対人恐怖症とは?自分の身を守ろうとする本能。

対人恐怖症という言葉を聞いたことがありますか?

 

何年前でしょう…私もサラリーマン時代に始めて聞いた言葉で、この言葉を聞いてから、人に対してギクシャクしてしまう自分自身の性格にとても関心を感じるようになったのを覚えています。

 

対人恐怖症とは、自分を表現するのが怖い…ということ。

「自分はこうしたい!自分はこう思う!自分はこうしてほしい!」

 

このような自分の気持ち=本音=願い=感じていることや考えていることを誰かに話そうとすると、なぜか不思議なほどに怖くなってしまい、ギクシャクして黙ってしまったり…ついつい嘘をついてしまったり…

 

また人が集まる集会や飲み会などにもなじめず疲れ切ってしまったり…職場で業務以外のプライベートのことを聞かれるのがとても怖かったり…

 

周りの人に対して自分の本音や本心をカミングアウトしようとすればするほど、とても気構えてしまい緊張してしまう自分自身の性格にとても悶々としていたのを覚えています。

 

対人恐怖症とは、ヘビににらまれたカエルって感覚。

さて、対人恐怖症とはたしかに窮屈で嫌な感覚です。ですが、嫌なものではあるけれど感じている以上はなにか生まれてきた意味があるものだろうなと私は思っている立場の人です。

 

なので、対人恐怖症という心の個性をいろいろなカメラアングルで観察してみましょう。

 

みなさんは、ヘビににらまれたカエルのようだ…こんな表現を聞いたことがありますか?

 

対人恐怖症の例え 蛇ににらまれたカエル

 

身の危険を感じて身動きが取れない…下手に動いたら生命があぶない…このような緊張した状態を表現した言葉ですね。

 

私が感じていた対人恐怖症とは、まさにこの【ヘビににらまれたカエル】という状態がぴったりだったような気がします。

 

【ヘビ】が周りの人たちで【カエル】が自分なわけですね。

 

自分も同じ人間なのに、自分以外の人間を【ヘビ】だと感じていまい、【ヘビににらまれたカエル】のように固まって身構えてしまう【カエル】的な立場の自分…

 

当時は、自分でもなぜそうなってしまうのか?わけがわからずとても苦しかったのですが、今振りかえると、対人恐怖症という心の働きは、人間という生き物にたいして懸命に身構えて懸命に自分の身を守ろうとしているような意図を感じます。

 

例えば、野良ネコちゃんも対人恐怖症。

対人恐怖症とは、人が人に身構えてしまう不思議な心の働き…そして、人が人に身構える対人恐怖症という心の働きは、相手の人を嫌っているのではなく、自分の身を懸命に守ろうとしているセーフティガード機能みたいなもの…

 

なので対人恐怖症とは、過去に人間という生き物に傷つけられてしまったからこそ、それ以来、人間という生き物に警戒し、人間という生き物から身を守り続けている無意識の防衛機能(専門用語では防衛機制とも言います。)と言えるのだろうなと私は思っています。

 

そういった意味では、野良ネコちゃんも【対人恐怖症】を持っていると言えるのかもしれません。

 

野良猫も対人恐怖症

 

一旦、人間に迎え入れられて人間とともに暮らしていたのに、ある日突然、その人間に捨てられてしまったことで自分はなにも悪くないのに理不尽にも生死の境をさまようことになってしまった。

 

なので、私=寺井がジョギング中に毎朝公園で見かける野良ネコちゃんが、私=寺井を見かけると慌てて逃げ隠れてしまうのも無理のないことなわけですね。

 

ところで、この野良ネコちゃんは私=寺井のことが大嫌いだから一目散に逃げてしまうのかな?(^-^;)

 

