子育てが辛い苦しい怖いということ。

私自身も子供を育てる親であり、日々の子育てのなかで親としての迷いや不安を感じるところです。子育てとは、確かに迷いや苦しさも感じますが、同時に嬉しさや楽しさも感じる日々でもあるように感じます。

 

また、日々心理カウンセリングにてさまざまな方々と携わらせて頂くにあたり、ついつい頑張りすぎてしまうママさんや、とても心配しすぎてしまうママさんなど、自分や家族に誠実であればあるほど、はからずも自分ばかりが苦しんでしまう方々とたくさんお会いし、そんな優しくも苦しいこころのアヤを解きほぐすお手伝いをさせて頂いてきました。

 

子育てはラグビーみたいにパスをつなぐもの…

人は自分がしてもらえたことを誰かにしてあげようとする生き物です。なので、自分が子ども時代に親からしてもらえたことを、今度は自分が親になって子どもにしてあげようとします。

 

けれど、自分が子ども時代にしてもらえたことが自分にとって苦しかったとしたら…残念なことに、自分が苦しいと感じたことを自分の子どもにしてしまうことになってしまいます。

 

三つ子の魂百までイメージ

 

そうすると、自分が親である以上、自分は子どもを苦しめ続けてしまうのではないか?…と感じていまい、子どもが大切であればあるほど、かえってなにもしてあげられなくなり、どうしたらいいかわからなくなり、出産や子育てがとても苦しく感じられてしまいます。

 

例えば、自分が食べておいしいと感じる料理でしたら、ぜひ大切な人にも食べてもらいたいものですね。でも、自分が食べてまずいと感じる料理は、むしろ大切な人に食べさせたくないと感じるものですし、それは思いやりだと思います。

なので、かつて育ての親がしてくれた子育てをあなたが嬉しいと感じているのなら、自分が嬉しいと感じる子育てを大切な子どもにもしてあげたい。と感じることは、自然な愛情表現だと私は思います。

 

そして、かつて育ての親にされた子育てをあなたが苦しいと感じたままだとしたら、自分が苦しいと感じたままの子育てを大切な子どもにしないであげたい。と感じるのも、ある意味、自然な愛情表現だと私は思います。

 

子育てを躊躇するのも、子育てを放棄するのも、愛情がないのではなく、愛情の届け方がわからないのだろうなと私は思っています。

 

愛情というボールは持っているのだけれど、愛情というボールの投げ方や届け方がわからないから、安全第一で子育てを保留してくれているように私は感じています。

 

今から○○し始めるから、これから○○が広がる。

冬の寒さがあるからこそ春の暖かさがあるのかもしれません…

夏の暑さがあるからこそ秋の涼しさが心地よいのかもしれません…

 

大きな寂しさを持っているからこそ、これから大きな嬉しさを生み出せるものだなと私は思っています。

大きな怖さを持っているからこそ、これから大きな安心を生み出せるものだなと私は思っています。

 

今までは確かに苦しかった…だからこれからも今まで通り苦しいに決まっていると思いたいか?

今までは確かに苦しかった…だからこれからは今までの苦しさを和らげ始めたい!と願いたいか?

 

どちらであってもひとしく素晴らしいお気持ちだと私は思います。

 

インナーチャイルドセラピーのイメージ

 

そしてもしあなたが、今まで感じ続けてきた過去の苦しい印象=寂しく怖く落ち着かないままの過去の記憶を、これからほっと穏やかに落ち着かせることで、未来安心安全にママさんを始めたいと願ってくださっているとしたら、いつの日からか今でも1人、寂しく、怖く、困ったままのあなたの幼心を、あなたと私の二人のチームワークでほっと安心させてあげて、(^-^)な気持ちで赤ちゃんをお迎えするお手伝いをさせて頂けると私はとても嬉しく思います。

 

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妊娠中の方、来訪当日に『各自治体発行の子育て優待カード』と『母子手帳』を持参しご提示いただくと、カウンセリング料金を5%割引させて頂きます。

 

子育て支援メリットのイメージ

 

得したお金でちょっとレストランでランチを楽しんだり、カフェでスイーツを楽しんだり、ホッとひと息ついて自分にご褒美をして頂けると嬉しいです(^^)

©2012-メンタル心理そらくも
-- 11時28分--

こどもと私:娘のアドバイス(^-^)

お家のリビングに家族の予定を書いているカレンダーがあります。そのカレンダーに私のお仕事の予定も書いてあるのですが、今年の1月はいろいろと事情がかさねって、例年よりもお客さまの来訪が少なめになっています。

