うつ(鬱病)克服:不安を膨らませる方法を知って不安を和らげはじめよう!

うつ(鬱病)の方からも、そうでない方からも、「不安で仕方ないんです。。。」
 
という気持ちを良く聞かせて頂くことが出来ていますね。
 
さて、不安を和らげるには何が必要なのでしょうかね?
 
まず、シンプルにできる不安を和らげ始める方法は
 
「不安で仕方ないんです。。。」っていうつぶやきや想いを、「不安で仕方ない私がいるんだよね〜。。。」っていうつぶやきや想いに置き換えてみることですね。
 
ポイントは【私がいる】というフレーズをプラスすることで不安を肯定できていること、加えて【***なんだよね〜】というフレーズをプラスすることで、不安な自分と共感できていることですね。
 
肯定=不安の居住権を認めてあげて、共感=安心を届ける。。。。
 
それは、一人でも全然できることなわけで、それをできるようにしてあげていくことが、私の理カウンセリング&心理セラピーの大切なテーマのひとつでもあるわけです。
 
自分一人でも、不安を肯定⇒不安な自分と共感できて、不安に安心が混ざって、不安に安心を混ぜて和らげてあげていくって言うのが、私が知っている一番シンプルな方法なのですが、この方法は、私の心理カウンセリング&心理セラピーでいろいろ体感することで、内面的にもっと和らぎを感じやすくなるものでもあることも、併せてお伝えさせていただいておきますね。
 
つまり、私の心理カウンセリング&心理セラピーの大切なテーマのひとつに、クライアントさん自身でクライアントさんの心をケアできるようになること。というのがありまして、私の心理カウンセリング&心理セラピーを体感してから、「不安で仕方ない私がいるんだよね〜。。。」っていうつぶやきや想いを自分が自分に届けてあげることで、クライアントさんお1人でも、片手間に不安を和らげることが出来るようになったり、クイックに安心を膨らませるようになっていく作業を、私は私なりのセルフケアって呼んでいます。
 
クライアントさん自身のお気持ちでセルケアを進めてくだされば、セルフケアを進めていくに当たってのアフターフォローについて私はお金をいただきたいとは思っていませんので、セルフケアの方法を学びたくて=体感したくて、遠方から当方の心理カウンセリング&心理セラピーを御利用になる方も結構いらっしゃったりしますね。
 
私が言う主なんですが、確かに自分で自分を癒せるようになったり、自分で自分を安心させてあげられるようになれば、通い続けることも周囲の意見に惑わされる可能性もグンと減るわけですから、遠方からお越しくださる方のお気持ちはとても理にかなっているな。なるほどなと私も日々思っています。
 
まぁ宣伝チックはここまでにして、さてさて不安を和らげる方法については、ほかにもそれぞれいろいろ知っている方も多いかもしれませんが、その方法について深く納得するためには、まず反対に不安を膨らませる方法を知ってみることで、不安の個性を知ってみるということも、ひとつの方法なのかもしれませんね。
 
大昔の孫氏(そんし)って人が大昔にすでに言っていますが、
 
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ってことですね。
 
つまり、不安という相手のことをよく知って、加えて不安を抱えている自分のことをよく知ってみれば、不安について広い視野でいろいろわかってきて、お互いに=不安な自分&不安を解消したい自分=自分たちというチームにとって望ましい結果を得やすくなるだろうってことですね。
 
さてもしかしたら、この記事を期待して読み始めてくださったのに、ここまで読んで、なーんだってガッカリして記事を読み終えようとしてくださっている方もなかにはいらっしゃるかもしれませんね。
 
もしあなたが、不安で不安で仕方なくて、この記事に期待してくださって、ここまで読んでくださって、今ガッカリしてくださっているとしたら、おそらく不安が和らがない理由はソコにあると私は思います。
 
つまり、そんなあなたは不安にうんざりして不安を嫌がっているか?
 
不安に怯えて不安を消し去りたいと思っているか?ではないでしょうか?ってことですね。
 
もしかしたら、いつの頃からか、不安=気が小さい=情けない=恥ずかしい=いけない=悪い!と錯覚せざるを得ない歴史があったのかもしれませんね。
 
もしそうだとしましたら、あなたが不安を和らげることができない理由は、不安を嫌がっていることであり、不安を消し去ろうとしていることであり、不安=いけない!って思い込んでしまっていることだと私は思います。
 
つまり、不安を嫌がる心理、不安を消し去ろうする心理、不安=いけない!って思い込んでいる心理そのものが、不安を膨らませてしまっているのではないでしょうか?ってことですね。
 
なぜですか!?
 
