できていない=【安心したい】って願いだと私は思っています。
 
【不安】とは、【ほっと安心したい】って感情なんだなって私は思っています。
 
なので。。。
 
不安を感じてくれている私に。。。
 
心配してくれてありがとう。。。
 
安心したいよね。。。
 
って、私がリアクションを届けてあげると私のこころに嬉しさや安心=(^-^)な気持ちを増やしてあげられるんじゃないかな?って私は思っています。
 
そして、【心配してくれてありがとう】っていう私からの想いを、不安を感じてくれている=安心を探してくれているあなたが受け取ってくれた時、あなたのこころに【ホッとした安心=(^-^)な気持ち】が増えてくれたら、私のこころにも【嬉しい=(^-^)な気持ち】が一緒に増えますね。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 21時19分--

防衛機制は心のギブス:無気力とは心の省エネモード?

何かをしなきゃいけない!と頭ではわかっているし、何とかしようとしているのに、人知れずモワッ〜っと脱力した気持ちを感じることになってしまって、いろいろなことになかなか取り組みづらい。
 
もしかしたら、そんな心の働きにお困りな方もいらっしゃるのかもしれませんね。

まずは無気力をクールに捉えてみましょう。

無気力とは、読んで字のごとく、気力が無いと言えるわけですが、見方を新しくしてみれば、力を抜くことができているとも言えるのかもしれません。
 
大丈夫(^_^)だからあきらめてってことではないので。
 
つまりあなたの心に起こってくれていることですもの、きっと何かあなたにとってプラスの意図があるんじゃないかな?って、私は思うわけですね。
 
なので、心の大切な役割のひとつである無意識が、自動的に力を抜いてくれている。と捉えてみることも、あなたの未来に望ましい進展を促すためのひとつのアイデアなのかもしれない。ってことなのですね。
 
では、無意識はどんな意図があって自動的に力を抜いてくれているのでしょうかね?
 
私がいろいろなクライアントさんとセラピーを過ごしているなかで感じるのは、無意識は自動的に何かに備えてくれているんじゃないかな?ってことですね。
 
パソコンでいえば、スクリーンセイバーのような、スマートホンで言えば、省エネモードとでも言いましょうか。
 
ある意味、無意識は残り少ない、もしくは限りあるエネルギーを、無気力にすることで少しでも温存しようとしてくれているんじゃないかな?って、私はふと感じることが多いです。

無気力とは、電池が無い。ガソリンが無い。ってことかもね。

 
ここで無意識の個性を考え合わせてみると、無意識は願いや想いや気持ち=英語で言えば【WANT】=日本語で言えば【本音&本心】を大切にしたがるわけなので、あなたがあなたの本音や願いを叶えていってあげれば、そのぶん無意識は喜んでくれて、自動的に心的エネルギー=やる気を蓄えてくれるわけですね。
 
なので、願いを叶えることができると元気が出たり、想いを伝えることができると明るくなれたり、気持ちのまま盛り上がることができるとスッキリできたり、本音を打ち明けられると気分を軽くできたりするわけですね。
 
ということは、無気力を感じることができているということは、あなたの心的エネルギーが不足傾向にあること。つまり義務や命令や役割=英語で言えば【MUST】=日本語で言えば【しなきゃ、すべき、あるべき】が、ここ最近優先されがちであることを無意識は自動的に察知してくれて、自動的に省エネモード=無気力にしてくれて、少しでも心的エネルギー=やる気を温存してくれている。とも言えるのかもしれません。
 
やる気が出ない=無気力ということは、やる気というエネルギーがあるのに出せていない!というより、やる気=心的エネルギーそのものが不足しているので、いくらアクセルを踏んでも=やらなきゃ!と気合を入れても、なかなか進みづらい状態。ということなのかもしれませんね。
 
