カウンセリングの例え話:太陽とスッポン

心理カウンセリングの目的や雰囲気について例え話で表現した記事です。

あるところにスッポンが暮らしていました。

なんでか?どうしてか?はわからないのだけれど、スッポンはじっとしたまま動きません。

そんなスッポンの頭上にはカンカンと輝く太陽がおりました。

カンカンと輝く太陽のせいでスッポンの甲羅はみるみる乾いてしまい、スッポンはとても苦しい想いを感じておりました。

それでもスッポンは我慢して我慢してじっとしたまま太陽の陽射しにひたすら耐えておりました。

我慢していればきっといいことがあるはずだ。。。頑張っていればきっとわかってもらえるはずだ。。。 と、スッポンはこのような想いを感じながら、ただただ我慢して頑張って耐え続けておりました。

けれどもスッポンがいくら頑張って我慢しても太陽は変わらずカンカンと陽射しを注いでいます。

意地悪なくらいに、太陽は変わらずカンカンと陽射しを注ぎ続けています。

スッポンはこんな風に想いました。

僕がこれだけ頑張って我慢して苦しい想いをしているのに、太陽はなんでわかってくれないんだ?

太陽はちっとも気づいてくれないし、ちっとも陽射しを和らげてくれない。。。

太陽はなんて悪いやつなんだ!太陽はなんて使えないやつなんだ!

スッポンは胸のうちでモヤモヤ&グルグルと想いながらも、ただただ我慢して頑張って耐え続けておりました。

我慢していればきっといいことがあるはずだ。。。

ほんとは苦しいんだ。。。だから陽射しを和らげてください。。。なんて太陽に言えないよ!黙って頑張っていればきっと太陽のほうが気づいてくれるはずだ。。。

しかし太陽からしてみれば遠く離れたスッポンの姿は残念ながら見えようもなく、苦しんでいるスッポンの気持ちに気づきようもなく、苦しんでいるスッポンのために陽射しを和らげてあげるなど思いもよらないことでした。

そのうちスッポンはこんな風に想いはじめました。

僕がこれだけ頑張って我慢して苦しい想いをしているのに、太陽はわかってくれない。。。みんな何も言ってくれない。。。

よく我慢したねって誰かにわかってほしい。。。もう自由にしていいよって誰かに言ってほしい。。。

僕がこれだけ頑張って我慢して苦しい想いをしているのに、ぼくは誰にも気づいてもらえない。。。

ぼくはなんて悪いやつなんだ!ぼくはなんてダメなやつなんだ!

自分の苦しい想いをただただ我慢して頑張って耐え続けることで表現し続けたスッポン。。。

それでもちっとも気づいてもらえないスッポンは、いつしかわかってもらえない自分&気づいてもらえない自分が悪いんだ。。ダメなんだ。。と誤解してしまうようになりました。

それ以来、ほっと楽になるためには頑張って我慢して誰かに認めてもらわなければならなくなって、でもほっと楽になるためにはさらに苦しさを堪え続けなければならなくもあって、とても鬱々とした気分を感じるようになってしまいました。

スッポンは、もうなにも感じないロボットみたいに疲れ果ててしまい、苦しさが麻痺してしまうくらいにとても疲れ果ててしまい、自分は一体どうしたらいいのか?自分は一体どうしたいのか?がわらなくなってしまいました。

そんなぼーっとしているスッポンを見かねた一羽のカラスがこんな風に話しかけました。

カウンセリングってどんな感じか?感じてみましょう。

それでは、ここからカラスとスッポンの対話=カウンセリングの雰囲気を感じてみましょう。

カラス:わたしにはスッポンさんがずいぶん苦しそうに見えるよ。スッポンさんはこれから一体どうしたいんだい?

スッポン:どうしたいか?なんてわからない。ぼくはただ暑いのを我慢して耐え続けるしかないんだ。

カラス:そっか、スッポンさんは暑いのを我慢しているんだね。ところでスッポンさんはこれからも暑いのを我慢し続けたいのかな?それともほんとは我慢し続けたいわけではなくてほっと楽になりたいのかな?スッポンさんの望みはどちらなんだい?

スッポン:そりゃ僕だってほっと楽になりたいよ。でも太陽が意地悪だから暑いのを我慢するしかないんだ。

カラス:そっか、スッポンさんは太陽が意地悪だなって感じているんだね。ところでどうして太陽を意地悪だって感じているの?

スッポン:だって僕がこれだけ暑さに耐えて我慢しているのに、太陽はちっとも気づいてくれないからさ。。。。

カラス:そっか、スッポンさんがたくさん我慢して待っているのに太陽さんがちっとも気づいてくれないのだとしたら、そりゃスッポンさんにとって太陽は意地悪な存在に感じるだろうなとわたしも思うよ。

スッポン:うん。うん。

カラス:確かにスッポンさんが教えてくれてた通り、太陽が陽射しを和らげてくれれば暑さが和らいでスッポンさんはほっと楽になれるよね。でも太陽がなかなか気づいてくれないから、スッポンさんはとても苦しい。ってことなんだろうね。

スッポン:そうなんだ。ぼくはとても暑いし、苦しいし、それでも我慢して頑張っているのになかなか太陽に気づいてもらえなくてもうどうしたらいいかわからないんだよ。。。

ぼくは暑いと感じている。。。ぼくは苦しいと感じている。。。ぼくは我慢して頑張っている。。。ぼくは太陽さんに気づいてもらいたい。。。でもどうしたらいいかわからない。。。

このように、スッポンはカラスと対話をすることで、自分自身の胸のうち=想いや願いをあらためて素直に棚卸し&表現&発散&再確認できたことで少しだけこころがほっと楽になりました。

カラス:だったら太陽さんに陽射しを和らげてくださいってお願いしてみては?

スッポン:なんだって!?なんで僕がお願いしなきゃならないんだ!悪いのは太陽じゃないか!

カラス:そっか、スッポンさんは楽になりたい。でも陽射しを和らげてほしい!って太陽にお願いするのも嫌だ。ってことなんだね。それでは八方塞がりでとても苦しくなってしまって当然だよね。

スッポン:そうなんだ。僕も早く楽になりたいんだけど太陽にお願いするのも納得いかないんだよ。だからカラスさんから太陽にお願いしてくれないかな?

カラス:スッポンさんの言うとおりだね。スッポンさんのアイデアは素晴らしいと思うしわたしも協力したいのだけれど、わたしにもわたしの気持ちがあってね。。。太陽が陽射しを和らげてしまうと環境が変わって僕もほかのみんなも困ってしまう。だから残念だけど、陽射しを和らげてほしいと僕から太陽にお願いすることは嘘をつくことになるのでわたしは避けたいんだ。

スッポン:そっか、そうだよね。。。自分で何とかしなきゃ。。。だよね。。。

カラス:そうだね。スッポンさんの言うとおり、わたしや太陽さんになんとかさせようとするより、スッポンさんがスッポンさんを楽にしてあげる。っていうアイデアは、誰かに甘えて誰かを巻き込むわけじゃないし、誰かに一喜一憂して振り回されるわけじゃないから、一番平和的で確実なアイデアだなとわたしも思うよ。。。それにスッポンさんが楽になってくれるとわたしもホッと安心できるしね。

スッポン:ありがとう。。。でもぼくはどうしたらいいのだろう。。。

カラス:では、こういうアイデアはどうかな?太陽の陽射しはそのままそっとしておいて、太陽の陽射しに関係なく、スッポンさんがほっと楽になってしまってみては?

スッポン:えっ!?太陽の陽射しが暑いままでもぼくが楽になれる方法があるの?それが一番いいや!ぜひ教えてくれよ!

スッポンはカラスとの対話を続けることで、自分は今まで苦しいと感じていた。そして今も苦しいと感じている。だからといって太陽にお願いして楽にしてもらうのも嫌だ。だから太陽に楽にしてもらうより自分で自分を楽にしてあげたい!という自分自身の願いに気づいていきました。

カラス:そうだね。スッポンさんも太陽やぼくに楽にしてもらうとあとあとなんだか後ろめたいだろうからね。だからこそ太陽にお願いするのが嫌だ=つまりスッポンさんは自分で自分を楽にしてあげたいんだね。

スッポン:そうなんだ!太陽にお願いして助けてもらうのもなんだか癪で納得がいかないので、ぼくは自分で自分を楽にしてあげたいんだよ!カラスさん、その方法を教えてくれよ!

スッポンの素晴らしい意思を確認できてカラスはニコニコしていました。

カラス:わかりました(^-^)それでは、そこにある池に飛び込むだけだよ。なにも自分はじっと動かず無理に太陽を変えようとしなくても、自分から動いて太陽との距離を空けて池に飛び込めば太陽はそのままにスッポンさんは涼しくて楽になるでしょ?

スッポン:そっか!!!カラスさん、ぼく思い出したよ。ぼくは幼い頃からお父さんに苦しいことから逃げるな!って言われ続けてきたんだ。でももう限界だよ。もう自分を楽にしてあげたいよ。もう自分を自由にしてあげたいよ。だからぼくはもう苦しいことから逃げてもいいんだね。

カラス:そうだね。でも苦しいことから逃げていいかどうかは、とても大切なことなので、スッポンさんではないカラスのわたしには残念ながら決められないよ。もしスッポンさんがお父さんだったら今まで苦しいのを頑張って我慢し続けたスッポンさんになんて言ってあげたいの?

スッポン:そうだね。ぼくがお父さんだったら、今までよく我慢したね。もう自由に楽になってくれたほうがお父さんも嬉しいよ。って言ってあげたいよ!