はい(^_^)それはとてもシンプルです。
 
なぜなら、どんな感情でも否定すれば膨らみ、認めれば和らぐからですね。
 
例えば、笑いたい!という望ましい気持ちだって、否定すれば膨ませることができて、結果、苦しみに変えることもできますね。
 
私はあるとき、こんな心理分析をしたことがあります。
 
父親の法事という神妙な席で、私の目の前にお坊さんが座っていたんです。
 
そして、目の前でお経を読んでくださっているお坊さんの頭にフラフラ〜とハエが止まってしまったんですよ。
 
私は当然に「笑いたい!」って気持ちを感じることができましたが、その時、こんな風にも思ったんです。
 
もし「笑いたい!」って気持ちをあえて「笑っちゃいけない!」って堪え続ける=否定し続けたらどうなっちゃうんだろう??って思ったわけです。
 
まぁ思い返すと、職業病とも言えるかもしれませんが、これだけ「笑いたい!」って気持ちをこれだけ「我慢しなきゃ!」って抑えることができる時も早々ないだろうなと感じて、「笑いたい!」って気持ちを「笑っちゃいけない!」って堪え続ける=否定し続けることにしてみたわけですね。
 
そうすると、「笑いたい!」って気持ちと「笑っちゃいけない!」って考えがどうしよう?どうしよう?ってシーソーみたいに揺れ動いて、もじもじしてきて、ドキドキしてきて、とても苦しくなることができたわけです(^_^)
 
私も幸いにして心理の専門家ですから、表面的には誰にも知られることなく、「笑いたい!」って気持ちを和らげることもできてことなきを得ることができたわけですね。
 
どうしたか?って(^_^)
 
それはとてもシンプルですね。
 
「笑いたい!」って気持ちを感じながら、「笑いたい俺もいるんだよな〜。でも、笑っちゃいけないって考えてくれている俺もいるんだよな〜」っていうつぶやきや想いを、胸をさすりながら自分の心に届けることで、「笑いたい!」気持ちも「笑っちゃいけない」という考えも和らいで、苦しさも終わらせることができましたね。
 
つまり、「笑いたい!」って気持ちと「笑っちゃいけない」って考えは、正反対に向かおうとしているので、どちらか一方だけを選ぼうとすると、どちらかが無視されるので、無視されたり抑えられた側がかえって膨らんでしまって、どんどん盛り上がって苦しくなってしまうわけですね。
 
でもまずは、両方とも俺の中にあるんだよな〜って、両方ともある=0(ゼロ)じゃないってことさえ認めてあげれば、案外和らいで扱いやすくもなってくるわけですね。
 
なので、不安も嫌がれば否定することになってしまって膨らんでしまっても自然でしょうし、不安も消し去ろうとすれば同じく否定することになってしまって膨らんでしまっても、残念ながら自然なことだろうなとも私は思えてしまいます。
 
反対に言えば、今あなたが辛いくらいに不安を感じているとしたら、その半分以上は、あなた自身が膨らませているかもしれないということですね。
 
ということは、不安を和らげることができるチャンスは、あなた自身の不安の扱い方次第で、大逆転もありうるということだと私は思っています。
 
とはいえ、不安を認めるということは、不安のまま耐え続けるってわけでもないんですね。
 
耐え続けるってことは、目を反らす&堪える=否定しているので、怖さを我慢しているのと同じく、かえって不安が膨らんでしまうだろうなと私は思います。
 
なので、杓子行儀ではありますが、大前提としては、不安を受け入れるってことになってしまいますね。
 
ここまで読んでくださって、不安を受け入れるって聞いて、ガーンとガッカリしてくださった方もなかにはいらっしゃるかもしれませんね。
 
でもそんなあなたは、不安を受け入れる=不安に降参することになって不安がずっと続いてしまう。。。って、苦しい思い込みで不安を捉えていたりしませんか?
 
もしそうだとしても、大丈夫(^_^)
 
もし、私が不安を受け入れる=不安に降参することになって不安がずっと続いてしまう。。。って思い込んでいたとしたら、不安を受け入れるって聞いたとたんに、やっぱりガーンとガッカリしているだろうなと私も思いますし、今まで不安で嫌な思いをず〜っとしてきたわけですから、結果的に苦しい思い込みをするしかなかったとしても、無理のなかったことだろうなと私はひとり思っていますし、苦しくもあったことだろうなとも私は思っています。
 