義務や命令や役割=英語で言えば【MUST】=日本語で言えば【しなきゃ、すべき、あるべき、気合、頑張らなきゃ、我慢しなきゃ】は、自動車で例えたら一時的な使用を前提にしたターボ機能みたいなものなので、継続してターボを使い続ける状況が長く続いてしまえば、どんどんとやる気=心的エネルギー=自動車で言えばガソリンが消費されてしまって、ゼロに近づいてしまいわけですね。
 
自動車でもガソリンがゼロになってしまえばガス欠となって見動きが取れず、自力でガソリンを補給することすら難しくなって、大変なことになってしまうでしょうね。
 
それと同じように、心もやる気=心的エネルギーがゼロになってしまえば、ダウンすることになって見動きが取れず、やる気=心的エネルギーを増やすための元手のやる気も不足して、大変なことになってしまうでしょうね。
 
自動車であれば、JAFさんやみなさんの助力でガソリンスタンドまでたどり着けば安心できるのですが、あなたの心のガソリン=やる気を増やしてあげられるのは、あなただけができることなので、あなたがダウンしてしまっては、再び自然に走れるようになるまで、たくさんの時間がかかってしまうのかもしれません。
 
なので無意識は、やる気=心のガソリンのガス欠状態だけは何とか避けるために、やる気=心的エネルギーが不足してくると、自動的に無気力=省エネモードにしてくれて、あなたがあなたを労わってくれることを、じっと待っていてくれているのかもしれませんね。
 
なので、あなたが無気力を改善してあげたいのなら、少しばかりあなたの本音を優先していく=したいことをしてあげていく時期を用意してあげて、心のコンディションを整えてあげることも、ひとつのアイデアなのかもしれませんね。
 
とはいえ、本音を大切にしたいのだけれど、肝心の本音が見えづらかったり、MUSTとWANTの区別が難しかったりすることもとても自然なことなので、あなたにお望みいただければ、あなたの心のコンディションを整えていくサポートをさせて頂きたい!という私の本音が叶って私は嬉しいですし、本音が叶って嬉しいぶんだけ、私の心のガソリン=やる気も増えていってくれるんですよね。
 
いつの日か、そんな素敵な機会に恵まれるときが来ることを私もゆっくりと願っています。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時17分--

防衛機制は心のギブス:自分は苦しめられている⇒自分は苦しんでいる。

耐えられないほどのあなたの苦しさはどこからやってくるのでしょう?
 
私が思うのは、あなたが感じている苦しさは、大きくわけてふたつの苦しさが混ざったものなんじゃないかな?ということです。
 
ひとつ目は、あなたの外からやってくる苦しさ。いわゆるきっかけですね。
 
あの人にわかってもらえなかった。
 
みんなにイジメられている。
 
職場の環境が苦しい。
 
仕事で失敗した。
 
つまりひとつ目は、あなたの外からやってきて、あなたが最初に感じることができた苦しさ。
 
わかりやすく言えば苦しさの出発点ですね。
 
もうひとつは、あなたの外からやってくる出発点の苦しさをあなたがさらに膨らませている二次的な苦しさ。
 
あの人にわかってもらえない自分が悪い。
 
みんなにイジメられている自分がいけない。
 
職場に馴染めない自分が弱い。
 
仕事の失敗を防げなかった自分の努力が足りない。
 
さて、あなたが周りの出来事から苦しさ感じた後、次のようにしてあげることで、あなたの苦しさは和いでいくとあなたは感じることができますか?
 
例えば、今苦しいからこそ。。。
 
自分がもっとうまく話せるようになって、あの人にわかってもらわなければならない。
 
自分がみんなみたいな人間になって、いじめられない様にしなきゃいけない。
 
自分が強くなって、職場に馴染めるようにならなきゃいけない。
 
自分が自分にもっと厳しくなって、仕事で失敗しない様にならなきゃいけない。
 
さて今苦しんでいるあなたに、今からあなたがこうしてあげることで、苦しいでいるあなたの苦しさを、あなたが和らげることができるとあなたは感じることができますか?
 