そんな、例年よりお客さまが少なめ、という今年の1月の状況を娘は敏感にキャッチしたようです。

娘がアドバイスしているイラスト

そして今朝、私が起床してリビングに降りていくと娘が私にこう言いました。
「父ちゃん、お客さんが少ないね!」
「心配なら恵方巻きでお願いするといいよ!」

起床間もないこともあり、わたしは少しキョトンとしましたが。。。
「そうだね。。アドバイスしてくれてありがとう。。」
と、娘に感謝を返しました。

思えば、初詣というのは神さまになにかをお願いをする機会ではなく、今までの無事を神さまに感謝する機会なんですよね。
もしお願いするのであれば、絵馬や祈祷といった礼儀と段取りが必要になったりますね。

それと同じように、次に来る節分も無条件でお願いができるわけではなくて、【夜、その年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら恵方巻きを丸かじりする。】というミッションをこなして始めてお願いごとができることになりますね。

ですが、私が恵方巻きを食べながらお願いをしている間、おそらく私は娘たちにからかわれたり邪魔されてしまって、結局は、恵方巻きミッションを達成できないような気もしています(^-^)

ありがたい娘のアドバイスを実行しようとする私は娘に邪魔される。。。そんな感じかもしれませんね(-.-)

ともあれ、娘なりにいろいろと感じて娘なりにいろいろとしようとしてくれている気持ちが、私はとても嬉しかったです(^-^)

2017年1月31日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 11時27分--

こどもと私:思春期&反抗期は、自動車を初めて運転したときのような気持ちかも。

今、娘たちは順調に成長してくれて、成長段階として新たなステップに進んでくれはじめています。

思春期、反抗期、青春期なんていいますが、生まれてからの10年という幼少期&少女期を無事に終えて、これからの10年はだんだんと1人の大人としての成長を育む時期になってきているわけですね。

お侍さんの時代でも元服といって、名前を変えたり髪形を整えたり1人の大人としてのデビューは、だいたい10~15歳前後でした。

現代においても、0~10歳の時期と10歳~20歳の時期とでは子どもの心も急激に変化していきます。なので当然のことながら、娘たちの心の成長に合わせて育ての親=私と奥さんも成長し、子どもたちとの距離感をだんだんと工夫し始めてみる時期に差し掛かっているわけですね。

最近では1/2成人式といって、10歳でひと区切りの風潮が再びだんだんと広がりつつあります。

幼少期の愛情表現=子どもの苦労成長を育ての親がなんとかしてあげちゃう依存傾向も、0~10歳くらいまでなら子どもは愛情として受け取ってくれるかもしれません。

ですが、順調に成長してくれて子どもが10歳以降になっているのに、育ての親は成長できないまま、子どもの苦労成長に今まで通りズカズカ干渉してしまうと、子どもは、親に助けられてしまった=親に邪魔されてしまった=親に迷惑を掛けてしまった=親に信用されていない=親に信用してもらえる力が自分にはない=自分は劣っている=自分は情けない=自分はダメな人間だ=親にすら信用されていないのだからほかの人間にも信用されるわけがない。。。と感じてかえって自信を失ってしまいます。なので、10歳以降=思春期、反抗期、青春期に差し掛かった子どもたちが、うるさい!あっち行って!決めつけないで!とイライラ&ツンケンと親を突き放してくれることは、とても逞しい自立&自我の芽生え=順調な心の成長なわけですね。

かわいい子には旅をさせろ。。ということわざがありますが、親が子どもを突き放すシーンより、子どもが親を突き放そうとするシーンのほうが、案外、昨今の日本ではよく見かけるような気がしますね(^-^)

とはいえ、例えば自動車の運転も最初はてんやわんやと誰でも等しくぎこちないように、育ての親からの自立の作業も一気には進まず、最初はてんやわんやと紆余曲折、人間であれば誰でも等しくぎこちないわけですね。

そんな自分で自分を知って自分で自分を乗りこなし始めようと試行錯誤する時期を思春期や反抗期や青春期って言うのだろうなと私は思っています。

思春期や反抗期のイラスト

例えるなら、思春期や反抗期や青春期って、教習所で自動車を生まれてはじめて乗りこなそうとしている時期のような、カウボーイがお馬さんを乗りこなそうとしている時期のような、そのような雰囲気なのかもしれないな?と私は思っています。

娘たちが生まれてからの最初の10年は、娘たちは育ての親=私と奥さんのことを100%信用してくれて育ての親のエスコートに従ってきてくれたのだけれど、これからの10年は、だんだんと自分で自分をエスコートし始めようとしている時期なのでしょうね(^-^)