カラス:素晴らしい気持ちだね。じゃぁ、少し目を閉じて、お父さんの想いをお父さんに代わってスッポンさんがスッポンさんに届けてあげるのも素晴らしいことかもね。

そしてスッポンは、少し目を閉じて深呼吸をしながら胸のうちでこんな想いを唱えました。。。

今まで苦しかったね。今までよく我慢したね。これからは苦しいのから自由になってくれたほうがお父さんも嬉しいよ。これからはもう自由にしてくれたほうがお父さんも喜んでくれると思うよ。。。。

しばらく目を閉じでいたスッポンはゆっくりと目を空けると、スッキリとした穏やかな表情をしながら、自分の意思で池に飛び込むことで自分で自分を楽にしてあげました(^-^)

そして、太陽は相変わらずカンカンと輝いておりました。そして、スッポンは池のなかで(^-^)でスイスイと気持ちよさそうに泳いでおりました。

それ以来スッポンは、あるときは太陽と距離をおき池の中でスイスイと泳いで(^-^)で過ごして、あるときは太陽に近づいて岩の上で甲羅干しをして(^-^)で過ごしました。

そして、太陽は相も変わらず今まで通りカンカンと輝いておりました。

こうして、過去の思い込みから自分を自由にしてあげることでスッポンはスッポンを自由にしてあげて、結果、太陽とスッポンの平和的共存=太陽も(^-^)でスッポンも(^-^)=共存共栄が始まりました。

いわば舞台でいえば黒子さんのように、クライアントさま自身の胸のうち=想いや願いをあらためて棚卸し&表現&発散&再確認する作業を安全距離を保って見守りほう助することを心理カウンセリングといいます。

いわば自転車の乗りはじめを後ろで支える人のように、クライアントさま自身の願いをクライアントさま自身が肯定していく=自然治癒&自然成長&自立&自信&自助=お悩みの終わりの始まり&こころの癒しと成長のエンジンをクライアントさま自身が安全に回し始める作業を安全距離を保って見守りほう助することを心理セラピーといいます。

そして、このお話のカラスの役割りを心理カウンセラー&心理セラピストといいます。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時45分--

カウンセリングの例え話:戦争をしたい人。戦争を終わりにしたい人。

あるところに、戦争をしたい人がいて、戦争を始めようとしていました。

その人は戦争を始める理由をみなにこう説明しました。

 

「となりの国の人たちって、無口だし、無愛想だし、なんだか怖いですよね?」

「だから、私たちのことをきっと悪く思っているでしょう。」

 

「みなさん、このままでは自分たちの未来が心配じゃないですか?」

「みなさん、今よりもっと安心したいですよね。」

 

「だから今のうちに戦争を始めて、となりの国の人たちをやっつけて安心しましょう!」

 

そうやって戦争を始めることになってしまいました。

でも、となりの国の人たちも必死なので、戦争を続けても続けても、人々はなかなか安心できませんでした。

 

 

そして、はじめは戦争をしたいと言っていた人々のなかから、だんだんと戦争を終わりにしたい人が増えてきました。

戦争を終わりにしたい人たちは、こう説明しました。

 

「みなさん、となりの国の人たちのことより、戦争を続けること自体が心配じゃないですか?」

 

「みなさん、このままでは自分たちの未来が心配じゃないですか?」

「みなさん、今よりもっと安心したいですよね。」

 

「だから今のうちに戦争を終わりにして安心しましょう。」

 

 

戦争を終わりにしたい人たちは、戦争をしたい人たちに、こう説明しました。

 

「はじめは、安心できると思って戦争を始めたのですが、なかなか安心できませんね。」

 

「このまま戦争を続ける方が心配なので、そろそろ戦争を終わりにしませんか?」

 

 

すると戦争をしたい人たちは、戦争を終わりにしたい人たちにこう説明しました。

 

「私たちも戦争以外の手段で安心できたら一番望ましいんですが、今のところ、戦争でとなりの人たちをやっつける以外に、安心できる良い手段が見当たらないのです。」

 

 

それを聞いた戦争を終わりにしたい人たちは、戦争をしたい人たちにこう説明しました。

 

「あなたたちが戦争という手段を用いているのは、安心したい。という目的を満たすためなのですよね。」

 

「ということは、戦争をしたいあなたたちも、戦争を終わりにしたい私たちも、安心したい。という目的は同じだってことなんですね。」

 

「同じ目的地に向かっているのに、戦争する or 戦争しない。という正反対の手段を選ぼうとしているのですから不思議なものですね。」

 

 

そして、戦争を終わりにしたい人たちは、戦争をしたい人たちにこう質問しました。

 

「では、どうしてあなたたちは、戦争しなければならないほど安心できないんですか?」

 

 

すると戦争をしたい人たちは、戦争を終わりにしたい人たちにこう応えました。

 

「だって、となりの国の人たちにどう思われているのか?心配で心配で仕方ないので」

 

「となりの国の人たちがいなくなれば、心配しなくて済む=安心できると思ったのです。」

 

続けて、戦争を終わりにしたい人たちは、戦争を続けたい人たちにこう質問しました。

 

「なるほど、たしかに、となりの人たちがいなくなれば、心配するきっかけをなくすことができので、心配しなくて済む=安心できるかもしれませんね。」

 

「でも、ここまでやっても、きっかけをなくすことができずに心配はいまだ続いていますね。」

 

「それではこんなアイデアどうでしょう。」

 

「となりの国の人たちの本当の気持ちを確かめてホッとできたら、あなたたちはとなりの国の人たちに安心できそうですか?」

 

 

すると戦争をしたい人たちは、戦争を終わりにしたい人たちにこう応えました。

 

「そうですね。」

「今はとなりの国の人たちに悪く思われているって思えて仕方ないので、となりの国の人たちを消してしまいたいって思えてしまっているのですが。。。」

 

「もし、となりの国の人たちが戦争を仕掛けた自分たちを今からでも許してくれるなら、となりの国の人たちを信頼できるってことになりますね。」

 

「そうすれば、となりの国の人たちに悪く思われているんじゃないか?っていう心配も安心して終わりにできて、わざわざ戦争っていう仰々しい手段で安心しようとしなくてもよくなって、つまり一番ラクですね。。。」

 

続けて、戦争を終わりにしたい人たちは、戦争をしたい人たちにこう提案しました。

 

「それでは戦争を終わりにしたい私たちがとなりの国に行って、となりの国の人たちが自分たちをどう思っているのか?を確かめてきますね。」

 

 

そうやって、戦争を終わりにしたい人たちは、自分たちが安心するために&戦争をしたい人たちが安心できるために、となりの国を訪れました。

 

そして、戦争を終わりにしたい人たちは、となりの国の人たちにこう問いかけまいた。

 

「あなたたちは、戦争を仕掛けた私たちのことをどう思っているのですか?」

 

 

すると、となりの国の人たちはこう応えました。

 

「どうして戦争を仕掛けてくるのかな?と、正直不思議に思っています。」

 

「戦争さえ終われば、私たちも安心できるので、戦争を仕掛けてくる理由を知って、戦争を終わらせて安心したいなと私たちも思っているのです。」

 

 

すると、戦争を終わりにしたい人たちは、となりの国の人たちにこう応えました。

 

「あなたたちは、戦争を終わらせることで安心したいって思っているんですね。」

 

「じつは、私の国の戦争をしたい人たちは、戦争そのものをしたいわけではなくて、安心したいということが目的なんですよ。」

 

「くわえて、戦争を終わりにしたい私たちも、戦争を終わらせて安心したいためにあなたの国にやってきたのです。」

 

「ということは、戦争を終わりにしたい私たちも、私の国の戦争をしたい人たちも、そしてとなりの国のあなたたちも、安心したい。っていう目的は同じだってことなんですね。」

 

「同じことを願っているのに、同じ目的地に向かおうとしているのに、わざわざ戦争しなければならないなんて滑稽な話ですね。」

 

 

すると、となりの国の人たちは、こう応えてこう質問し返してきました。

「あなたの仰る通りですね。」

 

「でもなぜ?あなたの国の戦争をしたい人たちは、わざわざ戦争という手段で安心しようとしたのでしょうか?」

 

「やっぱり、どうして戦争を仕掛けてきたのか?を知りたいものですね。」

 

 

すると、戦争を終わりにしたい人たちはこう応えました。

「もっともなお気持ちですね。」

 

「まず、先ほどもお話しさせて頂いたように、私の国の戦争をしたい人たちも、あなたたちと同じく、安心したくて戦争という手段を用いたわけですね。」

 

「ではなぜ?わざわざ戦争という手段を用いたかというと、じつはとなりの国のあなたたちに対する思い込みや誤解があったわけなのです。」

 

「つまり私の国の戦争をしたい人たちは、あなたたちに悪く思われているって思い込んでいて、ついつい戦争という手段を選んでしまったのです。」

 

「でも今では、となりの国のあなたたちの想いを確かめて安心したい。って願えるようになっています。」

 

「くわえて、私の国の戦争をしたい人たちは、もし戦争を仕掛けたことをあなたたちが今からでも許してくれるなら、あなたたちを信頼できて、安心できて、それが一番望ましいって言っています。」

 

「いかがですか?戦争を仕掛けたこと&戦争による犠牲については、精一杯の償いを致しますので、今から戦争を終わりにして、お互いに安心しませんか?」

 

 

すると、となりの国の人たちはこう応えてくれました。

「そうだったのですね。」

 