もしこの記事をここまで読んでくださって、たしかにこのままでは結局は苦しいままなのかも?と、あなたが気づくことができたのなら、もう少しこの記事を読んでみてもマイナスではないのかもしれません。
 
例えば先ほど書かせて頂いた、あなたの外からやってくるひとつ目の苦しさ=きっかけの苦しさを、あなたの心に灯った「火」に例えてみましょう。
 
あなたが周りの世界の出来事から苦しい気持ちを感じたとき、あなたの心に「苦しさをいう火」が灯ったとしましょう。
 
あなたの心に「苦しさをいう火」が灯った時。
 
その「苦しさをいう火」に向かって、
 
「自分が悪い」
 
「自分がいけない」
 
「自分が弱い」
 
「自分の努力が足りない」
 
という想いを、あなたまでもがあなたに届けてしまっては、あなたの心にある「苦しさをいう火」を、あなた自身がうちわであおってしまうような気がしませんか?
 
いうなれば、先ほど書かせて頂いたふたつ目の苦しさは、あなたの心に灯った「苦しさという火」を、あなた自身が「うちわ」であおってさらに大きくして上乗せしてしまった苦しさ。とも言えるのかもしれませんね。
 
つまりあなたの心に灯った「苦しさという火」を、あなた自身が「うちわ」であおって、さらに大きくしてしまっているんじゃないかな?って私は思います。
 
もしそうだとしましたら、あなたの苦しさを終わりにするチャンスは、あなた自身もちゃんと持つことができているということですね。
 
確かに、きっかけはあなた以外が持っているかもしれません。
 
親や同級生や友人や上司や世の中や家族や会社や仕事が変わってくれない限り、あなたの苦しさに終わりはない。とあなたが思えてしまっていても、今までは無理のなかったことだろうなと私も思います。
 
でも、あなたの心に灯った「苦しさという火」を、あなた自身が「うちわ」であおるところに今からでも工夫を求めれば、今苦しんでいるあなたは、今よりそのぶん安心出来ていくのかもしれません。
 
なので、今からあなたが望んであげれば、あなた自身の工夫で、あなたの苦しさを和らげてあげていくことも、未来にかなっていくだろうなとも私は思います。
 
灯台もと暗し。。。
 
灯台のように、周囲の変化に注目すればするほど、周囲の変化に期待すればするほど、周囲の変化に敏感になり、周囲の変化に一喜一憂することになり、あなたはもっと苦しくなってしまうのかもしれません。
 
でもふと落ち着いて、灯台の根本=あなたの胸元=あなたの心に注目してみれば、あなたの望みを叶えていけるヒントが、案外近くに見つけ出すことができることにもあなたは気づいていけるのかもしれません。
 
なので、今まで通り周囲の変化にも期待しつつ、これからは自分自身にも期待してみる機会を増やしてあげていくことで、もしかしたら、今までより確実に、あなたの苦しさを和らげてあげることができていくのかもしれません。
 
そんなお手伝いをさせて頂くことができたら私もとても嬉しいです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時09分--

そもそも心理ってなんだ?それはどんな時どんな気持ちを感じてきたか?という個性。

心理テストとか、心理カウンセリングとか、心理って言葉を良く聞きますね。
 
でも、心理ってなんだ?って聞かれると、案外、ん?って、みなさん感じられるかもしれませんね。
 
今回は心理ってなんだ?ということで記事を書いてみますね。
 
心理とは、電卓で【1+1=】と押すと【2】と出てくること。
 
つまり心理というのは、ある【入力】があると、自動的にあるものを【出力】してくれる(してしまう)心の働きのことを言ます。
 
心はある【入力】があると、あるものを自動的に【出力】してしまうというわけです。
 
じゃあどこから【入力】されるの?ってことになりますが、それは、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、身体感覚=【五感】から【入力】されます。
 