だから初めのうちは、生まれて初めて自動車を運転するときと同じように、ザワついたり、やりすぎたり、ぶつかったり、トラぶったり、背伸びしすぎたり、我慢しすぎたり、伸びたり、縮んだり、動き回ったり、じっとしたり、とんだり、跳ねたり。。。。てんやわんやと豊かにザワつきながらいろいろな自分を発信表現して、自分が心地良いと感じる生き方=自分自身を心地良く乗りこなす感覚=自信を自分と自分のなかで育んでいる=懸命に自立をしようとしている時期なわけですね。

勉強、部活、遊び、恋愛、先輩、後輩、友達、家族、親戚、先生。。。。自分を取り巻くいろいろなステージでいろいろな立場の周囲の人たちとぶつかったり、触れ合ったり、離れたり、泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、怖がったり、ホッとしたり、やりすぎたり、なにもできなかったり、てんやわんやと豊かにザワつきながらいろいろな自分を発信表現して、自分はこれでOKかな?こんな自分もありなのかな?自分はどこまで許してもらえるのかな?自分はどこまで注目してもらえているのかな?=自分と周囲の人たちとの距離感や人間関係の練習、将来に向けて大人や他人との関わることへの安全確認みたいなものを懸命に育んでいる。

育ての親=私と奥さんからバトンを受け取って、だんだんと自分で自分をよく知り自分と自分が協力し合って未来へと歩みはじめようとしている時期なわけですね。

いわば、0~10歳までの【娘という自動車】のオーナは、育ての親=私と奥さんが名義人だったわけですが、10歳以降は【娘という自動車】のオーナを娘自身に引き渡し引き継ぐ。。。そんな時期に差し掛かっているのだろうなと私は思っています。

なのでこれから10年の=私は、だんだんと娘のことは娘に任せてあげて信用して見守ってあげたいなぁ。。。と思っているわけです。

娘のことは娘に任させてもらったぶん、だんだんと心のエネルギーに余裕が生まれてきますので、そのぶんは、かつて娘と出会う前の私がしていたように、ひとりの男性としての私の楽しみや奥さんと二人での楽しみに再び振りわけさせて頂きたいものですね(^-^)

そりゃときどき、カウボーイのロデオのような娘たちのザワツキに振り回されてしまったり巻き込まれてしまったりエネルギッシュな躍動ゆえに理不尽に八つ当たりされてしまったりもするでしょう(^-^)

でもそんなときは、恰好をつけて我慢して平気なふりなどせずに。。。

嫌なものは嫌だ!楽しいときは楽しい!
傷ついたときは傷ついた!感心した時は素晴らしい!
悲しいときは悲しい!嬉しいときは嬉しい!
無理なものは無理だ!ほっといてほしいときはほっといてほしい!
悪かったなと感じたときはごめんなさい!
助かったなと感じるときはありがとう!。。。etc

こんなふうに、育ての親=私自身が自分自身に嘘をつかずに勇気をもって正直に娘にリアクションしている姿を娘たちに見せてあげたいなと私は思っています。

そうすれば、娘たち自身が育ての親になった時、自分が自分に正直でいるだけで、自分も(^-^)で周りも(^-^)になっていくことを身を持って確かめて安心して実行できるでしょうからね(^-^)

娘たちがいつか巣立ってひとり立ちしたとき。。。そしていつか育ての親になったとき。。。

世間や常識や周りの人はどうであれ、正直、わたしは○○と思っている。。。ほんとは、わたしは○○と感じている。。。と、自分の気持ちを自分自身が一番に尊重しようとしてくれると私はとても嬉しいです。

世間や常識や周りの人はどうであれ、やっぱりわたしは○○のほうが納得がいくんだよね。。。やっぱり自分は○○のほうが嬉しいんだよね。。。と、自分の気持ちを自分自身が一番に信用しようとしてくれると私はとても嬉しいです。

世の中が声高に叫ぶ、こうすればいい!ということを無機質に重ねるより、自分が腑に落ちること&自分が納得を感じることを大切に優先し増やしてほしい。。。

テレビやインターネットにある正しいことを安直に追い求めるより、自分がホッコリ嬉しいと感じること&自分がマッタリ安心を感じることを大切に優先し増やしてほしい。。。

ノウハウ本や教科書に書いてある正解をコレクションするだけで満足してしまうより、自分がワクワク期待を感じること&自分がスイスイ自然と夢中になれることを大切に優先し増やしてほしい。。。

