ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ
強い心より、柔らかい心の方が安心を感じませんか?
さて、「強い心」と「柔らかい心」でしたら、どちらのほうが安心を感じますか?
柔よく剛を制す…という諺がありますし、強いものはいつかは壊れる…とも言います。
強さとは耐え続けることであり、耐え続けることはいつか破綻するものなのかもしれません。
この記事は、私=寺井が心掛けているゆらゆら揺れる柔らかな心持ちについての記事です。
はじめに
不安を感じたり自信がなかったり、ソワソワドキドキを感じることは、そんなに恥ずかしくてダメなことなのでしょうか?
「不安だから何もできない…不安なんて消えてしまえばいいのに…」
「自信がないから何もできない…自信がない自分がダメなんだ…」
確かに、ソワソワドキドキを感じることは、イヤな感じではあります。
でも、イヤな感じがするからといってダメなこととは限りません。
不安や自信のなさを、ネガティブ感情といったりしますが、ネガティブ感情はイヤだけどダメなものではありません。
そんなネガティブ感情との付き合い方を書いてみました。
良かったら読んでください。
(関連:ネガティブ感情とは?心理学でやさしく解説)
ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ
強いとは耐えること、いつかは壊れること…
ソワソワドキドキと、こころが揺れている…
ゆらゆらと、こころが揺れている…
台風が来れば、ゆらゆらと木が揺れる…
もし、添え木でガチガチに補強して台風に備えたら、木はどうなるのだろう?
ある程度までは強風に耐えられるかもしれないが、限界を超えればボキッと折れてしまうでしょう…
では、もし、ありのままの姿で台風に備えたら、木はどうなるのだろう?
確かにゆらゆら揺れるでしょうが、ゆらゆら揺れていることで強風を受け流し、台風も通り過ぎ、今まで通り自立できているかもしれません。
(関連:うつと向き合う生活:強い心より柔らかい心)
揺れるとは柔らかく自然で安全ということ…
こころは木のようなもの…
なにかで補強して耐えてみても、結局は限界に怯えることになるのかもしれません…
自分を何かで隠したり自分を何かで補強して見せても、ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?って、自分ではどうしようもない周りの目線やリアクションに怯え続けることになるのかもしれません。
でも、不安を感じながらも、不安な自分を隠さなかったり、自信がないなりにも、自分に味方してあげたりしていると、夢中にゆらゆら揺れながら、いつの間にかホッと安心できているのかもしれません。
ゆらゆら揺れるとは素直であるということ…
ゆらゆら揺れることができるということは、それだけ正直で柔らかく自然だということ…
不安とは自分を安心させてほしいという願い…
自信がないとは自分に味方してほしいという願い…
だから不安なときは、「安心したいよなぁ〜」って願いながら、ゆらゆら揺れていると、一人ぼっちじゃない気がして、不安を感じながらも安心できているのかもしれません。
だから自信がないときは、「自信がないんだよなぁ…」って味方してあげながら、ゆらゆら揺れていると、一人ぼっちじゃない気がして、自信がないなりにも自然と落ちつけてしまっているのかもしれません。
そうすると、自分同志が支え合うことで安心を自給自足できて、ゆらゆら揺れながらも、いつのまにか、心理的に自立できてしまっているのかもしれません…
柔らかく、ゆらゆら揺れながら、正直に夢中で素直にソワソワドキドキ揺れていたら、いつの間にか、落ち着いてしまってボケっと自分で立てている…
そんな木のような柔らかい心でいられたら、わたしはとても嬉しいです。