視覚、嗅覚、聴覚、味覚、身体感覚に、なんらかの刺激が起こると、心は自動的にあるものを【出力】してくれます。(してしまいます。)
 
じゃあどんな【出力】がされるの?ってことになりますが、それは、嬉しい気持ち、悲しい気持ち、楽しい気持ち、怖い気持ち、心配な気持ち、心地よい気持ち、嫌な気持ち。。。。。
 
数え上げればきりがありませんが、【出力】されるのは、いろいろな気持ち=【感情】ってことですね。
 
反対に言うと、何か出来事が起こって、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、身体感覚=【五感】が何らかの情報をキャッチすると、心は自動的に気持ち=【感情】を感じさせてくれるということですね。
 
この何か出来事が起こって、視覚、嗅覚、聴覚、味覚、身体感覚=【五感】が、何らかの情報をキャッチした時に、心が自動的に気持ち=【感情】を感じさせてくれる働きを【心理】って言うわけですね。
 
なので、まずひとつ大切なのは、電卓で【1+1=】と押したとき、あるときは【2】が出るように、あるときは【3】が出るようにと、電卓の出力を自分では選べない様に。
 
心理も【ある出来事】を感じ取ったとき、あるときは【嬉しさ】を感じられるように、あるときは【悲しさ】を感じられるようにとは、残念ながら選べない。ということですね。
 
つまり【心理】は基本的に自動なんだってことですね。
 
もし自動じゃなかったら、スポーツは面白味をなくしてしまうでしょうし、ゲームだって、遊園地だって、映画だって、気持ちの自然な変化=心理の変化を楽しむものはみな面白味をなくしてしまうでしょうね。
 
さて、あなたはどんなときどんな気持ちを感じますか?
 
つまりあなたはどんな【心理】を心に備えていますかね?
 
私を例に【心理】を書き綴ってみますね。
 
まず、今も今までも私は、
 
【目でワンちゃんをキャッチする】と【可愛いな】という気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっています。
 
【鼻でカレーの匂いをキャッチする】と【美味しそうだな】という気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっています。
 
【耳でオルゴールの音をキャッチする】と【ホッ】とした気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっています。
 
そして、ある時までの私は。。。。
 
【目で不機嫌そうな人の顔をキャッチする】と【怖いな】という気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっていました。
 
【耳で自分の言葉を無視された感覚をキャッチする】と【イライラ】という気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっていました。
 
【耳で人のヒソヒソ声をキャッチする】と【ソワソワ】という気持ち=【感情】を感じる【心理】をもっていました。
 
なので、ある時から私は。。。。
 
【目で不機嫌そうな人の顔をキャッチする】と【まぁいいか】という気持ち=【感情】を感じる【心理】にアップデートしていきました。
 
【耳で自分の言葉を無視された感覚をキャッチする】と【他のコト考えてるんだな】という気持ち=【感情】を感じる【心理】にアップデートしていきました。
 
【耳で人のヒソヒソ声をキャッチする】と【なんか話してるね】という気持ち=【感情】を感じる【心理】にアップデートしていきました。
 
そうやって【心理】をアップデートしていくことで、日々感じる気持ち=【感情】が望ましい方向に感じられることが増えていきました。
 
【心理】は自動なんだけど、アップデートは全然できるということですね。
 
言いかえるなら【心理】は、【今までの体験で収集したデータ(ワンちゃん=可愛い、オルゴールの音=ほっとしてもよい、不機嫌な顔をしている人=怖い。。。など)】を自動で【出力】してくれる働きなけですね。
 
この【心理】の働きを行っている部分を、心理学的な専門用語では【無意識(潜在意識)】と言います。
 
いわば、【心理】は、心の【無意識】という部門が【過去の体験というデータやマニュアル】を忠実に守って、気持ち=【感情】を、自動で【出力】してくれる働きなけですね。
 
なので私は、【過去の体験というデータやマニュアルの内容】を紐解いて、今現在の私に望ましい気持ち=【感情】にアップデートすることにしました。
 
それ以来、心の【無意識】という部門は、私がアップデートした価値観に沿って今現在の私に望ましい気持ち=【感情】を、自動で【出力】し続けてくれるようになったわけですね。
 
この時の【過去の体験というデータやマニュアル】を時間を掛けてゆっくりとアップデートする作業を心理セラピーと言います。
 
さて、あなたは心にどんな【心理】を備えていますか?
 
