疲れた死にたい理由は、いい加減ホっとしたい!
疲れた死にたい!は、限界まで頑張った…ということでは?
疲れた死にたい!
もう早く死にたい…人生疲れた消えたい…死にたい助けて…
カウンセリングの現場で、私がいろいろな方達から聞かせていただいている気持ちです。
とはいえ、恐縮ながら私はふと思うのですが、疲れた死にたい!と本気で想っているのなら、なぜわざわざ私に教えてくれるのだろう?
この記事は、『疲れた死にたい!』という感情に真摯に向き合った記録です。
疲れた死にたい…は、本当に死にたいわけじゃない…
トイレに行きたい!という気持ちを本気で満たしたいのなら、わざわざ誰かに話して教えるまでもなく、一直線にトイレに向かっているように私は思います。
なので、疲れたもう死にたい!という気持ちを本気で満たしたいのなら、わざわざ私に話して教えるまでもないのではないかな?と私は思うわけです。
ということは、言葉では、疲れた死にたい!と表現するものの、胸のうちでは死にたいわけではないんだろうな…と私は思うわけです。
もしかしたら、疲れた死にたい!という想いは、はるかずっと前からあなたの心に響き続けているのかもしれません。
(関連:アダルトチルドレンという捉え方)
(関連:アダルトチルドレンの本当の意味)
疲れた死にたい…は、本当はどうしたいのか?
この前私は、自殺を計ったのだけれど、今も命ある方達とお話しさせて頂く機会に恵まれました。
自殺を企図し、線路に飛び込んで片腕を失ったのだけれど、今も命あるAさんのお話しが印象的でした。
「疲れた死にたい!という気持ちは、橋から線路に飛び込んだ瞬間にスッキリ満たされてしまい、次の瞬間から後悔が始まっていました。」
Aさんは、このような言葉で、疲れた死にたい!という気持ちと、その気持ちを満たそうとした時の瞬間的かつ貴重な心理を私に聞かせてくださいました。
なるほどなぁと私は深く深く思いました。
広い視野で考察してみれば、甘いものを食べてはいけないのに、どうしても甘いものを食べたい気持ちを抑えきれそうにないとき、ついつい甘いものを食べてしまった瞬間は、一瞬、心が満たされるのだけれど、次の瞬間からはすで後悔が始まっている…このような心理と似ているのかもしれないな?と私は感じました。
そう言う意味では、疲れた死にたい!という気持ちは、死のうとし始めた瞬間に満たされてしまって、次の瞬間から後悔が始まってしまうわけですから、疲れた死にたい!という気持ちを死のうとすることでスッキリと満たそうとししても、必ず後悔が生まれてしまうので、案外、難しいことなんだな…と、私はふと感じました。
ただ、これは私の推測にすぎません。
私の疑問を確かめるには、死んだことのある人に確かめるしか方法がないのだけれど、死んだことがあって今も生きている人は残念ながらこの世の中にいるわけもないので、これ以上、この路線で考察することは今は脇に置いておきます。
ともあれ、疲れた死にたい!という気持ちは、一体、どういう欲求なのか?と、私は興味を感じ始めました。
疲れた死にたい!という気持ちを紐解いていくと…
では、疲れた死にたい!っていう気持ちには、どんな欲求が隠れているのでしょうか?
心理療法のひとつであるフォーカシングという技法を使って、疲れた死にたい!という気持ちを紐解いてみましょう。
もうたくさんだ…
日々生きているだけで苦しさが増えていく…
職場に行けば行くほど、学校に行けば行くほど、
親子でいればいるほど、夫婦でいればいるほど…
満たされない苦しい気持ちや、抱えきれない不安や、わかってくれない不満が、生きているだけで増え続けてしまう…
もうたくさんだ…
この苦しい気持ちが増え続ける流れを終わらせたい…
この苦しい気持ちが増え続ける流れを変えてホッとしたい…
疲れた死にたい!という気持ちを、フォーカシングで紐解いていくと、上記のようなメッセージが隠されている場合が多かったりします。
(関連:わかってもらえない不満とわかって欲しい期待が連鎖する苦しさ。)
疲れた死にたい!は、もう限界だホッとしたい…
気持ちをお金に例えれば、日々働けば働くほど、なぜか苦しい気持ち=借金が増えていってしまうとしたら、苦しい気持ち=借金を増やさないようにするために、苦しい気持ちが増えていくこと自体を終わらせる=生きることを終わらせたい=疲れた死にたい!って感じることは、ある意味無理のないことではないかな?と私は思います。
同時に、疲れた死にたい!っていう気持ちは、苦しい気持ちが増え続ける流れを終らせたいっていう欲求なんじゃないかな?と私は思っています。
もしそうだとしましたら、苦しい気持ちが増え続けていく流れだけを終わらせればいいのに、生きていることそのものを終わらせようとしてしまっているわけだから、迷いもあるし納得しづらい方が自然なのだけれど、他にいい感じの手段も見当たらず、辛い思いを募らせているってことなんじゃないかな?と私は感じています。