「あなたの国の戦争をしたい人たちは、私たちに悪く思われているって思い込んでいたのですね。」

 

「じつは、私たちは、あなた対以外のよその国の人たちにも誤解されがちなのです。」

 

「私たちは無口ですし無愛想なので、よその国の人たちによく怒っているように誤解されてしまいます。」

 

「なので、あなたの国の戦争を仕掛けた人たちが、私たちに悪く思われているって誤解してしまったことは私たちもよくわかります。」

 

「なので、あなたの国の戦争を仕掛けた人たちにこう伝えてくれませんか?」

 

「私たちも、あなたと同じように安心したいと思っています。」

「そして、あなたたちが私たちに悪く思われているんじゃないか?って誤解してしまったいきさつもわかり、戦争を仕掛けてしまった理由もわかったので、私たちは今から戦争を終わらせることでもっと安心したいと思っています。」

 

「なので、あなたたちも私たちと同じように、戦争を終わりにするという手段で安心しようとしてくれたら、あなたたちを許すことができて私たちも嬉しいです。」

 

「あなたの国の戦争を仕掛けた人たちに、このように伝えてくれませんか?」

 

 

すると、戦争を終わりにしたい人たちはこう応えました。

「わかってくれてありがとうございます。」

「そして、あなたたちのとても素晴らしい想いを受け取ることができて、戦争を終わらせたい私たちもとても安心できました。」

 

「なので、あなたたちの想いは、私が責任をもって私の国の戦争を仕掛けた人たちにお伝えさせていただきます。」

 

こうしてとなりの国を訪れた戦争を終わりにしたい人たちは、となりの国の人たちの想い=メッセージを受け取って自分の国に戻ってきました。

 

 

そして、戦争を仕掛けた人たちにこう伝えこう問いかけました。

 

「となりの国の人たちは、あなたたちが戦争を仕掛けたことを許したいと言っています。」

 

「とはいえ、どうすれば許されることになるか?ですが。。。」

 

「ひとつは、戦争を仕掛けたこと&戦争による犠牲については精一杯の償いをすること。」

「もうひとつは、戦争を終わりにすることでみなで安心しようとすること。」

 

「つまりとなりの国の人たちは、あなたたちを許し戦争を終わりにすることで安心することを望んでいますので、戦争を仕掛けてしまったあなたたちも、となりの国の人たちと同じように、今から戦争を終わりにすることで安心しようとしてくれさえすれば、あなたたちを許してくれるそうです。」

 

「いかかですか?まだ今まで通り戦争をするという手段で安心しようとしますか?それとも今から戦争を終わりするという手段で安心しようとしますか?」

 

 

すると、戦争をすることで安心したかった人たちはこう応えました。

「ありがとうございます。」

 

「となりの国の人たちの想いを受け取ることができてとても安心できました。」

 

「なので、私たちもとなりの国の人たちと同じように、そしてあなたたち(=戦争を終わりにしたい人たち)と同じように、戦争を終わりにするという手段でこれからもっと安心していきたいです。」

 

こうして、戦争をすることで安心したかった人たちは、戦争を終わりにすることで安心したい人たちへと自分を変えることができました。

 

そして、戦争をしたかった人たちも、戦争を終わらせたい人たちも、となりの国の人たちも、みな同じように安心しようとしているんだけなんだと、みなの共通の目的に気づくことができて、みなで安心しようとしていける状態=平和を手に入れることができました。

 

 

人はついつい「どうすればいい?」という手段にばかり注目しすぎて、「どんな気持ちを増やしたいか?&減らしたくないか?」という目的を忘れがちなのかもしれません。

 

でも、目的=どんな気持ちを増やすために&どんな気持ちを減らさないために、手段=どんな行動をとっているんだよ。って、捉えていくと、ほとんどの手段=行動は、安心を増やしたいっていう目的で一致している場合が多いですね。

 

不安を感じているのは安心を守りたいからだし、焦りを感じているのは早く安心したいからですよね。

 

強迫観念という手段は、ただただ懸命に安心を見つけようとしてくれているんですよね。

 

うつ(鬱病)という手段は、ただただ安心できる方法を探してくれているんですよね。

 

対人恐怖という手段は、ただただ安心を減らさないように慎重になってくれているんですよね。

 

家族療法という心理学を生み出したアドラーは、人の行動には必ず目的があるって言っていますね。

私もアドラーの言うとおりだなと思います。

 

対人緊張、引きこもり、パニック、強迫観念、仕事を頑張るのも仕事を休むのも、結婚するのも離婚するのも、就職するのも離職するのも。。。。

これらはすべて、安心したいという同じ目的を満たすための同列の手段に過ぎないわけですね。

 

ある旅行先=ひとつの目的地に行くのに、電車のが良い!車のが良い!と手段にばかり注目して揉めてしまうのも滑稽な話ですものね。

でも同じ目的地に旅行に行くことが目的なんだって気づくことできると、「電車でも車でも、どっちの手段もOKだね。」ってなれるでしょうね。

 

こういった、行動の目的=気持ちに注目せず行動という手段や結果ばかり注目して、***するといい!、***すればこうなるかも?と手段のみを延々に選び繰り返すことを、一般的には人生相談というのでしょうね。

そして、行動という手段にばかり注目してしまえば、**病、**症候群、**症、。。。といった、否定的なレッテルを自分のハートに貼ってしまうことになってしまうのかもしれません。

 

でも、私が大切にしているのは心理相談です。

つまり心理相談とは、他人から見て理解しがたい行動にも、必ず目的があるって捉えてみる機会です。

 

自分が自分に感じている不思議な行動にも必ず目的があって、その目的はほとんどの場合、あなたにとってプラスの気持ちを増やそうとして、心の無意識=潜在意識という部分が自動で繰り返してくれているってことですね。

 

なので、心のしくみをよく理解したうえで、自分の考えや想いや行動の目的に気づいていくと、それだけでホッとできたり、安心できたり、落ち着くことができていけることを私はよく知っているつもりでいます。

 

こういう気持ちを感じたくて、無意識にこういう行動を繰り返していたんだ。。。

 

これ以上、こういう想いをしたくないから、無意識にこういう考えが浮かんでいたんだ。。。

 

こういう気持ちを嫌がっていたから、無意識にイライラが募ってしまっていたのか。。。

 

例えばこんな風に、あなたがあなたに感じる心の不思議さに、あなた自身が安心できたとき、それは未来のあなたにとって大きな安心材料となるだろうなと私は思っています。

 

あなたの心=無意識=潜在意識のメッセージを紐解いて、あなたがあなたの心に安心できるようになっていく。

そんな心のしくみ=心理を大切にしたサポートを毎日させて頂いているつもりで私はいます。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 20時58分--

カウンセリングの例え話:街灯の誤解&街灯の願い

ぼくはある街の街角に立っている一本の街灯です。

毎日、日が暮れると明かりを灯すのがぼくの役割りです。

ぼくの足元はいろいろな人が通っていきます。

家路を急ぐサラリーマンや夜ウォーキングをする人たち。。。

でもぼくのことに気を留めてくれる人はなかなかいないものです。。。

みんなぼくが全然平気だと思っているのだろうか?

そりゃ特別苦しいわけではないけれど、少しは僕にも関心をもってほしいなぁ。。。

そんなとき、街灯は夜空を見上げました。

そこにはお月さまとたくさんの星たちが煌々と輝いていました。

そんな夜空の輝きを見て街灯はふと想いました。

あぁ。。。ぼくもお月さまや星たちのように煌々と明るく輝くことができたらきっとみんなに関心を持ってもらえるのだろう。。。

ぼくがみんなに関心をもってもらえないのはお月さまや星たちに比べて輝きが足りないからなんだ。。。

だからもっと頑張って輝かなきゃ!

街灯はひとりこんな風に想って思って自分以上=街灯以上の輝きを放つようになり頑張り続けました。(自分への誤解=自己否定の始まり)

けれどもいくら頑張って街灯以上に輝いても、いくら頑張って自分以上に輝いても、家路を急ぐサラリーマンや夜のウォーキングをする人たちは今まで通り街灯に関心を持つことはありませんでした。。。

そんな足元を通り過ぎる人たちを見て街灯は想いました。

あぁ。。。ぼくがいくら頑張ってもしょせんぼくは関心を持ってもらえないんだ。。。

これじゃぁ。。頑張っても苦しいし頑張らなくても苦しい。。。

ぼくなんて明かりを灯していても意味はないんだ。。。

きっとぼくなんか消えてしまっても人々は気がつくことさえないだろう。。。

ぼくなんて居ても居なくても変わらない意味のない存在なのだろう。。。

いくら頑張って街灯以上に輝いてもいくら頑張って自分以上に輝いても足元を変わらず通り過ぎていく人たちを見て街灯はこのような想いをグルグルと感じ続けておりました。

すると街灯自身も気がつかないままに、街灯の明かりがだんだんと暗くなってついには消えてしまいました。。。

頑張って自分以上=街灯以上の輝きを放ち続けたことで街灯は寿命を縮めてしまったのです。

ときは夕暮れで太陽の明かりが少しばかり残っていたので、街灯が暗くなって消えてしまっても人々が気づくことはありませんでした。。。

ですが、街灯は頑張りすぎて、自分の状況や人々の様子を把握することが難しいくらいに疲れ果てていたのです。

あたりがすっかり暗くなり始めてお月さまや星たちが輝き始めていました。

そんなとき、ハァハァ。。。スタスタ。。。と急ぎ足でかけてくる足音が聞こえてきました。

聞きなれない足音だなぁ。。。遠のく意識のなかで街灯はぼんやりと感じました。

いつも同じ場所に立ち続けている街灯ですから始めて通る人のことは嫌がおうにも気に止まってしまうわけです。

ですが、街灯はとくになにかしようとする元気がないくらいに頑張りすぎて疲れ果てていたのです。

そのとき、街灯の足元で女の子の声が聞こえました。

街灯さん!街灯さん!どうか私を助けてください!