その【心理】は、あなたにとって望ましい気持ち=【感情】を、今までも今も【出力】してくれていますか?
 
もし望ましくない【心理】を備えていることに気づくことなく、日々生活していたら、望ましくない気持ちを量産することになってしまっても不思議ではないわけですね。
 
でももし望ましくない気持ちを生み出す【心理】を望ましい気持ちを生み出す【心理】にアップデートしてみれば、日々生活しているだけで、望ましい気持ちを量産することになっていくかもしれませんね。
 
もし望ましくない【心理】を備えていることに、あなたが気づくことができたのなら、今からでも【心理】をアップデートしてみることも、あなたがもっと幸せを感じることができるためのひとつのアイデアなのかもしれませんね。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時00分--

防衛機制は心のギブス:人にどう思われているか?が気になる心理は、今以上、人に傷つけられないように守ってくれているのかも?

人目が気になってしかたがない。
 
人にどう思われているか?が気になってぎくしゃくしてしまう。
 
人に合わせ過ぎて疲れてしまう。
 
もしかしたら、自然に人知れず反応してしまうこんな心理=心の働きを感じとることができている方もいらっしゃるかもしれませんね。
 
自分の想いや願いを大切にするよりも、なぜか?周囲の人の想いや願いの方を優先してしまうかのような心の働きに振り回されてしまって、苦しい想いをしてしまっている方もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。
 
さて、なぜ?あなたの心は、自分の想いや願いよりも周囲の人の想いや願いを優先してしまうのでしょうかね?
 
自信がないから?
 
自分がわからないから?
 
気が弱いから?
 
意志が弱いから?
 
捉えかたによってはもしかしたらそうなのかもしれませんが、でも同時に私はこう思います。
 
それは、あなたの心が人知れず懸命にあなたを守ろうとしているからじゃないかな?って私は思います。
 
ボクシングのガードのように、今は積極的チャレンジしていく時期にはなりづらい理由、相手に合わせてやりくりする必要が、なにか?あなたの心にあるからじゃないかな?って私は思います。
 
それってなんでしょうね(^-^)
 
それはもしかしたら、今まで人とのやり取りで傷ついたことがあって、その時の傷が今も癒えきれていないからなのかもしれません。
 
自分の想いや願いを周囲に発信していくことは、チャレンジなことでもありますので、もしかしたら受け入れてもらえなくて、かえって苦しい思いを増やしてしまうリスクもあるってことなんですよね。
 
もしそうだとしましたら、今傷ついたままにやみくもにチャレンジしていくことは、未来のあなたがさらに苦しくなってしまうリスクもあるということですね。
 
なので、人にどう思われているか?が気になる心の働き=心理は。。。
 
あなたが今以上苦しい思いをしないで済むように。。。あなたの心が無意識にガードを固めて、あなたを懸命に守ろうとしてくれている。とも言えるのかもしれませんね。
 
これ以上にマイナスを増やさないようにしてくれている慎重な心持ち。。。
 
あなた一人では自分にとってマイナスに感じられてしまう心の働き=心理のなかにも、おそらく今あなた一人では見えづらい思いやりやプラスの要素があるものだろうなと私は思っています。
 
あなた一人ではわかりづらい心の働き=心理を私とあなたのチームワークで紐解いていく。
 
そんな素敵なお手伝いをさせて頂けたら、私も嬉しいものです(^-^)

©2012-メンタル心理そらくも
-- 19時30分--