評論というカタチで人様を軽々しく描写してしまう人より、自己表現というカタチで自分を豊かに描写しようとしてくれると私はとても嬉しいです。

娘たちが生まれて今までの10年、娘たちと育ての親=私の関係は、二人三脚で歩む、熱心な選手と熱心なコーチのような距離感&関係だったような気が私はしています。
そして娘たちが思春期や反抗期や青春期を迎え始めたこれからの10年、娘たちと育ての親=私の関係は、グラウンドで懸命にプレイしている選手をスタンドから距離を置いて信用して見守ってあげるファンのような距離感&関係でありたいなと私は思っています。

娘たちが思春期や反抗期や青春期を迎え始めたこれからの10年、選手のことは選手自身=娘たちの幸せは娘たち自身に任させてもらって信用して尊重して見守っていきたい、そのかわりコーチのことはコーチ自身=私の幸せは私自身に任させてもらって私が私を尊重していきたい。

私が私を(^-^)にしていれば、娘たちの足を引っ張ることもなくなり、娘たちの後ろ髪を引くこともなくなり、娘たちも後顧の憂いを感じずに安心して(^-^)で未来へと巣立ってくれうだろうなと私は思っています(^-^)

2017年1月18日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 12時34分--

こどもと私:娘のあさがお

学校が夏休みに入った時、娘と一緒にあさがおのタネを植えました。

時期的にかなり遅い種まきなので、いい感じで成長してくれるかな?と気がかりでした。

6つ植えた種のうち、3つは順調に芽が出ました。ですが、残りの3つは芽が出たものの双葉が開かず成長が遅く思えました。

そんな6本のあさがおを植えたプランターをリビングの窓越しに見ていると、なんだかモヤモヤしてきて、水をあげたり肥料をあげたり世話をしながら日々過ごし始めました。

順調に芽が出た3本は引き続き順調に成長してくれています。けれど、残りの3つはあまり成長せず、ますますモヤモヤと心配を感じました。

順調に成長している3本がすぐ近くにあるわけですから、成長が遅い3本のことがより一層にかわいそうに思えてきました。

そこで、私はかわいそうなあまり、成長が遅い3本を、一旦、別のプランターに植え替えることにしました。このままだと、順調に成長している3本の影に隠れて日光が当たりずらくなり、より一層に成長しずらくなってしまうのではないかと?と感じたからです。

ですが、別のプランターに移し替えた次の日の朝、いつものようにリビングから確認すると、成長が遅い3本は枯れてしまっていました。

娘と朝顔のイラスト

その状況をみて娘が私に言いました。
「なんでこんなことしたの!?」「そっとしておいてあげなきゃダメでしょ!」

私は内心、父ちゃんだってあさがおのことがかわいそうだから、あさがおのことを優しく想ってやったんだ!と言いたかったのですが、余計なお世話だったかな。とも同時に感じました。

もしかしたら、人の心もそっとしとおいてあげることが一番の優しさなのかもしれません。

私は私の勝手な思い込みで、あさがおの成長を早いだの遅いだのと決めつけてしまいました。

かわいそうだ!というモヤモヤした感情が嫌だから、私のモヤモヤを和らげるために、ついついあさがおに勝手に期待をかけ、私のエゴに巻き込んでしまった。とも言えるのかもしれません。

私は私のモヤモヤをスッキリするために、あさがおを振り回してしまった。とも言えるのかもしれません。

人にも生き物にも自然治癒力や自然成長力がある。ああすればいい。こうすればいい。と、過保護したり過干渉するとかえって成長を阻害してしまう。だから相手のことを信用して太陽のように見守ってあげるのが一番の優しさなのかもしれません。

困っている人にたいして、かわいそうだ!といろいろしてあげちゃうことは、かえってその人を困らせてしまうのかもしれません。

困っている人を優しく想い、ついついいろいろしてあげちゃうことは、かえってその人を困らせてしまうのかもしれません。

2016年8月14日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 08時50分--

こどもと私:大丈夫じゃないときに、大丈夫?って聞かないで(´~`)

ある時、長女ちゃんが、
父ちゃん、〇〇のことなんだけど、私はこのままで大丈夫かな?
って聞いてくれました。
 
わたしは、ついつい
どうしたの?大丈夫?
って聞きかえしてしまいました。
 
そしたら長女ちゃんは、
大丈夫じゃないんだから、大丈夫って聞かないで!(´~`)
って、余計に心配になってしまいました。
 
長女さんにしてみれば、大丈夫じゃないから相談してくれているわけなので、私に、大丈夫?って心配されると、自分はやっぱり大丈夫じゃないように見えているのかな?って、長女ちゃんは余計に心配を感じてしまうわけですね。
 