暗くて怖くてこれ以上先に進めません。。このままだとお家に帰れません。。。

いつもお家の窓から街灯さんが道を明るく照らしてくれているのを見ていました。

だから今日は勇気をだして初めての道を通って新しい友達のお家にお出かけしたんだけどやっぱり帰りが遅くなってしまいました。

街灯さん!どうかいつものように明かりを灯してください!私を助けてください!

街灯はふと我に返りました。。。足元には困り果ててソワソワドキドキしている小さな女の子がいました。

でも街灯は頑張って自分以上=街灯以上の輝きを放ち続けたことですぐに明かりを灯すことができませんでした。

なんてことだ、こんなときに明かりを灯せないなんて!

街灯は焦りともどかしさを感じました。

なんとかしなきゃ!と街灯は踏ん張りますが元手の元気が足りずに空回りをするばかりです。

そんなとき、街灯には暗い夜空にお月さまとたくさんの星たちが煌々と輝いているのが見えました。

街灯はふと想いました。

おかしいな。。お月さまや星たちがあれだけ煌々と輝いているのに周りは明るくないのかな?

お月さまや星たちの明るさは、ぼくの明るさなんて意味のないくらいに、ぼくなんかより何百倍も明るいはずなのに、この子はどうして暗くて怖がっているんだ?

いつも通りに。。。いやいつも以上にお月さまや星たちが煌々と輝いているのに、暗くて怖がって進めないでいる女の子のことが街灯は不思議でなりませんでした。

そんなとき、女の子がこんな風につぶやきました。

お母さんの言うとおり、お月さまやお星さまはたしかにきれいだけれど、それだけでは暗くて怖いんだね。。。

お月さまやお星さまの明かりだけでは確かに暗くて怖いけど、街灯さんがいてくれれば明るくて安心大丈夫だ!と思って勇気を出して出かけたのに。。。

大切な街灯さんが消えてしまっては怖くて帰れないわ。。。

街灯さんに甘える前に帰っておいでってお母さんが言っていたなぁ。。。

やっぱりお母さんの言うとおり太陽さんが見守ってくれているうちに街灯さんに甘える前に帰ればよかったんだなぁ。。。

えっ!?街灯は全身に電気が走るような感覚をピピッと感じました。

そしてこんな風に想いました。

もしかして、ぼくってお月さまやお星さまより明るいってこと!(^-^)

その瞬間、街灯はパッと再び明かりを灯し始めて、その瞬間、女の子もパッと心が暖かくなりました。

すると、さっきまで暗くて怖くて困りはててソワソワドキドキしていた女の子は街灯にひと言残して駆け足でお家に帰っていきました!

街灯さんありがとう!街灯さんのおかげてお家に帰れるわ!これからもよろしくね!

街灯は女の子の言葉と走り去っていく姿を見て暖かい気持ち感じると同時にモヤモヤとした心配も一緒に感じ始めました。

ほんとうにぼくは明るいんだろうか?あの子だけがたまたまそう思っただけでほかの人にとってぼくはやっぱり意味のない存在なんじゃないかな?

そんな想いを感じながら街灯がいつも通りに夜立っていると、いつも通りの家路を急ぐサラリーマンと夜のウォーキングをする人たちが足元を通り過ぎていきました。

すると街灯の心配通り、家路を急ぐサラリーマンも夜のウォーキングをする人たちも今まで通り街灯に関心を持つことはありませんでした。。。

やっぱりぼくは意味のない存在なんじゃないか?でも本当にそうなのかな?しかし期待してがっかりするのも嫌だしどうしたらいいのだろう?

街灯は朝日が昇るまで、でも、しかし、なんで、どうして、ってモヤモヤグルグルと鬱々とした想いを感じ続けました。

そして朝日が昇ってしばらくたつと、街灯の立つ交差点の辻向かいでなにやら工事が始まりました。

何人かの大人の男の人たちが街灯に似ているけどなんだか違うものを交差点の辻向かいに立てて帰っていきました。

何人かの大人の男の人たちが街灯の辻向かいに立てていったものは、街灯と同じように一本足だけれども街灯とは違ってオレンジ色をして街灯と似ているキラキラしたまあるい頭をしていました。

街灯は思わず話しかけました。

いったい、君はなんなの?

そうすると、何人かの大人の男の人たちが街灯の辻向かいに立てていったオレンジ色のものはこう応えました。

はじめまして、ぼくはカーブミラーだよ(^-^)

ぼくはこうして立っていろいろなものをいろいろな角度で映し出すんだよ。

ぼくの顔に街灯さんも映っているでしょう?

そう言われて街灯はカーブミラーの顔をじっとのぞきこみました。

すると黒くて一本足でランプのような頭をした物体が映っていました。

もしかして。。。これがぼくなの?。。。と街灯は不思議そうにつぶやきました。

と同時に、街灯の頭の上に一羽のハトがとまりました。と同時に、カーブミラーに映っている物体のランプの上にも一羽のハトが同じように映っていました。

あっ!頭にハトが止まっているおんなじだ!これがぼくのすがたなんだ!

生まれて初めて、街灯は自分自身の姿を客観視したわけです。

するとすかさず街灯はカーブミラーにこう質問しました。

カーブミラーさん、教えてほしい。。ぼくはぼくがどれくらい明るいのか?を知りたいんだよ。ぼくとお月さまとどっちが明るいの?ぼくとお星さまとどっちが明るいの?教えてくれよ!

すると、カーブミラーは穏やかに微笑んでこう応えました。

街灯さんは自分がどれだけ明るいのかを知りたいんだね。
でもそれはぼくにもわからないなぁ。。。だって今会ったばかりだし今はまだ明るいでしょ。。。

街灯は確かに。。。と内心想いながらこう続けました。

じゃあ暗くなってお月さまも明るくなってお星さまも明るくなって僕も明るくなったら、ぼくとお月さまとどっちが明るいのか?

ぼくとお星さまとどっちが明るいのか?をカーブミラーさんが比べて決めてくれよ!たのむよ!

カーブミラーは街灯の想いをその通りだなと感じながらもこう応えました。

自分がどれだけ明るいのか?を知りたいっていう街灯さんの想いは素晴らしいと思うけど、街灯さんの素晴らしさを街灯さんじゃないカーブミラーのぼくが決めてしまうのは、正直、ぼくには責任が重くて苦しいよ。。。。

街灯はすこしがっかりしながらカーブミラーに続けてこう質問をしました。

じゃあ、ぼくはぼくがどれだけ明るいのかをどうやったら確かめることができるの?

すると、カーブミラーは穏やかにこう応えました。

そっか(^-^)それは素晴らしいアイデアだとぼくも思うよ。

街灯さんは自分の明るさを街灯さんじゃないカーブミラーのぼくに決めさせるんじゃなくて街灯さん自身で確かめたいんだね。

街灯さんは街灯さんのことをもっとわかってあげて安心とか自信とか幸せ=(^-^)な気持ちをもっと感じたいってことなんだろうね。

だったら街灯さんの願いそのままに、街灯さんが街灯さんの明るさを自分自身で確かめてあげてみては?

街灯さんはそうしてみたいのかい?

街灯はすかさずこう応えました。

もちろん、ぼくはぼくの明るさをぼく自身でわかって確かめてぼくはぼくに安心したいし自信を感じたいんだよ。

ぼくはこのままでOKなんだ。ってぼくはぼくのために確かめて納得して安心したいんだよ。

ぜひそうしたいんだよ。でもやり方がわからないんだよ。どうしたらそんな夢のようなことができるの?

すると、カーブミラーは引き続き穏やかにこう応えました。

だったらとっても簡単だよ(^-^)方法は。。。そのままそこにいるだけだよ。。。

街灯は思わず、えっ!?とずっこけるんじゃないか?くらいの拍子抜けな気持ちを感じて、どういうこと!?とカーブミラーに懸命に尋ねました。

すると、カーブミラーは変わらず穏やかにこう応えました。

そのままずっと立っているだけで夜がやってくるでしょ。。

そうすると街灯さんは明るくなってその姿がぼくの顔に映るんだよ。。

そうすれば生まれて初めて、街灯さんは街灯さん自身の明るさを確かめることができてわかってホッとするんじゃないのかな?ってことだね(^-^)

そっか、カーブミラーさんの顔はいろいろなものを映し出すわけだから夜になれば僕の明るさも映し出されるだ!

