ヤン・ウェンリー:私の理想の人

2021年4月8日エッセイ・コラム

POINT自分にやれそうにないことに無理に挑戦して失敗を重ねるより、自分にやれそうなことをコツコツと重ねるほうが「自己肯定感」を高めます。

心理カウンセラーの寺井です。

あなたには、お仕事や私生活において迷ったとき、「あの人ならどうするかなぁ…」って参考にする人物っていらっしゃいますか?

私の場合、迷ったときはいつも「ヤン・ウェンリー」という人物を参考にします。

 

実は「ヤン・ウェンリー」は 実在の人物ではありません。

「ヤン・ウェンリー」は 、「田中芳樹」さんの小説、「銀河英雄伝説」の登場人物の1人です。

ヤン・ウェンリーは、田中芳樹のSF小説『銀河英雄伝説』の登場人物。主要な登場人物であり、作中の「自由惑星同盟」側の主人公に当たる。

引用元:ヤン・ウェンリー

「ヤン・ウェンリー」は、敵との戦いが無いとき、 英雄とは思えないほどとにかくゆるい人物です。

ですが、いざ戦いとなると、とてつもなく大きな結果を残す不思議な人物です。

 

この記事は、心理カウンセラー寺井啓二の理想の人:ヤン・ウェンリーについてのエッセイです。

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自然体がいい…でも、無理に自然体であろうとするのは自然体じゃない…

ヤン・ウェンリーをひと言で例えると「自然体」だということです。

ずば抜けた智謀と人望を持っているのに、自分は全然そんな風に思っていない。

ふつう、ヒーローとか英雄とは「カッコイイ!」というイメージがありますが、ヤン・ウェンリーは運動が苦手だったり、女性にモテなかったり、勤勉そうにも見えなかったり、愚痴が多かったり…

とにかく、ヒーローという感じがしません。

 

未来をシミュレーションしながら、不安をゆっくりと受け入れている

でも、自分が司令官として戦うと、まず負けることがない。

いつも公園のベンチで寝転んで昼寝をしながら、これから自分に起こってもおかしくないようなことを、ぼんやり想像してシミュレーションしている。

イメージして、想定して、「もしかしたら、こんなこともあるかもね…」と肯定して、未来に対する不安をゆっくりと受け入れている…

そして、いざという時に、そんな「事前のシミュレーション」が役立ってくる…

そんな感じがします。

 

世の中、何が起きてもおかしくない…

世の中、何があってもおかしくないさ!

ヤン・ウェンリーは、いつもこのような感じで、思い込みとか既成概念とは無縁の領域で、四六時中、世の中に起こり得そうなことをあれこれと空想しています。

だから、突然、どんな事が起こったとしても、焦ったり動揺したりせず、

「へぇ〜そうなんだ〜」

「まぁ、そうなるだろうね〜」

こんなリアクションばかりをしています。

 

このように、ヤン・ウェンリーは、何かにすがって無理に自分を奮い立たせたりしませんし、何かに怯えて無用に惑わされたりもせいません。

ある意味、面白みがないとも言えますが、決して、焦ったり動揺したりしない、自然体そのものという感じがします。

 

自分は、自分以上でも自分以下でもない…

ヤン・ウェンリーについて好きなエピソードがあります。

それは、ある大きな戦いで味方がコテンパンにやられ、全滅しかけた時のエピソードです。

 

絶体絶命のピンチの中で、突然、大きな責任を負わされてしまう

敵との戦いの最中、ヤン・ウェンリーの上司=味方部隊の司令官が、敵の攻撃で大怪我を負ってしまいます。

味方部隊が次々と倒されていくピンチの中、味方部隊の司令官まで倒れてしまったのです。

まさに絶対絶命です。

そして、ヤン・ウェンリーは絶対絶命の状況下で、大怪我を負った上司=司令官から、突然、あと始末を任されてしまいます。

 

どんな厳しい状況も、あっさり受け入れる

絶命絶命といっても、まだ、百万人もの部下が必死に戦い続けています。

つまり、ヤン・ウェンリーは絶命絶命の状況下で、突然、百万人の部下の命を預かることになってしまったのです。

もちろん、ヤン・ウェンリーはこの時まで、百万人の部下を指揮した経験など全くありません。

なので、ヤン・ウェンリーは敵に一方的に攻められている絶体絶命の状況下で、未経験、且つ、とてつもなく重い責任を、突然、背負わされたことになります。

 

ふつうなら、あまりの突然の重圧に為す術もなくて当然です。

ですが、ヤン・ウェンリーは、「そっか…やれやれだね…」という具合で、この状況をあっさりと受け入れます。

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世の中に絶対なんてない、でも、絶対に近づこうとするのはいいことだ…

ヤン・ウェンリーは絶体絶命の状況下で、とてつもなく重い責任をあっさりと受け入れると、真っ先に、生き残った百万人の部下達に次のような演説をします。

 

大丈夫…私たちは負けはしない!