だからといって、大丈夫だよ!って、無理に安心させようとしてもらえると、自分は大丈夫にならなきゃいけないんだ!って、長女ちゃんは余計に焦りを感じてしまうわけですね。
 
私が大丈夫?って聞いたのは、気遣いとか心配しているよって意味なのですが、気遣いとか心配するとかって、相手の気持ちを思いやっているように見えて、かえって、相手の気持ちを決めつけようとしていて、相手を窮屈にさせてしまうものですね。
 
私だって、大丈夫じゃないときに大丈夫?って聞かれると、かえって(´~`)な気分になりますね。
 
なので、長女さんの気持ちは当然だなと私は感じました。
 
くわえて、長女さんはだんだんと思春期になりつつあって、思春期とは、自分が大丈夫かどうか?を懸命に確かめる繊細な時期ですからね。
 
その時期に、私までもが心配を増やしてしまっては、そりゃ長女さんもたまりませんね(^-^)
 
なので、私はこんな風に言いくわえることにしました。
 
長女ちゃんは〇〇のことを心配に感じてくれているんだね。
 
長女ちゃんが〇〇のことを心配に感じることができているってことは、それはそれだけ、とても大切にできているってことだと父ちゃんは思うよ。
 
旅行に出かける前の戸締りとか。。。お仕事を始める前の準備とか。。。
 
父ちゃんも大切なことを始める前には、長女ちゃんと同じように、心配に感じると思うよ。
 
だから長女ちゃんが〇〇のことを心配に感じることができているってことは、父ちゃんと同じように、長女さんにとって〇〇がとても大切だってことなんだよね。
 
なので、長女ちゃんが〇〇のことを大切なんだって思ってあげていれば、いつのまにか大丈夫になっているかもしれないね。
 
まぁ長女ちゃんが〇〇のことを大切にしてくれていることが、長女さん1人では大変だなぁ。と感じることができたとき、父ちゃんも一緒に〇〇のことを大切に思うことができていたら、父ちゃんも嬉しいね。
 
私はこんな風に話しました。
 
そしたら、長女さんはニッコリ(^-^)になりました。
 
たぶん、心配していること自体を受け入れることができて安心できたのでしょうね。

2015年12月26日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時29分--

こどもと私:五十歩、百歩(^-^)

今日、次女とふたりで近くのコンビニに買い物に行きました。

テクテク二人で買い物に行きました。

コンビニの入り口でうしろを振り返ると、ふたりのお家が見えました。

どれくらい歩いたのかな?と、私は次女に聞きました。

100くらい歩いたよ。父ちゃんは?と、次女は私に言いました。

父ちゃんは50くらい歩いたよ。と、私は次女に言いました。

すると。。。

父ちゃんは50しか歩いていないけど、私は100も歩いた(´~`)と、次女は不機嫌そうに私に言いました。

私は次女にこう言いました。

次女ちゃんは、父ちゃんは50しか掛かっていないけど、次女ちゃんは100も掛かったって思うんだね。
たしかにそうだよね。

でも、父ちゃんはこう思うよ。

父ちゃんは50しか歩くことができなかったけど、次女ちゃんは100も歩くことができたんだよね。

次女は一瞬(^-^)となりましたが、また(´~`)という顔になりました。

そして、コンビニで買い物を済ませて外に出て、正面にふたりのお家が見えました。

お家が見えるね。次女ちゃんはどれくらいの大きさに見える?と、私は次女に聞きました。

小さく見える。と、次女は私に言いました。

次女ちゃんにはお家が小さく見えるんだね。

父ちゃんにもお家が小さく言えるよ。

だから、父ちゃんも次女ちゃんもお家が小さく見えるくらい、同じくらい歩くことができたんだね。と、私は次女に言いました。

すると。。。

ほんとだね〜おんなじだけあるいたんだね〜(^-^)と、次女はようやくニッコリになりました。

お家からコンビニまで歩いたという出来事は何ら変わらない。

その出来事を、どれくらいの労力で達成できたか?=【効率】で捉えると。

私が50歩で達成できたのに、次女は100歩も掛かってしまうことになって。

次女は不機嫌(´~`)になりますね。

その出来事を、どれくらいたくさんの歩数を歩くことができたか?=【運動量】で捉えると。

私は50歩しか歩けていないのに、次女は100歩も歩くことができたことになって。

次女は一瞬ニッコリ(^-^)になりますね。

その出来事を、どのくらいの遠くまでくることができたか?=【距離感】で捉えると。

私も、次女も、お家が小さく見えるくらいまで歩くことができたことになって。

1勝1敗1引き分けになって、次女はずっとニッコリ(^-^)になれたわけですね。

ひとつの出来事でも、いろいろな捉え方をしてみることで、いろいろな気持ちを生み出してあげることができますね。

あなたの願いがあなたの気持ちを(^-^)にさせてあげたい!という願いなら。

出来事そのものを変えなくても、出来事はそのままに、出来事の捉え方を増やしみることで、あなたの心に(^-^)な気持ちを増やしてあげることも、ひとつのアイデアなのかもしれませんね。