と街灯は深くしっかりと納得を感じました。

やがて、だんだんと太陽さんがお休みを始めて暗くなり始め、お月さまもお星さまもいつも通りにだんだんと姿を現し明るく輝きはじめました。

街灯はまだまだ明るいうちからカーブミラーの顔に映った自分の姿を何時間もじーっと覗きこんで自分自身の明るさが灯るのを固唾をのんで見守っていました。

すると、頭上の光景と同じように、カーブミラーの顔にもお月さまやお星さまが映し出されました。

でもまだ街灯=自分の明かりは灯っていません。。。。

街灯が引気続き固唾をのんで見守っていると。。。次の瞬間。。。

パチッ!ピカッ!と、とても明るい光が一気に突然にカーブミラーの顔に輝きました。

街灯は一気に突然に輝いた辻向かいのとても明るい光にとても驚いて思わず目をそらしてしまいました。

しばらくして目が慣れてくるとあらためて辻向かいのカーブミラーの顔を見つめました。

すると、そこには煌々と輝く街灯の明るさとぼんやりと輝くお月さまの明るさと遠くで瞬きをしているかのようなお星さまの明るさがみんな一緒に映っていました。

ぼくはなんて明るいんだろう!すごいじゃないか!ぼくはこんなに明るいなんて今まで知らなかったよ!(^-^)

街灯は自分自身の明るさを生まれて初めて心底知って、とても暖かい気持ちがフワッと心に広がっていくのを感じました。(新しい視点により新しい自分への印象の始まり=自己否定の終わりと自己肯定の始まり)

とはいえ、カーブミラーは、ただただ引き続き穏やかに立ちすくんで静かに街灯を見守っています。

カーブミラーさんありがとう。。。

カーブミラーさんのおかげでぼくはぼくの明るさを確かめることが叶ったよ!とても嬉しいよ!こんな幸せな気持ちは初めてだよ!

それにお月さまもお星さまもなんてきれいなんだろう。。。

ぼくにはぼくの明るさがあって、お月さまにはお月さまの明るさがあって、お星さまにはお星さまの明るさがあって、みんなそれぞれ一緒に映るとより一層に明るいし美しいね(^-^)

こうやって、街灯はカーブミラーの顔に映る街灯の明るさを自分自身で確かめ納得することが叶って、街灯自身に認めてもらえた街灯はなにより幸せな気持ちを感じました。

そして、街灯はただただ日々街灯であるだけで幸せな気持ちを感じられるようになりました。

今までの街灯の苦しさの終わりと新しい街灯の幸せの始まり。。。

このときのカーブミラーの役割りが私=寺井の役割りみたいな感じすね。

そして、カーブミラー=寺井さんとのチームワークで、街灯さんが街灯さん自身を観察することを客観視と言って、客観視=自分で自分を観察することで新しい心理が芽生え始めて人の心を大きく成長に促す。。。とても大きなチャンスとなる=心理療法&心理セラピーの原点となりますね。

周囲の印象=家路を急ぐサラリーマンと夜のウォーキングをする人たちの反応は今まで通りだけれども、新しい視点=あなたがあなたに関心を持つ=客観視を真摯に大切にしてプラスワンしてみることで、あなたとあなた同志の助け合い=自立自助自信のエンジンを納得と体感でもって大切に心に始動し始めていくエスコートやナビゲートをさせて頂くことが、当方メンタル心理そらくものカウンセリング&セラピーのニュアンスとなるわけですね(^-^)

今までは、いけない&悪い&つまらない&おかしい&弱い&情けない。。。とあなたが誤解して感じてしまってきたあなた自身への今までの視点を、あなた自身があなた自身を新しい視点で見つめなおしてリメイク&アップデートしてあげたとき、苦しい過去の印象や嫌いな自分への印象をほっと和らげることが叶って、結果、あなたとあなたが助け合ってあなたがあなたの心に嬉しい&穏やか&心地よい&安心&余裕。。。=幸せ感(^-^)な気持ちを人知れず自然と自給自足し始めている。。。そんな穏やかな始まりを、いつの日か一緒にお手伝いさせて頂ける日を私はいつまででも楽しみにさせて頂いております。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 19時27分--

アダルトチルドレン&インナーチャイルドの例え話:アヒルになりたかった白鳥の心理。

インナーチャイルドやアダルトチルドレンなど、興味を感じるけれどよくわからない言葉を例え話で表現しています。

黒いアヒルのイラスト

 

はじめに

インナーチャイルドとかアダルトチルドレンとか自己否定とか自己肯定とか劣等感とか。。。。

皆さんも良く聞く言葉かもしれません。

 

もし、あなたが

なぜ自己否定してしまうのか?」とか、

「なぜ劣等感が消えないのか?」とか、

未来の自分のために考えてあげたいのなら。。。

 

やっぱり

「どうすると自己否定が生まれてしまうのか?」とか、

「どうすると劣等感が生まれてしまうのか?」を

逆説的に見つめてみると、いろいろヒントが収穫できるかもしれません。

 

いろいろヒントが収穫できると、

「いつから、どんな目的で、自己否定をすることになってしまったのか?」

「いつから、どんないきさつで、劣等感を持つことになってしまったのか?」

 

こんな心の歴史が見えてくるんじゃないかな?って私は思っています。

 

自分の心の歴史を映し出すヒントになるかならないか。。。

 

とにかく、例え話にまとめてみました。

 

子どもは生まれる場所と家族を選べない。

あるところにアヒルの家族がいました。

お母さんアヒルは真っ白で、子どものアヒルはみな黄色い毛色です。

 

アヒルの親子が歩いている様子のイラスト

 

お母さんアヒルが歩いていくと、その後を黄色い子どものアヒルたちが続いて歩いています。

そして、だいぶ遅れてなぜか黒い子どものアヒルだけが1人でテクテク懸命に続いていきます。

 

お母さんアヒルは振り返って黒い子どものアヒルに言いました。

 

「グズグズしないで!」

「なんであなたはそんなにグズなの!」

「早くしなさい!」

 

そして、お母さんアヒルは黄色い子どものアヒルたちにもこう言いました。

 

「あんた達もグズグズしないで!」

 

黄色い子どものアヒルたちは、ただお母さんアヒルについて歩いていただけなのに、お母さんアヒルに怒られてしまってモヤモヤした気持ちを心に抱えるようになってしまいました。

 

モヤモヤした気持ちを心に抱え続けることは、あまり望ましくないことなので、黄色い子どものアヒルたちはモヤモヤした気持ちをスッキリしたくなってきました。

 

そして黄色い子どものアヒルたちは、黒い子どものアヒルにこう言いました。

 

「お前がグズだから悪いんだよ!」

 

黒い子どものアヒルは心にズキッと突き刺さるような痛い気持ちを感じました。

 

黒い子どものアヒルは心をとても傷つけられてしまったのです。

 

黒い子どものアヒルはこう思いました。

 

「僕だって黄色い子どものアヒルと同じように、ただお母さんアヒルに必死について歩いていたのに。。。」

 

黒い子どものアヒルはこう思いました。

 

「どうして僕だけいつも傷つくことになってしまうんだろう?」

「僕がグズだからかな?」

「グズは悪いんだからグズな僕は悪いアヒルなのかな?」

「じゃあ僕がグズじゃなくなれば普通のアヒルになれるのかな?」

「じゃあいつも目一杯に早く歩けば普通のアヒルになれるのかな?」

 

それから黒い子どものアヒルは、お母さんアヒルについて歩くときには、苦しくても目一杯に早く歩くようにしました。

 

「グズになっちゃダメだ!」

「グズになったら悪いアヒルに戻ってしまう!!」

「悪いアヒルになっちゃったら心を傷つけられてしまう!」

「そんなの絶対に嫌だ!二度とあんな気持ちを感じたくない!」

 

「だからもっといい子でいなきゃ!」

「もっと早く!もっと早く!」

「もっと頑張んなきゃ!もっと頑張んなきゃ!」

 

そんな黒い子どものアヒルの歩きを見て、お母さんアヒルはこう言いました。

 

「よく頑張ったね。これからも頑張って歩いてね。」

 

黒い子どものアヒルは、お母さんアヒルの言葉を聞いてとても温かい気持ち=(^^)な気持ちを心に感じることができました。

 

そして、黒い子どものアヒルはこう思いました。

 

「もっと温かい気持ちを感じたい!増やしたい!」

「ずっと頑張んなきゃ!もうグズな自分に戻りたくない!」

「ずっと頑張っていれば、温かい気持ちを感じ続けられるんだ!」

 

子どもはただ自分も家族もみんな(^^)でいたいだけ

こうして、黒い子どものアヒルはありのままの自分をグスだと錯覚してしまいました。

 

そして、グスだと悪いアヒルになってしまうので、悪いアヒル=ありのままの自分になってしまうと心を傷つけられてしまうんだ!と、苦しい思い込みもしてしまったわけです。

 

「もう二度と傷つけられたくない!」

 

黒い子どものアヒルは自分を守りたい一心で、それ以降ひたすらに、ありのままの自分に戻らないよう頑張り続けるようになりました。

 

それは、悲しいかな自分を煽り責め続けることでもあります。

 

そして、ありのままの自分で居ると傷つけられてしまう!というスパイラルのような苦しい心理を心に備えてしまったわけです。

 

自分を守りたい一心で、黒い子どものアヒルは、ありのままの自分をひた隠しにしなければならない!=自分を守るために自分を否定し続けなければならない!という苦しい心のアヤを備えることになってしまったわけです。

 

しばらく黒い子どものアヒルは、グスで悪い自分に戻らないように懸命に無理をして頑張り続けました。

 

辛そうなみにくいアヒルの子のイラスト

 

でも、ほっと一息つくととてつもない不安が襲ってきます。

 

「僕はほっとしていていいのだろうか?」

「僕は、何か足りたいんじゃないか?」

「僕はもっと頑張んなきゃいけないんじゃないか?」

「どうしよう?どうしよう?どうすればいいんだろう?」

「でも何が足りないのかわからない…」

「でも何を頑張んなきゃいけないのかもわからない!」

 

「明日も目一杯に歩かなきゃ行けないのに…」

「グズなアヒルには絶対になりたくないのに…」

「不安で不安で休めない!」

 

「でも明日に備えて頑張って休まなきゃ!」

「でも休んでいいの?ほっと安心していいの?」

「わからない!」

「僕はどうしたいんだろう?僕はどうすべきなんだろう?」

「どうしよう?どうしよう?休まなきゃ!でも頑張んなきゃ!」

 

黒い子どものアヒルは、明日頑張って歩き続けることに備えて、早くほっと一息ついて安心したいのに、休もうとすると、何か頑張りが足りないような不安を感じて、ぐるぐる回るとてつもない不安に襲われてしまって休めません。

 

そして、何をしたらいいかわからなくなり、とてもとても疲れてしまい、突然、体がとてもだるくなり動けなくなってしまいました。

 

動くためには休みたいし、ゆっくり休むためにはいろいろ動いてホッとしてから休みたい…

 

ホッとしたいけど動かなきゃ!動くためには休まなきゃ!ああしたい!でもこうしなきゃ!