「私はヤン・ウェンリー、司令官が怪我をしたので指揮を引き継ぐことになった。」

「今、私たちは確かに負けつつある。」

「でも、大事なのは最後の瞬間にどうなっているかだ。」

「要するに、最後の瞬間に負けていなければいいんだ。」

「負けない方法はちゃんと考えてあるし準備してあるから大丈夫。」

「だから生き残りたかったら目の前のことだけに専念してくれれば十分だ。」

「それ以外、必要な時はこちらから指示するから、それまでできる事をやってくれればいい。」

「大丈夫…私たちは負けはしない!」

 

正直に事実を伝え、素直にお願いしたいことをお願いする

素晴しいですね!

たくさんの部下を指揮した経験のある人でも、絶体絶命の状況下では事実を隠したり、部下に必要以上のことを求めたり、責任分担を明確にできなかったり、それ以前に部下を置いて一人で逃げ出してしまう場合もあるかもしれません。

でも、ヤン・ウェンリーはあっさり不利な状況を認めて部下達に正直に事実を伝え、でも逆転のチャンスがあることも伝え、その根拠もあわせて説明します。

そして、当面のあいだ、自分たちが目指す方向性と理念をわかりやすく伝えます。

部下に実力以上の結果を求めず、当面の課題を明確にし、今度の展開もちゃんと掴めていることもしっかり伝え、落ち着けば大丈夫って安心感も与えます。

 

ベストな選択とは、自分以上のことをせず、自分にできることをすること

しかし、演説が終わったあと、ある同僚がヤン・ウェンリーに詰め寄ります。

「負けはしないって?どうして言い切れるのですか!」

 

ヤン・ウェンリーはこう答えます。

「おそらく敵さんは、次にきっとこうして来るよ。」

「私が敵さんだったら、同じことをすると思うよ。」

「だから対策はちゃんと考えてあるってことなんだ。」

「あとは、対策通りに味方が動けば大丈夫さ。」

 

同僚は更に詰め寄ります。

「相手がこちらの思惑通りに動いて来なかったら?その時は一体どうするつもりですか?」

 

ヤン・ウェンリーはこう答えます。

「その時は、頭をかいて、ごまかすさ…」

 

自分以上のことをしようとして対策が疎かになるより、自分にできることをひとつひとつ重ねた方が、対策は万全に近づく…

このような、ヤン・ウェンリーの冷静な一面が見え隠れする名場面です。

 

いくら背伸びをしたところで、無理なものは無理だと認める勇気も必要

ヤン・ウェンリーは感じていたのかもしれません。

同僚が、ヤン・ウェンリーに「絶対に負けない…」と言ってもらいたいことを…

でも、「世の中に絶対はない!」ということをよく知っていたからこそ、ヤン・ウェンリーは堂々とごまかしたのかもしれません。

 

いくらやる気を出したとしてもできないことはできないし、いくら考え続けてもわからないことはわからないよ…

 

「ああなったらどうしよう?」「こうなったらどうしよう?」と、本当に起こるかどうかわからないことについて考え続けるより、「こういう場合はこうしよう…」「ああいう場合はああしよう…」と、起こる可能性が高いことについて考えた方が、有益な時間の使い方なのではないか?

ヤン・ウェンリーは、このような気持ちだったのではないか?と私は思います。

 

「最悪の事態を想定し対策を講じられている人」が「一流の人」

それでは、このような厳しい状況下で、なぜ?ヤン・ウェンリーは冷静でいられたのでしょうか?

