ヤン・ウェンリー:私の理想の人
ヤン・ウェンリーとは、いつも私が迷った時に「この人ならどうするかな?」と照らし合わせる人物です。
実は、ヤン・ウェンリーは 実在の人物ではありません。
田中芳樹さんの小説、銀河英雄伝説の登場人物の1人です。
小説の主人公でもないんですね。
とにかく英雄とは思えないほどゆるい人物です。
でも英雄と呼ぶ以外にないほどとてつもなく大きな結果を残してしまう不思議な人物です。
自然体がいいね…でも自然体になろうとした時点で自然体じゃないかもね。
ヤン・ウェンリーをひと言で例えると、「自然体」だってことです。
ずば抜けた智謀と人望を持っているのに、自分は全然そんな風に思っていない。
ふつうヒーローとか英雄ってカッコイイ!って感じがしますが、ヤン・ウェンリーは運動が苦手だったり、あまり女性にモテなかったり、勤勉そうにも見えなかったり、愚痴や悪口が多かったり…
とにかく、ヒーローという感じがしません。
でも自分が司令官として戦うとまず負けることがない。
いつも公園のベンチで寝転んで昼寝をしながらこれから自分に起こってもおかしくないようなことを自然とゆるくぼんやりいつも想像している。
イメージして、想定して、こんなこともあるかもね?って肯定して不安を受け入れている。
日々自分のペースで未来の不安をゆるくイメージしながら隙間時間を過ごしている。
そしていざという時にそんな幅広い想定が役立ってくる。
そんな感じがします。
世の中何があってもおかしくないさ!
こんなゆるい感じで、思い込みとか既成概念とは無縁の領域で、四六時中ありえそうなことを空想している。
だからどんな事が起こっても喜び過ぎたり驚き過ぎたりせずに、
「へぇ〜そうなんだ〜」
「まぁ、そうなるだろうね〜」
こんなリアクションばかりをしています。
何かにすがって無理に自分を奮い立たせたりせず、何かに怯えて無用に惑わされたりもせず、面白みがないともいえるけど、決して 焦ったり逃げたり媚びたり安請負いをしたり執着したりしない自然体そのものって感じです。
自分は自分以上でも自分以下でもないね。
ヤン・ウェンリーについて好きなエピソードがあります。
それはある大きな戦いで味方がコテンパンにやられて全滅しかけた時です。
ヤン・ウェンリーの上司=司令官が敵の攻撃で大怪我を負ってしまいます。
味方が次々と倒されていく中で部隊のトップまで倒れてしまうんです。
まさに絶対絶命です。
そして、ヤン・ウェンリーは絶対絶命の状況下で大怪我を負った上司=司令官から突然にあと始末を全て任されてしまうんです。
絶命絶命といってもまだ百万人もの部下が必死に戦い続けています。
絶命絶命の状況下で、突然に百万人の部下の命を預かることになってしまったわけです。
もちろん、ヤン・ウェンリーはこの時まで百万人の部下を指揮した経験なんてありません。
敵に一方的に攻められている最中に、未経験のとてつもなく重い責任を押し付けられたんですね。
ふつうならあまりの突然の重圧に為す術もなくて当然ですね。
でも、ヤン・ウェンリーは、「そっか…やれやれだね〜」という感じであっさり自然に受け入れてしまいます。
世の中に絶対なんてないと思う。でも絶対に近づこうとするのはいいことだね。
ヤン・ウェンリーは、絶体絶命の状況下で未経験のとてつもなく重い責任をあっさり自然に受け入れます。
そして、真っ先に、生き残った百万人の部下達にこう演説します。
「私はヤン・ウェンリー、司令官が怪我をしたので指揮を引き継ぐことになった。」
「今私たちは確かに負けつつある。」
「でも大事なのは最後の瞬間にどうなっているかだ。」
「要するに、最後の瞬間に負けていなければいいんだ。」
「負けない方法はちゃんと考えてあるし準備してあるから大丈夫。」
「だから生き残りたかったら目の前のことだけに専念してくれれば十分だ。」
「必要な時はこちらから指示するから、それまでできる事をやってくれればいい。」
「大丈夫(^^)私達は負けはしない!」
素晴しいですね!
上司としてこれ以上の指示命令ってあるのかな?