 

それ以来、黒い子どもアヒルは、心で綱引きが行われているような、心でシーソが激しく揺れているような、そんな激しい葛藤や不安や恐怖を感じるようになってしまいました。

 

そして、ただ横になっているだけなのに、とても疲れを感じてしまい、とても苦しい思いを、グルグルと感じることになってしましました。

 

劣等感とは、家族の平和を願う気持ち。

この時の【ありのままの自分=白鳥であること。をグスだと錯覚したり悪いアヒルと誤解してしまうことで生み出す自分の落ち度】を劣等感というのだろうなと私は思います。

 

自分は悪い存在とすることで、自分が頑張れば両親に喜んでもらえるんだ!という希望を自分自身の中に産みだして、健気に努力して両親の幸せを叶えようとする証が劣等感というのだろうなと私は思います。

 

いわば、本来はあるはずのない自分の落ち度、足りない部分、悪い部分を、あえて自分の心に作り出すことで、劣等箇所を克服すればきっと幸せになれるだ!と、自分が自分に設定した条件を劣等感というのだろうなと私は思います。

なので劣等感は、ある時の自分が自分に設定した【自分が幸せになってもいい条件】=【大切な道しるべ】なんだと私は思っています。

 

だから劣等感を持つな!と言われてしまうことは、幸せになれる可能性を捨て去ることにもなるので、永遠に幸せ感を感じられないのでは?とも思えてしまうのです。

なので、劣等感はポイと捨てずらい方が自然なのだろうなと私は思います。

 

劣等感を捨てることは、自分の幸せを放棄してしまうかのような不安を感じてしまうため、頭でわかっていても周りの人が言うように、なかなか容易にはやめられないほうが自然だと私は思います。

 

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交流分析の禁止令とドライバーのイラスト

 

自己否定感は自分の落度を探している。

同時に自己否定は、劣等感=自分の落ち度や、自分の足りない部分や、自分の悪い部分をなんとか見つけ出そうとしているとも言えるのかもしれません。

 

自己否定は、きっと自分はダメなんだ!っていう思いを自分に向けることで、劣等感の正体をなんとかあぶりだして見つけ出そうとしているのだろうなと私は思います。

 

とはいえ、劣等感は自分の誤解によって生みだされたので実際は存在しません。

なので、いくら自己否定をして自分のダメなところを探しても、本当は存在しないわけなので、結局は見つかりようのないものを探し続ける苦しさをまでも感じることになってしまっているのかもしれません。

 

例えば、黒いアヒルの子の場合、ありのままの自分=白鳥はグズなアヒルでダメだと誤解してしまっています。

 

言いかえれば、ありのままの自分=自分は自分じゃなければ幸せになれる!と誤解してしまっているわけなのですね。

 

つまり黒いアヒルの子は、自己否定を続けていれば、いつか幸せになれる!と誤解しているので、自己否定を続けることで自分を守ろうとする(リストカットなどの自虐の心理)。というわかりづらいく苦しい心のアヤが育まれてしまっているとも言えます。

 

自分を守る=自己肯定するためには自己否定を続けるしかない。自己否定を続けることでいつか自己肯定に到着できる。

 

黒いアヒルの子の心にはこんな心のアヤが育まれているとも言えるのだろうなと私は思います。

 

黒いアヒルの子にとって幸せになるための条件が劣等感であり、劣等感という条件をクリアすることで幸せになれると思い込んでいます。

 

そして、劣等感をクリアするためには、自分を否定する必要があります。

 

なので、黒いアヒルの子にとって自己肯定することは、悲しいかな、自己否定することになってしまって、はからずも、自分を幸せにしようとすればするほど自分で自分を苦しめてしまう結果になってしまうわけです。

 

自分を幸せにしようとすればするほど、自分が苦しくなってしまうのですから、私だったら絶望感を感じることになってしまだろうなと私は感じています。

 

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根本解決はツボを見つけて認知の修正

黒いアヒルの子の場合は、自分は白鳥ではなくアヒルと誤解してしまった時点で、アヒルになろうとすればするほど、ありのままの自分=白鳥を否定することにもなってしまって、結果的に苦しくなってしまったのですよね。

 

ただ、健気に幸せを望んで頑張っただけなのに、求めている気持ちとは正反対である苦しさを感じることになってしまった心理のアヤ(専門用語では心理的逆転と言います。)とも言えるのかもしれません。

 

このときの「自分は白鳥ではなくアヒル」という思い込みを認知と言います。

そして、認知はいくらでも上書き修正できる(専門用語で認知行動療法と言います。)わけです。

 

なので、黒いアヒルの子の場合、

 

「自分は白鳥ではなくアヒル」という誤認知

「自分は白鳥なんだ」という認知に上書き修正すると、

 

とくに頑張らなくても、ありのままの自分=白鳥でいるだけで幸せを感じられるようになるわけです。

 

このように、心の歴史や心の全体像をくまなく捉えて、誤認知というツボを見つけて修正し、最小の労力で最大の効果を生み出していく作業が、メンタル心理そらくものカウンセリング&セラピーです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 18時46分--

カエルになれなくなりそうだったおたまじゃくし…インナーチャイルドの例え話

七月の終わり、ある田んぼに一匹のおたまじゃくしがいました。

うしろ足は全部出ていて、前足は少しだけ出ていました。

おたまじゃくしは、このままで間違いなくカエルになって幸せになっていくはずだったのに…

おたまじゃくしのところにみどりのカエルがやってきました。

みどりの親カエルはおたじゃくしにこう言いました。

「もう七月の終わりだというのに、おまえはまだ前足も出ていないのか!」

「それじゃ、一生カエルにはなれねぇな!!」

みどりの親カエルはそう言い残すとどこかへ行ってしまいました。

おたまじゃくしは呆然としていました。

とてもショックだったしとても不安になりました。

「そっか、ぼくは一生おたまじゃくしにはなれないんだ」

「カエルがそういうんだからそうなんだな」

「でも、何とか、カエルにならなきゃいけない」

そう思ったおたまじゃくしは、後ろ足で前足を力一杯引っ張って伸ばそうとしました。

早く前足を伸ばしてカエルになりたかったからです。

でも、後ろ足で力一杯引っ張っても前足は伸びませんでした。

伸ばせば伸ばそうとするほどとても辛くなっていきました。

おたまじゃくしは思いました。

「引っ張っても引っ張っても前足が伸びない」

「他に前足を伸ばす方法はない」

「もう、絶対にカエルにはなれない」

「生きていても仕方がない」

おたまじゃくしは、田んぼのそとの激流に身を投げようとしました。

そこに、きいろのカエルがやってきました。

黄色のカエルはおたまじゃくしにこう言いました。

「まだ七月の終わりだというのに、おまえはもう後足が出ているのか!」

「それじゃ、じきに前足も出てそのうちカエルになってしまうな!」

きいろのカエルはそう言い残すとどこかへ行ってしまいました。

おたまじゃくしは呆然としていました。

とてもポカンとあっけにとられていました。

「あれ、ぼくは今まで何をしていたんだろう?」

「じきに前足が出てきてカエルになってしまうのか」

「だったら今のうちに後ろ足だけの泳ぎを楽しんでおこう!」

おたまじゃくしはニコニコ泳ぎ始めました。

きっと、自然にカエルになってしまい幸せにもなってしまうでしょう。

そらくも@寺井談

みどりの親カエルときいろのカエルが言ったことを暗示とも言います。

特に、子どもはまだまだ周囲からの情報を理性でカード出来ないため暗示にかかりやすいんですね。

子どもはいい意味でも悪い意味でも暗示に忠実になっていきます。

なので制限するような暗示よりそのままが良いという暗示の方が親にとっても遥かに有益だと思います。

あなたはお子さんがらっしゃいますか?

どんな暗示をかけていると思いますか?

大丈夫そうですか?

あなたは子どものころダメだ!ダメだ!と言われていてストレスを堪えてきませんでしたか?

今もダメだ!と言われるのが、とても怖くてソワソワ焦っていませんか?

あなたは子どものころよく怒鳴られて、お子荒れたくなくて、話すことを我慢していませんでしたか?

今もなぜか悪く言い返されそうで、周囲の顔色をうかがって話しをするのに抵抗を感じていませんか?

あなたが苦しんでいるのならどんな暗示をかけられていると思いますか?