では、疲れた死にたい!という気持ちに隠れている欲求をひとつひとつ紐解いていくと…
(関連:アダルトチルドレンチェックリストへ)
「もう疲れた死にたい!」
「苦しい気持ちが増え続けるのはもうたくさんだ!」
「苦しい気持ちが増え続ける流れを終らせたい!」
「苦しい気持ちが増え続ける流れを終らせてホッとしたい!」
このようになっていく場合が多いです。
つまり疲れた死にたい!という気持ちのなかには、
「苦しい流れを全部止めてホッとしたい!」
「もう限界なのでいい加減ホッとしたい!」
「逃げ出したい!投げ出したい!」
このような気持ちが隠されている場合があります。
(関連:インナーチャイルドの訴え)
疲れた死にたいをカウンセリング
なので、カウンセリングの中で、慎重に慎重にこのような認知の修正を行っていきます。
「疲れた死にたいって感じるってことは、死にたいくらいに疲れたってことなのかもしれませんね。」
「頑張っても頑張っても苦しさばかりが増え続けてしまうのですから、とてもガックリきてしまう方が自然なんじゃないかな?と私は思います。」
「言い換えれば、死にたいくらいに疲れたので、いい加減、全部を忘れてホッとしたいってことなのかもしれませんね。」
このように、「疲れた死にたい!」という気持ちをカンセリングしていくと、「死にたいくらいに疲れた…」にシフトしていきます。
そうすると、自分は疲れたから死にたいわけではなくて、死にたいくらいに疲れているから、いい加減、ほっと休みたいんだ…という真の欲求にお気づきになる方が多かったりします。
(関連:死にたい理由は、生まれ変わりたいから!)
世の中が止まってしまえば、案外、心はホッとする…
そこで…
「もしDVDを一時停止するみたいに、世の中全部が止まって、あなただけが動けるとしたらホッとした気持ちを感じることができるかもしれませんね」
とお話しすると、みなさん、「そうかもしれません。」と仰ってくださいますね。
お仕事場やご家庭や学校で、周囲に振り回されたり、周囲から押し付けられたりして、死にたいくらいに疲れている…このような心の模様が見えてきます。
そして、ヒプノセラピーで、【DVDを一時停止して、世の中全部が止まっているのだけれど、あなただけが動けている世界をイメージの中でたくさん味わうセラピー】を体感したりすると、静寂や静けさを感じ、ようやくホッとした気持ちが味わえて、疲れた死にたい!という気持ちが和らいでいくことがあることも多かったりします。
現実を変えなくても心は癒せる…
例えば、スポーツでもタイム!があるように、とても焦り苦しんでいる方は、世の中が一旦停止すれば、焦りを感じる必要がなくなって、ホッとした気持ちを感じることができるわけですね。
もちろん、ドラえもんがいれば現実でもできるかもしれませんが、心=脳は、現実も空想も区別なく心を変化させてくれるわけですから、セラピーという機会で集中してイメージすることで、イメージトレーニングや映画鑑賞のように空想で心を癒し、ホッとした気持ちを生み出すこともできるわけですね。
つまり、疲れた死にたい!という気持ちは、死ぬことではなく、全部忘れてホッとしたいという欲求なので、全部忘れてホッとしたいなら、心理セラピーという空想のパワーでホッとした気持ち=安心を生み出し味わうこともできます。
なので、心理セラピーでホッと安心できて落ち着きを取り戻していけば、自然と、疲れた死にたい!という気持ちが和らいでいってしまうことも多々あったりするのも確かだということですね。
(関連:カウンセリング&セラピー当日の流れの説明)
お風呂にお湯が注がれていって、満杯になれば誰だって蛇口を止めたいものですね。
それと同じように、苦しい気持ちが心に注がれていって、心が苦しい気持ちで満杯になり溢れ出せば、誰だってこれ以上苦しい気持ちが入ってこないようにしたいものですよね。
その時、心という器ごと消し去ろうとすることも、望むならひとつの方法なのかもしれませんが、心理セラピーという方法で、現実に惑わされることなく、確実に心をホッと癒してみるのも、ひとつのアイデアなのかもしれませんね。
心に満杯にある苦しい気持ちを発散して減らしていくのも心理セラピーだし、苦しさが注ぎ込まれる心の蛇口を調整できるようになるのも心理セラピーだし、注ぎ込まれた苦しさを心の外に排出しやすくすることも心理セラピーなわけですね。
現実の生活で手詰まりなら、心理セラピーという現実の生活以外の新しい手段で心のコンディションを整えてみて、手詰まりの現実にあらたなチャンスを育んでいくのも、新しいアイデアじゃないかな?と、私は思っています。