出来事そのものを変えなくても、あなたの心に(^-^)な気持ちを増やしてあげるアイデアを、私はいろいろ知っているつもりでいます。

2015年12月26日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時24分--

警察に捕まるわけじゃないもんね(^-^)

うちの近所のお子さんの口癖に「警察に捕まるわけじゃないもんね」って言う言葉があります。
 
なかなか素敵な言葉だなと私は思っています。
 
さて、なんで素敵なんでしょうね?(^_^)
 
人は、心配して不安を感じたり失敗して落ち込んだりしますね。
 
そんなとき、どうすればいいのだろう?ああしていればよかったんじゃないか?って工夫の余地を探したくなりますね。
 
でも、なかなかすっきりとした答えが見つかりずらくて、延々工夫の余地を探してしまって、見つからなくて、嫌になってしまったりもしますね。
 
私の近所のお子さんが、泣いている下級生や失敗して落ち込んでいる友達によく言っている言葉があります。
 
それが「警察に捕まるわけじゃないもんね」って言葉です。
 
「怒られたくない気持ちもわかるけど、心配してても仕方ないよ」
 
「だって、怒られても警察に捕まるわけじゃないもんね」
 
こんなことをお話ししている姿をよく見かけます。
 
心配ばかりしていると、どうしよう?どうしよう?って、ついつい心配事にズームインしてしまって、注目しすぎて、視野が狭くなって、なかなか抜け出しづらくなりますね。
 
そんなとき大切なのは、ふっと心配事からズームアウトして、視野を広げてあげる言葉かけなのでしょうね。
 
「怒られるのが嫌だって心配するのはわかるけど、警察に捕まるわけじゃないもん、心配しすぎるのももったいないね」
 
熱いお湯を冷ましてあげるように、ネガティブなことに集中している自分を、ニュートラルに戻してあげることも大切ですね。
 
私もついつい心配事に集中してしまいがちですね。
 
なのでこれからは、「もし心配しているようなことが起こっても、警察に捕まるわけじゃないもんね」って、自分で自分のプレッシャーを和らげてあげようと思っています。

2015年12月26日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 18時00分--

うつ病の高校生と接して感じた体験談です。

うつ病を抱える高校生とのカウンセリングで感じたことです。

うつ病の高校生のメッセージ

 

ここ最近、うつ病を抱える高校生がカウンセリングに訪れてくれるケースが多くなってきています。

この記事は、うつ病を抱える高校生と接してきた私の感想を私の言葉で表しています。

 

思春期はうつうつとする時期

高校生や中学生は、人の成長過程に照らし合わせると、思春期と呼ばれる時期です。

 

思春期とは、11~18歳頃まで続く、心身ともに不安定な時期をさします。

不安定というのは決してマイナスではなく、それだけ成長し変化し躍動している時期ということです。

 

思春期には、身体は一気に大人へと成長していくのですが、心理面は恐る恐る慎重に成長をしていくので、心身のバランスの変化に戸惑いを感じ不安定になり、不安やイライラを感じやすい時期でもあります。

 

大人であっても、全く新しい環境に引っ越したりすれば、心理的に慣れるまで時間が掛かるように、思春期の子どもたちも、自分自身の変化に、11~18歳頃まで、時間を掛けて慣れていきます。

その間は、迷ったり、苦しんだり、背伸びをしたり、泣いたり、笑ったり、いろいろな感情を豊かに感じて表現し、初夏の草木のようにエネルギッシュに成長していきます。

 

高校生も人間関係が大変なイメージ

 

うつ病の高校生A君

さて、先日、私のところにお越しくださった高校生A君は、不登校=つまり学校への登校が困難になり、お家の自室に閉じこもりがちになって、心療内科さんを受診したそうです。

そして、高校生A君は、うつ病と診断されたそうです。

 

