ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ
不安で不安で仕方がない。
自信がない。
ドキドキソワソワすることがあたかも恥ずかしくいけないことのように思っているのかな?
確かにドキドキソワソワすることは嫌なことではありますね。
でも嫌なことが恥ずかしいこととは限らない。
ドキドキソワソワとこころが揺れている。
ゆらゆらとこころが揺れている。
台風がくればゆらゆらと木が揺れる。
もし添え木でガチガチに補強して台風に備えたら木はどうなるのだろう?
ある程度までは強風に耐えられるかもしれないが限界を超えればボキッと折れてしまうでしょう。
もしありのままの姿で台風に備えたら木はどうなるのだろう?
確かにゆらゆら揺れるでしょう。
でもゆらゆら揺れていることで強風を受け流して自然と台風も通り過ぎて今まで通り自立できているかもしれません。
こころは木のようなもの。
なにかで補強して耐えてみても結局は限界に怯えることになるのかもね。
自分を何かで隠したり自分を何かで補強して見せても、ああなったらどうしよう?こうなったらどうしよう?って、自分ではどうしようもない周りの目線やリアクションに怯え続けることになるのかもね。
でも不安を感じながらも不安な自分に何かをしてあげたり、自信がない自分なりに自分を安心させてあげようとしていると、夢中にゆらゆら揺れながら、いつの間にかホッと安心できているのかもしれません。
ゆらゆら揺れることができるということは、それだけ正直で柔らかく自然だということ。
不安とは自分を安心させてほしいという願い。
自信がないとは自分に安心してほしいという願い。
だから不安=自分を安心させてほしい!という自分からの願いに【安心したいよな〜】って自分が応じてあげながらただゆらゆら揺れていると、そんな自分に安心してあげたいって思えてきたりして、自分が自分を安心させて自分が自分に安心できているのかもしれません。
そうすると、安心を自給自足できたりして、自分が自分を支えて立たせてあげる=心理的に自立できてしまうのかもしれません。
そうすると、自分という味方がいつも自分のそばにいてくれるような安心=自信を生みだすことができちゃったりして、ゆらゆら揺れながらも自然と落ちつけちゃったりしているのかもしれません。
柔らかくゆらゆら揺れながら正直に責任をもって夢中でドキドキソワソワしていたら、いつの間にか落ち着いてしまって再びボケっと自分で立てている。
そんな木のような柔らかい心でいられたらわたしはとても嬉しいです。