もしかしたらそうかもしれませんが、それは野良ネコちゃんが私=寺井を嫌っているというより、私=寺井も人間なので、人間という生き物に捨てられ生死をさまよった。という過去の辛い体験をもとに、寺井さん⇒自分を捨てた人間に姿かたちが似ている!⇒危ない!⇒怖い!⇒念のため逃げろ!と、【対人恐怖症】を感じて自分の身を懸命に守っている。とも言えるのではないかな?と私は思います。

 

つまり野良ネコちゃんが感じた【対人恐怖症】という本能が野良ネコちゃんの生命を守っている。というわけです。

さて、すこし専門的になってしまったのでひと息ついて緩く考えてみると、人がなにかに身構える心の働き自体は、私であってもみなさんであっても人であれば等しく感じる心の働きですね。

 

例えば、曲がり角を曲がって突然ライオンと出くわしてしまったら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

 

例えば、自動車が暴走気味に近づいてくるのを見かけたら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

 

例えば、上空を飛んでいる飛行機が大きな音を立てて頭上を通過したら私だって驚き恐怖を感じて身構えると思います。

 

このようなドッキリ企画のようなシチュエーションに出くわしたとき、対象物にたいして恐怖を感じ身構える。という心の働き自体は、ある意味、自分の生命の安全を確保するために必須な心の働きとも言えます。

 

反対に、もし危険な状況に恐怖を感じることもできず身構えることもできないとしたら、危険を回避できず自分の生命が危険にさらされ続けてしまいます。

 

なので、ワンちゃんやネコちゃんや鳥さんや魚くんやあらゆる生き物がみなひとしくそうであるように、安全確認ができていない対象物に対して恐怖を感じ身構えることができる心の働き=本能は、ある意味、生き物として絶対不可欠な心の働き=本能とも言えます。

 

私からしてみると、自分の身を守ろうと身構えている対象物がライオンであれば【対ライオン恐怖症】、暴走車であれば【対暴走車恐怖症】、飛行機であれば【対飛行機恐怖症】、そして人間であれば【対人恐怖症】ということになるだけです。

 

つまり、心=脳のしくみをよくよく知ったうえで捉えてみると、対人恐怖症の本質とは、すべての人間どころかすべての生き物が身を守るために日々感じている自然な本能。ということになります。

 

対人恐怖症はなくそうとするとかえって危険。だから和らげる。

さて、対人恐怖症という心の働きについていろいろと捉えてきましたが、みなさんはどう感じましたか?

 

みなさんにぜひ感じてほしいのは、対人恐怖症とは汚れたダメなものなのでしょうか?対人恐怖症とは根絶しなければいけない危険なものなのでしょうか?ということです。

 

もしウィルスのように対人恐怖症が危険なものなのであれば、対人恐怖症をやっつける!消す!なくす!という雰囲気になるかと思います。ですが、ここまでお話ししたように、もし対人恐怖症を完全に消し去ってしまったとしたら、自分の身の安全を守れなくなる=自分の身をかえって危険にさらす方向性となってしまいます。

 

つまり、対人恐怖症をなくそうとする=自分の身の危険を自分で増やそうとすることになってしまうわけですから、自分の身を守るために必要な心の働きをやみくもにやっつけよう!なくそう!とすると、残念ながら自分と自分同志の戦争=内戦状態となってしまい、心は永遠に騒がしい状態となり続けるでしょう…

 

とはいえ、いくら自分の身を守るために必要な心の働きだからと言って、対人恐怖症をそのままの大きさで一生感じ続けるのも苦しいものですね。

 

つまり当方メンタル心理そらくもが考えているのは、【対人恐怖症をやっつける!消す!なくす!】のではなく、【対人恐怖症を落ち着かせる…和らげる…緩める…】という方向性になります。

 

例えるならカウボーイが暴れ馬と接するような感じです。

 

ただでさえ驚いて怖がって暴れまわるお馬さんを無理にやっつけよう!とすれば、窮鼠猫を噛むのことわざ通り、かえって興奮して手がつけられなくなってしまいます。

 

なので、驚いて怖がって暴れまわるお馬さんをホッと落ち着かせてあげて緊張や恐怖をだんだんと和らげてあげるように、対人恐怖という防衛機制=警戒心=セーフティガードをだんだんと安全に緩めていき、なくすのではなく有っても気にならない程度まで和らげて行く。という方向性が当方メンタル心理そらくもの雰囲気です。

 

対人恐怖症のはじまりとは?
自分はいつから誰に身構えはじめたか?