うつ病とはどういった心理状態かというと、心という鍋の中に感情というスープがパンパンにたまってしまっている状態です。

このとき、鍋の中にたまってしまっている感情というスープをストレスと呼びます。

 

うつ病とは、日々自然に豊かに生まれてくる感情を、何かの理由で自由に表現したり発散できなくなってしまったため、自分自身の心に溜め込みがちとなり感情の循環が滞ってしまい、心が渋滞して重くなってしまっている状態です。

 

うつ病の高校生A君は、学校でも家庭でも、日頃の感情を表になかなか表現できず、1人でたくさん抱え込んで苦しんでいたのです。

なので、眠れなかったりやる気が出なかったり集中できなかったり不安が止まらなかったり自己嫌悪無気力自己否定など、さまざまな苦しい症状を感じて限界だったと思います。

とても苦しかったことだろうなと私は思いましたし、よくお越しくださったなぁ…と、私はとてもありがたかったです。

 

高校生はストレスをたくさん抱えている。

さて、うつ病の高校生A君はなにを気にして自分の感情=ストレスを抱え込んでしまったのでしょうか?

それは、ほとんどの場合、周囲の人たちの反応です。

 

自分が感じたことを言葉や表情や動きで表現したのに、周囲の人たちにバカにされたり無視をされれば、ショックを受けて心が傷ついてしまいます。

一度、心が傷ついてしまった以上、同じ想いは二度としたくないので、感情表現を躊躇するようになります。(専門用語で防衛機制と言います。

 

高校生がいじめでうつ病に

 

思春期は、ただでさえ豊かに感情を感じる時期です。

湧水のように豊かにあふれ出る感情を、豊かに表現して心を循環させることでイキイキと成長していきます。

 

ですが、自分の置かれている環境や周囲の人たちの反応によっては、

湧水のように豊かにあふれ出る感情を我慢して抑えなければならなかったり、傷つくことを恐れ心に抱え込んでしまう場合があります。

そして、ひとたび我慢や抱え込んでしまうようになると、日がすぎるたびに心にストレスがたまっていき、心が重くなって動けなくなってしまいます。

 

つまり目には見えませんが、思春期=高校生も、お父さんやお母さんと同じくらいに、重い荷物=ストレスをたくさん抱えているわけです。

 

うつ病の高校生A君はなにを気にしていたのでしょうか?

さて、先ほどもお話をさせて頂きましたが、

うつ病の高校生A君が苦しい想いを抱えることになってしまった流れは、

 

  • そもそも思春期の高校生はたくさんの感情を豊かに感じます
  • 豊かに感じる感情をスムーズに発散できなかったため心がストレスで満杯になってしまった。
  • 心がストレスで満杯だと心に空きスペースがないため、新しい行動や感情が生まれにくくなってしまった。
  • その状態をお医者さまは、高校生A君をうつ病と診断をした。

 

という流れでしたね。

 

高校生がうつ病になったいきさつ

 

ポイントは、高校生A君がスムーズに感情を発散できていれば、心にストレスを溜めることもなかったということです。

 

では、なぜ?高校生A君は感情をスムーズに発散できなかったのでしょうか?

 

それは、家族や友人など、周囲の人たちの反応がイマイチであったため、高校生A君は感情を表現しずらくストレスを溜めこんでしまった…という場合がほとんどです。

 

友人から無視をされたり、からかわれたり、粗略に扱われたり、意地悪をされれば、心が傷つき、次からはグッと我慢して現状を維持せざるをえなくなります。

くわえて、親からは、ああしなさい!こうしなさい!とプレッシャーを掛けられてしまったり、親がお仕事などで不在がちのため、家庭でも機会を失い八方塞がりとなり、心がストレスで満杯になり、高校生A君はうつ病を抱えることになってしまったわけです。

 

うつ病の高校生…それは平和を願っている。

さて、みなさんは、うつ病という言葉を聞いてなにを感じますか?

怠け者?弱虫?おかしい?恥ずかしい?

 

確かに、人の心は、自分自身が体験したことがないことを「おかしい」と感じるようにできています。

ですが、高校生がうつ病を抱えるということは、それだけ周囲の甘えを受けとめて耐えてくれている。ともいえるのかもしれません。

 

友人の振り回しに付き合ってあげたり…

親や家族の期待の押し付けに応えてあげたり…

 

自分の感情を、周りのだれかに平気で八つ当たりして無責任に発散できていれば、ストレスを溜めることなく、うつ病の高校生とはならなかったわけです。

でも、それでは心が痛む優しさがあるからこそ、A君はぐっと堪えてくれた…

 