大丈夫(^_^)

知らないうちに暗示をかけてしまっても、知らないうちに暗示をかけられてしまっても、古い暗示を解いて、あなたがより良い暗示をかけなおせば良いだけです。

©2012-メンタル心理そらくも
-- 15時47分--

「八日目の蝉」アダルトチルドレンを映画で感じる

インナーチャイルドやアダルトチルドレンを映画で感じることができます。

八日目の蝉 アダルトチルドレンの映画

 

先日、映画「八日目の蝉」を見て奥さんとオイオイ泣いてしまいました。

アダルトチルドレンやインナーチャイルドという言葉がありますが、「八日目の蝉」は、アダルトチルドレンの想いを感じる映画で、同時に、インナーチャイルドの想いも感じる素晴らしい映画でした。

主人公の井上真央さん&永作博美さん…みなさんの演技が素晴らしかったです。

 

大人になった主人公「薫」=「恵理菜」=井上真央さんが妊娠を知った時、どうして「産みたくない」という気持ちになったのか?

大人になった主人公「薫」=「恵理菜」=井上真央さんが、日々どうして「憂鬱な表情で楽しみ切れない」生きづらさを感じることになったのか?

 

「恵理菜」というアダルトチルドレンが、「薫」というインナーチャイルドを感じ、生きづらそうにしている。

そして、あることをきっかけに、「恵理菜」というアダルトチルドレンが、「薫」というインナーチャイルドを探し求める旅を始めます。

 

映画「八日目の蝉」とは?そのあらすじ

あるときあるところで、既婚の男性を愛して子供を身ごもった女性=「希和子」=永作博美さんがいました。

「希和子」は母となることをとても喜んでいましたが、不倫相手の男性は、「希和子」が子どもを産むことを許してくれませんでした。

結局、「希和子」は子供を産むことをあきらめます。

 

そして、「希和子」が母になれなかった絶望に包まれる中、同時期に不倫相手の男性の正妻が女の子を出産したことを「希和子」は知ります。

「希和子」は絶望感にけじめをつけるために、不倫相手の男性と、その正妻の赤ちゃん=「薫」=「恵理菜」=のちの井上真央さんを一目見ようと、不倫相手の男性宅に留守を見て忍び込み、ベビーベッドで泣いている赤ちゃんを見つめます。

でも、赤ちゃんを見た瞬間、「希和子」は思わず赤ちゃんを抱えて家を飛び出してしまいます。

 

それから、「希和子」は逃亡を続けながら必死で赤ちゃんを守り、大きな愛情を注いで懸命に育てていきます。

とはいえ、同時に、この親子関係は、誘拐犯と被害者という関係でもあるわけです。

そして、ついに警察に発見され、親子は離れ離れになってしまいます。

「希和子」は警察に連行され、「薫」=「恵理菜」は無事に産みの親の元に帰れることになるのですが…

 

誘拐された子どもと誘拐した優しい育てのお母さん

誘拐された子どもは二つの名前を持つことになりました。

ひとつは生みの親が名づけてくれた名前「恵理菜

もうひとつは育ての親が名づけてくれた名前「

そして、育ての親こそ自分を産みの親から誘拐した「希和子」です。

 

ことの始まりは「希和子」の過ちだし、社会的責任という観点で見れば、善悪は容易につけられるでしょう。

でも、物事にはいろいろな見方があるので、良いか?悪いか?という観点は今の私にとっては重要じゃありません。

大事なのは、ふたつの名前をもった「」=「恵理菜」の心です。

私なりにふたつの名前とふたりの親を持つ「薫」=「恵理菜」の心を感じてみましょう。

 

物心ついたとき「薫」は幸せだった…

誘拐犯であり「薫」の育ての親でもある「希和子」=永作博美さんは、動機はどうであれ、「薫」を深く愛して育てていきます。

そして、母=「希和子」&子=「薫」のとても暖かい親子関係を築いていきます。

でも同時に、二人の親子関係は逃亡生活でもあるので、母=「希和子」は、常に周囲に気を配り、各地を転々としながら、貧しいながらもできる限りの愛情を、子=「薫」に注いでいきます。

二人が巡り合うことになったいきさつはどうであれ、子=「薫」にしてみれば、「希和子」は、物心つく前からずっと一緒にいてくれる大好きな大好きなお母さんだったんですね。

 

この映画に限らず出来事にはいろいろな見方があります。

この記事では、アダルトチルドレンやインナーチャイルドを知る観点から、あえて、「薫」=「恵理菜」の目線で記事を書き進めていきます。

表現もあえて偏った表現にしています。

 

「薫」から「希和子」=大好きなお母さんへ…

お母さんは、いつも一緒にいてくれてとても大好きです。

いろいろ一緒に遊んでくれて、いろいろなことを教えてくれて、いろいろ一緒に過ごしてくれる。

 

いつもニコニコしてくれる。

でもときどき怒ってくれる

でも怒ってもまたニコニコしてくれる。

泣いたらやさしく包んでくれる。

寂しいと一緒にいてくる。

頑張るとたくさん褒めてくれる。

お母さんといるととても暖かい…

 

「薫」にとっての「希和子」はとても優しいし、時々怖い時もあるけど、いつも自分の存在を大切にしてくれる。

色々なことを一緒に楽しんでくれて、色々な時間を一緒に過ごしてくれて、色々なことの意味を一緒に考え教えてくれる、かけがいのない存在だったでしょう。

 

とてもとても幸せだったと思います。

事情がどうであろうと、周囲がどう思おうと、「薫」自身は、「希和子」と過ごす時間がとても幸せだったと思います。

いつも頼りになる暖かいお母さん=「希和子」と過ごした時間…

それは「薫」自身にとっては、とても幸せな時間だったでしょう。

 

でもある日、暖かいお母さん=「希和子」は、「薫」の目の前で、突然、知らない大人たち(警察)にどこかへ連れられて行ってしまいます。

「薫」は、突然、大好きなお母さんと離れ離れにされてしまい、さらに、生みの親と名乗る知らない大人の元に連れて行かれてしまいます。

そして、それ以降、「薫」は二度と大好きなお母さんに会えなくなってしまいます。

このとき、心が傷ついた幼い「薫」が、のちのインナーチャイルドとなっていくのでしょう…

 

傷ついた幼い「薫」=インナーチャイルド

大好きなお母さんと幸せに暮らしていたのに、突然、離れ離れになって、環境が大きく変わってしまった…

知らない大人の所に連れて行かれて、突然、名前も「薫」から「恵理菜」に変わってしまった…

そして周りの大人たちに突然こう言われるようになった。

 

「恵理菜ちゃん、悪い人から助けてもらえて良かったね。」

「恵理菜ちゃん、悪い人と一緒にいて怖くなかった?」

 

この時の「薫」のショックは大きかったでしょう…

とてもとても大きな傷を心に負ってしまったと思います。

 

今まで「薫」だと思っていた名前が、突然、「恵理菜」に変わってしまった。

今まで「大好きだったお母さん」が、突然、「悪い人」に変わってしまった。

今まで「とても幸せだった時間」が、突然、「辛かった時間」に変わってしまった。

 

どうして?お母さんと一緒にいられないの?

どうして?お母さんは悪い人なの?

どうして?大好きなお母さんのことを嫌いにならなきゃいけないの?

どうして?「薫」じゃいけないの?

どうして?どうして?

 

「薫」の心に、たくさんの「」があふれて渦を巻いて巡っていたでしょう。

「薫」はこの時、この「」を確かめることすら出来なかったでしょう。

そして、「薫」はこの時、納得がいかないまま、たくさんの「」を心に押し込み、「恵理菜」として生きていかなくてはならなくなりました。

 

大好きなお母さんを周りの大人たちは悪い人だという…

周りの人が悪い人というお母さんを私は大好きだ…

じゃあ、周りの人が悪い人というお母さんを大好きだと思う私も悪い人なのだろうか…

わからない、わからない…

私は、お母さん=「希和子」を嫌わなければいけない…

そして、私は、「薫」を嫌わなければいけない…

(関連:自己否定の原因はいつか誰かに言われた言葉

 

いつまでも答えの出ない「」を抱え続けるのは苦しいことです。

やがて「薫」は、こんな妥協をすることで前へ進もうとしたのかもしれません。

 

私は、「薫」=自分の過去を嫌わなければいけない…

「恵理菜」として「薫」を抑え込まなければ、悪い人になってしまう…

 

このように、自分で自分を嫌ってしまう苦しい心理が根づいてしまったのかもしれません。

「薫」は、突然のショックによる心の傷を受け入れるために、「恵理菜」として「薫」を自己嫌悪することで、なんとか心のバランスをとろうとしたのかもしれませんね。

(関連:自分が嫌い!消したい!死にたい!自分を分析

 

このときの「薫」の気持ちが、「恵理菜」の心に残った「幼いころの傷ついた気持ち=インナーチャイルド」なのかもしれません。

(関連:インナーチャイルドのやさしい解説

 

自分を好きになれない「恵理菜」=アダルトチルドレン

時が流れ、「恵理菜」はどこかクールでひょうひょうとした大人に成長していきます。

そして、かつて自分の父がしていたように、妻子持ちの男性と不倫をしています。

大人になった「恵理菜」=井上真央さんの表情や言葉から、「恵理菜」の心にどんより漂う気持ちや自己嫌悪する苦しさと疲労感のようなもの=「薫」=インナーチャイルドの影響を私は感じ取りました。

 

大人になった「恵理菜」だって喜んだり楽しんだりするのでしょう。

でもそのたびに、「薫」を感じて「薫」を嫌悪して「恵理菜」がどんよりする。

そんな苦しい心理を抱えていたのかもしれません。

 

人は、幼い頃に暖かい気持ちをたくさん心に染み込ませていきますね。

そして大人になっても暖かい気持ちが力を与えてくれます。

 