でも不安を受け入れるということは、不安に降参するわけでも、不安に染まるわけでも、不安が続いてしまうわけでもないわけですね。
 
本当はその反対で、不安を受け入れることで、不安が終わり始めていくってことなんですね。
 
つまり不安を受け入れるってことをシンプルに表現すれば、不安が0(ゼロ)じゃないねってことにさえしてあげればまずは充分なわけですね。
 
なので不安を感じたら。。。
 
私は不安が嫌だけど、嫌だって感じるってことは不安があるってことなんだろうな。
 
私は不安を認めたくないけど、認めたくないってことは不安があるってことなんだよね。
 
私は不安じゃないと思いたいけど、もしかしたら不安だったりするのかもしれない。
 
不安はとても嫌な感じだけど、でもいつか不安をみつけて和らいだらもっといいなって思えるようになれたらいいな。
 
不安を感じてしまっている以上、こんなふうに無責任に感じられてもくどくてもOKなので、まずは不安が0(ゼロ)じゃないねっていう思いを心に届けてあげれば、それだけで充分受け入れていることになるわけですね。
 
不安を受け入れるってことは、残念だけど不安は0(ゼロ)じゃないねって、嫌だけど不安は0.1か0.01かはあるんだろうねって、極小でも不安の居住権だけは心に認めてあげて心に不安を居させてあげながら、一緒にいろいろやってみて、いろいろやってみて感じられるいろいろな気持ちを混ぜご飯みたいに不安に混ぜてあげて、未来の自分のために、不安を薄めたり和らげたりしていってあげるってことなんですね。
 
そうやって受け入れる=不安の居住権は認めてあげていくことで、はじめて不安に変化を加えることができるわけで、嫌だ!と頑として居住権を認めなかったり、消し去ろうと居住権を認めなかったりすると、不安は落ち着き場所を求めてかえって活発に反対運動を始めるわけですし、不安はないことになってしまっているので、そもそもないものを和らげようもないってことにもなってしまって、ずっと一時停止したままってことになってしまいますね。
 
ないってしちゃったら、ないものはないので和らげようもないってことなわけです。
 
隣の人がうるさくて静かにしてほしいなら、隣の人がいる時でないと静かにしてほしい!っていうリクエストを隣の人に届けることすらできないので、なかなか静かに安心できなくても残念ながら自然なことなんですよね。
 
それと同じように、不安をないこと=否定してしまったら、静かにしてよ!っていうリクエストを届けることもできないので、なかなか不安が和らがなくても残念ながら自然なことなんですよね。
 
つまりあるはずのものをない=否定してしまっていること自体が、不安を膨らませてしまう一番の理由なわけですね。
 
0.1でも0.01でも仕方なくても、まずは、0(ゼロ)じゃない=ないわけじゃない=あるってことにしてあげられると、初めてあるものなので和らげることができるようにもなるわけですね。
 
なので、受け入れる=不安の居住権だけは心に認めてあげることができれば、いろいろな贈り物の届け先=不安の住所がわかるので、ようやくはじめてほかの気持ち(安心、嬉しさ、充実感など)を不安に届けることができて、不安にほかの気持ち(安心、嬉しさ、充実感など)を届けて混ぜてあげることで、やっと不安を望ましい方向に薄めてあげる=和らげてあげはじめることができるわけですね。
 
そうすると、薄めることができた不安=和らげることができた不安が、ちゃんと心に上書き保存する=成長することができて、次の機会には、薄まった=和らいだ新しい模様の成長した不安が呼び起こされるようになって、更に扱いやすく受け入れやすくなるということですね。
 
とはいえ、ここに書かせて頂いた受け入れる=薄めていく=上書き保存をはじめてみる。という不安を和らげるための第一歩を踏み出せないくらいの大きな不安をすでに抱えていらっしゃる方がいることも私はよく知っているつもりです。
 
そういった方は、やっぱり心理セラピーが有効だろうなと私は思っています。
 
心理カウンセリングより心理セラピーの方が有効なのですね。
 
私は、心理カウンセリングも心理セラピーも両方大切にしている人間ですが、自分が扱いきれないくらいの気持ちを抱えてしまっている場合は、やっぱり心理セラピーが有効だろうなと私は思います。
 
とはいえ、心理セラピーが有効な理由をここで書き始めると、とても長ーい文章になってしまうので、今回はここまでとしておきますね。
 
つまり、自分が扱いきれないくらいの不安な気持ちを抱えてしまっているということは、その方の心についつい不安を膨らませてしまう心のクセの様なもの=心理があって、人知れず不安を量産してしまっているかもしれないな?ということがひとつ言えますね。
 