少し視野を広げてみると、人間も生きものですから、対人恐怖症は、【生きものとして身を守る本能】と捉えることもできるわけですね。

 

うらをかえせば、ある日ある時に人間という生き物に傷つけれられて、それ以来、人間という生きものに対して身の安全を守り続けている=警戒を続けている心の働きを対人恐怖症というわけです。

 

対人恐怖症のはじまりイラスト

 

さて唐突ですが、【対人恐怖症を感じている赤ちゃん】を、あなたは見たことがありますか?

 

もし対人恐怖症が遺伝的なモノであったり性格的固定的なものであるならば、対人恐怖という心の働きは生まれた直後から始動し始めているはずです。

 

もしそうだとしましたら、生まれたばかりの赤ちゃんは、生まれた直後から周りにいる人間たち=お母さんやお父さんや産婦人科医さんや看護師さんにたいして早速に対人恐怖を感じ始めるはずですね。

 

ですが、どうやら赤ちゃんは、生まれた直後から対人恐怖症=人に対する警戒を感じることは不可能なようです。(ちなみに、私はこどもの出産に二回立ち合いましたが二人とも生まれた直後から今でも私を警戒しているようには思えません。むしろ私をおちょくっているかのようです(^-^;))

 

それどころか、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分が誰なのか?ここがどこなのか?すらわからず、ただただエーンエーンと泣くことが精一杯で、周りの人に警戒を感じ自分で自分の身を守ることなどほど遠い状態です。

 

くわえるなら、もしあなたが全然違う時代や全然違う国や全然違う人たちに囲まれて成長していたら、はたして対人恐怖症=人に対する警戒を感じる必要があったのでしょうか?

 

例えば、ハワイやモルディブなど穏やかな気候&穏やかな人柄に囲まれて育っていたら、対人恐怖症=人に対する警戒を感じる必要はなかったのかもしれません。

 

もしそうだとしましたら、対人恐怖症とは、あなたになにか悪いところや劣っているところがあるから生まれてきたわけではなくて、あなたの周りの人たちの言動に反応して生まれてきたわですね。

 

ということは、自分はいつからどの人間にたいして身構えはじめたのだろう?=つまり自分は誰にたいして身構えはじめたのだろう?対人恐怖症という心の働きがいつから始まったのだろう?と捉えていくこと。

 

うらをかえせば、自分はいつどの人間に傷つけられたのだろう?自分はいつから誰にたいしてビクビクと顔色を伺い始めたのたのだろう?と捉えてみることが、対人恐怖症という心の働きが生まれてきたいきさつを知ることになり、対人恐怖症という心の働きを解きほぐし緩めていくための大きなヒントとなるだろうと私は思っています。

(関連:アダルトチルドレンについて知ってみる。

 

そして、【対人恐怖症という心の働きがいつから始まったのだろう?】という大切なテーマをあなたと私の二人で大切に捉えていく作業を心理カウンセリングと言いまして、【対人恐怖症という防衛機制=警戒心=セーフティガード】をあなたと私の二人のチームワークで安全に落ち着かせ和らげ緩めていく作業を心理セラピーと言います。

 

あなたが今より安心して心地良く過ごしてせるようになっていきたい!と願ってくださった時、その大切な願いをあなたと私で叶え始めていくお手伝いをさせて頂けますと私はとても嬉しいです。

この記事を読んでくださったあなたに
是非、続けて読んでほしい関連記事です。

ココロの資料館 目次

良かったら「いいね」「シェア」お願いします。

2017年5月7日 | カテゴリー : 心理のコトいろいろ | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 11時09分--