周りから自分がされて嫌だったことを、自分は周りにしたくはない…

うつ病の高校生A君は、このように周囲との穏やかな関係を築こうとしていたのかもしれません。

 

だとしたら、自分の気持ちを相手に押し付けたり八つ当たりするのを避けるために、A君はぐっと堪えてくれたわけですから、うつ病の高校生A君は、苦しさのぶんだけ平和を願っているのだと私は感じました。

 

うつ病の高校生との接し方

さて、うつ病の高校生との接し方について、わたしなりの雰囲気を書き留めていきます。

先ほども申し上げました通り、思春期=高校生は、ひとりの大人として自立をしている最中です。

なので、上から目線で

 

話しを聞いてあげるよ…なんでも話してごらん…

という態度では、高校生はかえって心を閉ざすでしょう。

 

あくまで、相手の意思を尊重し

 

教えてもらえると嬉しいな…教えてくれてありがとう…

という態度で接することで、高校生は自分の意思でいろいろと教えてくれます。

 

クライアントを信じて見守っている

 

親から見れば、思春期とは、何とかしてあげる子育てから信じて見守る子育てへの転換期です。

もしかしたら、親がいろいろしてあげてしまうことが、かえって高校生の自尊心を傷つけてしまっているのかもしれません。

 

「親に助けて甘えさせてほしい!」という雰囲気から「親にそっと見守っておいてほしい!」という雰囲気への転換期が思春期なのですよね。

 

苦しんでいる我が子をそっと見守ることは、我が子を見捨てることにはなりません。

その子のことはその子に任せ信じて見守る…

そうやって、親に信じてもらえると子どもは嬉しくて自信がつくのかもしれません。

 

なので、私はカウンセラーとしても、高校生A君を信じてふわふわと見守らせて頂きました。

そして、高校生自身の意思と納得でもって、たくさん溜めこんだストレスの感情表現をゆっくりと始めてくれました。

結果、心のなかが空っぽになるくらいスッキリして、軽くなった心とともに軽やかになっていきました。

 

オンラインカウンセリングのご紹介

引きこもり、不登校、遠方の方、お試ししたい…

当方は、インターネット回線を介しカメラとマイクを利用したオンラインカウンセリングを行っています。

是非、ご活用ください。

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時42分--

長女さんへ、心はやわらかいのがいいかもね(^^)

女の子が楽しく遊んでいるイメージ

 

小学校低学年の長女に感じたこと…

長女には小学校三年生まで、

習い事を何一つ強要したことも、勧めたこともありませんでした…

何一つ習い事をさせずに来ました。

でも、ある日突然、長女が和太鼓を習いたい!と教えてくれました(^^)

その時に感じた気持ちのポエムです。

 

長女さん、心はやわらかいのがいいかもね(^^)

私が【やりなさい】とは言わないのに、

君は【やりたい】と言って和太鼓を始めたね。

素晴らしいですね。

 

私が【行きなさい】とは言わないのに、

君は【行きたい】と言って和太鼓の練習に行きますね。

とても素晴らしいですね。

 

私が【練習しなさい】とは言わないのに、

君は【上手くなりたい】と言って食べながらも練習しますね。

とてもとても素晴らしいですね。

 

そして 私が【楽しい?】と聞く前に、

いつも、君は【楽しいんだよ!】と教えてくれますね。

ありがとうございます(^^)

 

君が自分で楽しさを見つけることができる様になって、

私はとても嬉しく思います。

 

自分を楽しませようと思えていれば、

心はゴムの様に柔らかくなるでしょう。

 

心がゴムの様に柔らかければ、

これから心に大きな衝撃を受けたとしても、

なんとなく受け流せるようになるでしょう。

 

少しばかり心が揺れても

しばらくすれば元に戻れるよ。

 

柔らかい心は、強い心よりも 愛嬌があって、

余裕があって、人間味があるのかもしれないね。

 

君がいつも友達も巻き込んで、

自分で自分達を楽しませようしている姿を見ると、

私は君を誇りに思うしとても安心です。

 

人生の中心の暖かく、

大事な部分を見つけ始めたみたいだね。

 

成績や評判なんて天ぷらのころものようなものだよ。

それだけあってもさびしいね。

 

中身があれば、

ころもは勝手についてくるでしょう。

でも、天ぷらもころもがなければ天ぷらになれないし、

ころも次第で味が変わることもありますね。

 

それは これからわかっていけるといいね。

まぁ、ぼちぼちでいいね(^^)

 

父ちゃんより

 

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2015年12月19日 | カテゴリー : こどもと私 | 投稿者 : sorakumo

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時12分--