もうひとつ言えるのは、自分の不安を終わらせてあげたいのだけれど、果たして自分には自分の不安を和らげる資格みたいなものが、そもそも本当に自分にあるのだろうか?自分はこれでいいのだろうか?自分って何か劣ってるんじゃないか?って錯覚してしまっていたりするかもしれないな?ということも、加えて言えるのかもしれません。
 
もしそうだとしましたら、自分の不安を自分以外の誰か何かに和らげてもうらうこと。にまずは懸命にならざるを得なくて、自分で不安を受け入れるってところまで到達する余裕=元手さえ持ちえないというとても苦しい心のアヤ=心理を抱えているかもしれないな?ということも併せてひとつ言えるのかもしれません。
 
見えないものわからないことに対してまず不安=慎重になるのことが人の心の素敵な個性なので、自分が扱いきれないくらいの気持ちを抱えてしまっている場合は、もしかしたら目の前の出来事よりも、はるか以前の???(私ってどうなの?どうしてこんな気分になってるの?なんで私だけ?私ってどう思われてるの?)的な体験が、今も疑問のままずーっとグルグル回り続けていて、その影響が大きかったりするのかもしれません。
 
あえて言葉にするなら、漠然とした不安って表現になるのかもしれませんね。
 
つまり、目に見えない確かめにくい自分の存在感自体に不安を感じていたり、わかりづらい自分の心理自体に不安を感じているとしたら、それこそがあなたが扱いきれないくらいにまで気持ちを膨らませてしまっている理由かもしれないな?と私は思ったりしています。
 
例えば、メガネの度が合っていないまま生活し続ければ、いろいろな問題が起きて生活は憂鬱になるでしょうね。
 
肩こりになったり、見間違えて失敗したり、人の表情を誤解してしまったり。。。。
 
でも、度が合っていない。という根本的なきっかけにいつまでも気づくことが出来なかったとしたら、メガネの度を疑う余地もなく、懸命にいろいろな対処的な対策を見つけようとしてくれるのかもしれません。
 
肩こりを解消するために運動しなきゃ!
 
見間違えないように頑張んなきゃ!
 
人の表情を怖がらないようにしなきゃ!
 
もしかしたら、モグラたたきのようにこんな対処的な対策を次々としてくれるかもしれないのだけれど、なかなか結果が持続しにくくもあって、情けない。もうたくさんだ。終わらせたい。死にたい。って感じることになってしまったとしても、無理のないことだろうなとも私は思います。
 
それと同じように、心にもメガネの度みたいなものがあってそれを心理って言います。
 
なので、もしメガネの度の例と同じように、心のレンズの度=心理が今現在のあなたに合っていないとしたら?とあえて捉えてみると、あなたの苦しさの全体像にまとまりを感じやすくなっていくのかもしれませんね。
 
つまり私は、心のレンズの度=心理を今現在のあなたに合わせていくだけで、あなたのフィーリングが広範囲にわたって自然にいろいろと望ましい方向に変わってしまっていくだろうなと考えている人であり、日々いろいろな方達とそれを一緒に行っている人だということですね。
 
もし、メガネの度が今現在の自分に合っていないことに気づくことができて、メガネの度を今現在の自分に合わせてあげることが出来たら、肩こりも、見間違えも、誤解も、無数にあると思えていたいろいろな問題も、案外に労せずして自然とクリアになっていくかもしれませんね。
 
それと同じように、心のレンズの度=心理が今現在の自分に合っていないかも?と少しでも気づくことができて、心のレンズの度を今からでも今現在の自分に合わせてあげていけば、これから不安を感じる回数が減って、感じる不安の量も減って、不安に対する自分の印象も和らいで、不安を扱いやすくなって、不安を受け入れやすくなって、ふと振りければ、どうでも良くなっている=お悩みの解消となっているかもしれませんね。
 
メガネのレンズの度のように、心にも心理っていうレンズがあって、その心理のマッチング=度が今現在のあなたに合っていなければ、あなたが扱いきれないくらいの気持ちを抱えてしまっていることも、ある意味自然なことでもあるだろうなと私はピュアに思います。
 
でも、心のクセのような、心のアヤのような、心理っていう心のレンズをクリアにしてあげたり調整してあげることで、案外いろいろな望ましい変化を未来のあなたに自然にもたらしてくれるのではないかな?と私は思っています。
 
私とあなたであなたの心を見つめて、私とあなたであなたの心のレンズ=心理を見つめて、未来のあなたにとって心地よいフィーリングに心のレンズ=心理を私とあなたで成長させてあげていく。。。
 
それがメンタル心理そらくもの心理カウンセリング&心理セラピーってことになりますね。

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2015年12月26日 | カテゴリー : うつ(鬱病)いろいろ | 投稿者 : sorakumo

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