たくさんの部下を指揮した経験のある人でも、事実を隠したり部下に必要以上のことを求めたり責任分担を曖昧にしたり、それ以前に逃げ出してしまうかもしれませんね。
でもヤン・ウェンリーはあっさり不利な状況を認めて、でもそれが大したことないと伝えて、そう思える根拠を説明して、自分たちが当面目指す方向性と理念をわかりやすく伝える。
部下に実力以上の結果を求めず、当面の課題を明確にして、今度の展開もちゃんと掴めていることもしっかり伝えて、落ち着けば大丈夫って安心感も与えています。
そして、演説が終わったヤン・ウェンリーにある同僚が詰め寄ります。
「負けはしないって?どうして言い切れる!」
ヤン・ウェンリーはこう答えます。
「おそらく敵さんは、次にきっとこうして来るよ。」
「私が敵さんだったら、同じことをすると思うよ。」
「だから対策はちゃんと考えてあるってことなんだ。」
「あとは、対策通りに味方が動けば大丈夫さ」
同僚は更に詰め寄ります。
「相手がお前の思惑通りに動いて来なかったら?その時は、一体どうするんだ!?」
ヤン・ウェンリーはこう答えます。
「その時は…その時は…」
「頭をかいて、ごまかすさ(^^)」
ヤン・ウェンリーは知っていたんですね。
きっと同僚は「絶対大丈夫だ」って言ってほしんだなって、充分に感じていたんだと思います。
でも世の中に絶対なんてないってことをヤン・ウェンリーはよく知っていたので、 堂々と自信を持ってごまかしたんですね。
いくらヤル気を出したって、できないことはできないし、いくら考えたってわからないことはわからないさ。
起こるかどうか?わからないことに延々と気を揉むより、起こる可能性が高いことに備えるほうがいいんじゃないかな?
ヤン・ウェンリーはこんな気持ちだったんだろうと思います。
実はヤン・ウェンリーは、戦いが始まる前から味方の惨敗を想定していたんです。
だから暇そうに見えてしっかり最悪の事態を想定して、万全に準備していたんです。
もしかしたら全く役に立たない努力になっていたかもしれないし、評価されない無駄なことになっていたかもしれない。
でも必要になるかも?と思ってしっかり準備していたからこそ、本当に必要になって慌てずに済んだということですね。
そして、結果ヤン・ウェンリーの想定通りに敵が動いて、ヤン・ウェンリーが事前に考えていた作戦が的中し、全滅の危機にあった味方は見事脱出に成功します。
大丈夫、順序さえ間違えなければ充分うまくいくよ。
ヤン・ウェンリーから学んだことに、順序が大事だってことがあります。
料理だって順序を考えずに進めてしまえば、材料の無駄使いになってしまう。
それと同じように、混乱している時はあえて順序を守ることに徹することで落ち着きを取り戻すことができる。
心が混乱すると焦燥感が増して、順序がわからくなりがちですね。
こんな時、ヤン・ウェンリーはこう言うでしょう。
「こういう時こそマニュアルがいいね。」
「混乱している時はマニュアル通りがいい。」
「混乱している時はエイッ!と順序を決めてしまって淡々とこなせばいい。」
「そうしているうちに余裕が出てきて充分うまく行くよ。」
特に深く心が混乱すると結果をもって安心したくなりますね。
そして失敗を恐れ、更に思考が混乱してしまいます。
そんな時は淡々と流れ作業をするのもいいですね。
比べたり、工夫したりしないくてもいい。
決まった順序通りの作業をこなすことで自信と落ち着きを取り戻せますね。
自信と落ち着きを取り戻してからゆっくり考えればいい。
まず落ち着けるようにしてみる。それから考え始める。
そんな順序さえ間違えなければどんな時でも十分うまく行きますよ。
やれることをやる…それ以上に何かできるのでしょうか?
ヤン・ウェンリーを見ていて勉強になるのは、やれること以上にやれることはないし、できること以上にできることはない。ということです。
人は時々、世間とか常識を悪用して、できることを封じてしまう。
人は時々、世間とか常識を軽視して、できること以上のことをやるべきだと錯覚してしまう。
人は時々、世間とか常識に怯えすぎて、できることもできないと錯覚してしまう。
世間とか常識って頼ってしまえば結構便利ではありますね。
でも絶対的に頼りすぎるとかえって惑わされることもある。
まあインターネットみたいな感じかな?
毎日便利で頼りになるけど、頼りすぎるとかえって惑わされることもある。
だからといって、世間とか常識とかインターネットが悪いんじゃない。
大事なのはそれらをどう使いこなすか?という距離感なんでしょうね。