実は、ヤン・ウェンリーはこの戦いが始まる前から、最悪の事態を想定し事前に対策を講じていたのです。

周りの人たちからは、ヤン・ウェンリーは「ボー」っとした頼りない人に見えていましたが、頭の中では、味方が最悪の事態に陥った場合の対策を事前に考えていたのです。

 

味方が負けることを想定して事前に準備をしておくなど、軍人としては頼りない感じがします。

ましてや、味方が負けた場合の準備を懸命にしていたところで、味方が勝ってしまえば、その準備は全く役に立ちませんし、その努力も全く評価されませんし、無駄なことになっていたかもしれません。

それでも、ヤン・ウェンリーは「もしかしたら、必要になるかも?」と思い、最悪の事態に陥った場合の打開策を事前にしっかりと準備していたからこそ、本当に最悪の事態に陥りかけたときに手詰まりにならずに済んだと言えます。

結果、味方部隊は、一時、最悪の事態に陥りかけたものの、ヤン・ウェンリーの想定通りに敵が動き、ヤン・ウェンリーが事前に考えていた対策が見事に成功し、全滅の危機にあった味方は見事脱出に成功します。

 

「勝つ」と「負けない」の違い

私が、ヤン・ウェンリーから学んだことのひとつに、「勝つ」と「負けない」の違いがあります。

「勝ち組」などという言葉がありますが、「勝つ」ことを追い求める人は、華々しく人々の注目も浴びて魅力的な人ではあります。

ですが、「勝つ」ことに慣れすぎてしまうと「勝てない」自分が許せなくなり、結果、自分や周りの人を追い込んでしまうようになります。

それに比べ、「負けない」ことを追い求める人は、面白みがなく人々の注目も浴びず地味な人ではあります。

ですが、「勝つ」ことに執着していないので「勝てない」自分も許せるようになり、結果、自分や周りの人を労われるようになります。

 

そして、ヤン・ウェンリーはこの戦いの功績を称えられ、以後、周囲の人たちから「不敗の魔術師」=「決して負けない名人」と呼ばれるようになります。

 

自分にやれそうなことることをやる…それ以上に何かできるのでしょうか?

ヤン・ウェンリーを見ていて勉強になるのは、「自分にやれること以上のことをやれるわけはないし、自分にできること以上のことをできるわけがない…」ということです。

とはいえ、人はときどき、「普通は○○だ!」「もっと○○すべきだ!」「もっと○○したほうがいい!」などなど、「世間体」や「常識」に囚われすぎてしまい、自分にやれそうもないことに挑戦し続けてしまったり、自分にやれそうなことから逃げてしまったります。

 

「世間体」や「常識」とは、使い方が重要

人はときどき、「世間体」や「常識」を悪用して、自分や誰かの将来を封じてしまう。

人はときどき、「世間体」や「常識」を軽視して、自分にできること以上のことをやるべきだと錯覚してしまう。

人はときどき、「世間体」や「常識」に怯えすぎて、自分にできることもできないと錯覚してしまう。

 

「世間体」や「常識」とは、「世の中、みんな楽しんでいるんだぁ…じゃあ自分も楽しんでみよう!」と、自分の可能性を広げてくれる場合は素晴らしいものです。

ですが、「世の中、みんな我慢をしているのだから…自分ももっと我慢しなきゃいけない!」と、自分の可能性を狭めてしまう場合は苦しいものです。

 

自分にやれそうなことをかさねていくことを「自己肯定」と言います。

ちなみに、「自分にできること以上のことを自分はやるべきだ!」と自分で自分を追い込むことを、心理学では「自己否定」と言います。

はんたいに、「自分にできることをかさねれば自分はOK!」と自分で自分を労わることを、心理学では「自己肯定」と言います。

自己肯定感とは、簡単に言うと、自分の存在を肯定的に受け止められる感覚のこと。自己肯定感が高い人は感情が安定し、人生で起きるさまざまなことをポジティブにとらえられます。反対に、自己肯定感の低い人は「自分なんてダメだ」という感覚にとらわれ、ネガティブになりがちです。

引用元:自己肯定感とは?自己肯定感が低いとどうなるの?

自分にやれそうにないことに無理にチャレンジをして「自分にはできない!」と嘆き続けるより、自分にやれそうなことをコツコツとかさねて「自分にもできた!」と喜びを感じる。

このような「自己肯定」を育む生き方を大切にしていきたいなぁ…と私は思っています。

 

「自己肯定感」を育むカウンセリング

さいごに、当社メンタル心理そらくもの対面カウンセリングは、自分で自分を労わる=「自己肯定感を育むためのカウンセリング」です。

ちなみに、「当社メンタル心理そらくもの対面カウンセリングの考え方」については、以下の記事で詳しく説明していますので、興味のある方は、是非、お読み下さい。

以上、「ヤン・ウェンリー:私の理想の人」という記事でした。

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Posted by 寺井 啓二