「恵理菜」の心にもたくさんの暖かい気持ちが染み込んでいたでしょう。

でも、「恵理菜」にとっての暖かい気持ちのルーツは嫌わなければいけない過去=「薫」です。

心がフワー!っと暖かく盛り上がりそうになる度に「薫」を感じて⇒嫌悪して⇒押さえ込んで⇒ひょうひょうとしてしまう。

こんな苦しい心理的ブロックを抱えていたのかもしれませんね。

 

そして、かつて自分の父と自分の育ての母親がそうであったように、「恵理菜」自身も不倫相手の子どもを妊娠します。

「恵理菜」なりに、いろいろな人に触れて確かめた結果、「産まない」という結論に至ります。

「自分のことが好きになれないんだから、自分の子どもを育てていく自信を持てる気がしない。

この時の「恵理菜」の気持ちはこんな感じだったのかもしれませんね。

 

幼い頃に心に染み込ませた「」という気持ちを抑え込んで生きてきたのですから無理もないことだと思います。

愛し方がわからないということなのかもしれません。

 

でも、あることをきっかけに、事態が大きく変化していきます。

それは、「恵理菜」が抑え込んできたもう1人の自分=「薫」の幼馴染み、「千草」=小池栄子さんとの再会です。

 

「恵理菜」にとって「薫」は嫌いな存在、でも「千草」にとって「薫」は暖かい存在だったわけです。

この出会いがきっかけで、「恵理菜」のなかで、「薫」への旅が始まります。

 

セラピスト役「千草」が寄り添い誘われていく…

やがて「恵理菜」は、「千草」に誘われて旅を始めます。

「恵理菜」のルーツを見つめる心を整理する旅=セラピーです。

旅が進むにつれて、「恵理菜」の脳裏に今まで抑え込むしかなかったいろいろな記憶=「薫」の存在が蘇ってきます。

 

今までは、幼い記憶=「薫」=嫌わなきゃいけない存在…という単純だけど強力な方程式だったのかもしれません。

でもいろいろな記憶が蘇るたびに、かつて「薫」が感じた暖かい気持ちを感じ始めます。

そして、「恵理菜」を苦しめてきた単純で強力な幼い記憶=「薫」=嫌わなきゃいけない存在…という方程式が、過去から蘇る暖かさにゆっくり溶かされていきます。

(関連:心の悩みのツボ:禁止令とドライバー

 

この時のシーンからいろいろな気持ちを感じて、いろいろな過去を感じて、無理なく整理していく…

そんな心の癒しの素晴らしい様子が感じ取れました。

 

この時の「千草」の役割がセラピストの役割なのかもしれません。

そして「恵理菜」は、「薫」との決別の場所=「恵理菜」の始まり=育ての母親「希和子」との別れの記憶に辿りつきます…

 

あの人を好きでよかったんだ!お腹の子も好きなってる…

人は疑問が解消する直前に、「んっ?待てよ…」こんなモヤっとした気持ちを良く感じるかもしれません。

次の瞬間、パズルが一気に組みあげるように、いろいろなことを一瞬でつなぎ合わせて整理して、「そうか!そうだったんだ!」と深い納得とスッキリ感を感じるでしょう。

 

旅を続けて徐々に蘇るいろいろな気持ちを感じて、「恵理菜」は、【「薫」が心にしまい込むしかなかった沢山の「」の答えがある場所に行けば、全て解決する!】と感じたのかもしれません。

その瞬間走りだし、とある写真館に駆け込みます。

 

その写真館は、かつて「希和子」と「薫」が離れ離れになる直前に、最初で最後の記念写真を撮影した場所でした。

 

何十年前に撮影されたきり、ずっと持ち主の手に届かなかった写真…

幸い、そのときの写真が、写真館にまだ残っているということを「恵理菜」は知ります。

写真館の店主さんも写真に対する想い入れがあるのでしょう、多くを聞かず、事情を察して、長いあいだ大切に保管し続けた写真を、快く「恵理菜」に手渡します。

 

そして、「恵理菜」は写真を見て、突然、離れ離れになって以来、久しぶりに、優しい母「希和子」と幼いころの自分「薫」が仲良さそうに並ぶ姿を目にします。

その瞬間、優しく暖かい気持ちが一気に湧きあがり、自分の愛のルーツを思い出して、よくわからなくて抑え続けるしかなかった自分の愛のルーツを取り戻すことができたのかもしれません。

この時「恵理菜」は、自分が希和子に愛されていたこと&自分も人を愛する権利があることを、ようやく自分で承認できたんだと思います。

 

「希和子」との間に確かに素晴らしい愛があった!

 

突然、離れ離れになって、環境が変わって、「希和子」との愛を否定しなければならなくなってしまった。

子供は1人では生きていけません。

子どもが生きていくためには、周囲の大人に従い、優しい母「希和子」を否定するしかなかった。

でも、今はもう、「恵理菜」は大人になって1人で生きていけるようになった。

そして、これからより幸せに生きていくために、勇気をもって自分の愛のルーツを確かめて、やっぱりこれでよかったんだと深く納得したのでしょう。

 

「希和子」との暖かい時間を承認した瞬間、心にポカンと開いていた穴に愛というピースがしっかり埋まって、心がガッチリとひとつにまとまったんだと思います。(専門用語で統合と言います。

 

最後に、写真館を出て、「希和子」と「薫」が離れ離れになった港に辿りつき、すべてを思い出します。

 

警察の捜査の手を逃れるため、小豆島から船で旅立つ夜、警察に発見され、警察に連行されながらも、大声で、「その子はまだ食事を取っていません!よろしくお願いします!」とギリギリまで「薫」を思いやる優しかった母「希和子」の姿をはっきりと思出だします。

 

やっぱりお母さんは優しかった!

「薫」にとっては、お母さんは悪い人じゃなかった!

やっぱり「薫」は幸せだった!

 

お母さんは「薫」を愛していた!

「薫」もお母さんを愛していた!

私=「恵理菜」も、お母さんを好きでいていいんだ!

お母さんが私を愛してくれたように、私は私を愛していいんだ!

お母さんが私を愛してくれたように、私はおなかの子を愛せばいいんだ!

 

そして、「恵理菜」は新しく宿したお腹の子に、「希和子」が感じさせてくれた暖かい気持ちを感じます。

 

「どうしてだろう?まだ生まれていないのにお腹の子が愛おしくてたまらない。

 

こんな素晴らしい言葉と喜びに包まれて物語は終わっていきます(^^)

 

「薫」=「恵理菜」にとっては、物心付いた時から側にいてくれた大人=「希和子」を親だと思って当然ですよね。

映画「おまえ、うまそうだな」という映画でも、草食恐竜に育てられた肉食恐竜の話が描かれていますね。

 

三つ子の魂、百まで…という諺があります。

人間にとっては、血のつながり=遺伝的なつながりも大切ですが、感情のつながり=信頼の記憶も大切です。

まだ幼く、か弱く、1人では生きていけない時期に助けてくれた大人は、その後も大きく影響するということですね。

なので、信頼の象徴「希和子」と、突然、離れ離れになってしまったこと、信頼の象徴「希和子」を悪者のように思わなければならなかったことは、「薫」&「恵理菜」にとって、とてつもなく心の負担だったことでしょう…

 

「恵理菜」の生きづらさの原因は、幼い頃に傷ついた「薫」=インナーチャイルドの存在だと私は思います。

「恵理菜」は、幼い頃に傷ついた「薫」を嫌わなければ、周囲の大人に嫌われて生きていけません。

「恵理菜」は、生き延びるために「薫」を嫌い続けるしかない。

生きるためには、自分で自分を嫌い続けるしかないわけですから、生きづらくて当然ですね。

 

でも、「恵理菜」は大人になって、ようやく、自分自身で「薫」を守れるようになって、「薫」を迎えに行ったんですね。

そして、「薫」=インナーチャイルドにも、新しい母親=「恵理菜」という新しい拠りどころができて、「恵理菜」と「薫」がようやくひとつに統合し、劇的に心が晴れやかになったのでしょう。

「恵理菜」=アダルトチルドレンが、「薫」=インナーチャイルドと触れ合うことで、「恵理菜」と「薫」が混ざり合った新しい人生が始まったわけです。

ちなみに、このように、大人の自分と子ども時代の自分の感情の触れ合いによって、心の癒しを生み出していく作業を、インナーチャイルドセラピーといいます。

(関連:インナーチャイルドセラピーの説明

 

子供は1人では生きていけない…

だからやむを得ず心に誤解を抱えてしまうこともあります。

でも大人になれば1人でも生きていけるでしょう。

 

そうしたら「恵理菜」のように、大人の自分が子どもの自分を助けることで、自分同志の助け合い=心理的自立=幸せな人生がはじまります。

(関連:アダルトチルドレンの本当の意味

 

そんな素晴らしいお手伝いをさせて頂くのが、当方メンタル心理そらくものセラピーです。

(関連:カウンセリング&セラピーの説明

 

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 14時42分--

生きづらさのヒント!くろ吉&しろ吉…インナーチャイルドの例え話

インナーチャイルド…心の縛り…ネガティブ思考…自信がない…自分に価値がない…

どうして?人は生きづらい考え方、価値観を身につけてしまうのでしょうか?

黒いワンちゃんのイラスト

そして、どうして?人はそれを容易に手放せないのでしょうか?

ひとつの例え話にしてみました(^_^)

 

子どもの自己肯定感は親が決めている。

あるところに、1匹のメスのワンちゃんが住んでいました。

ワンちゃんの名前はグレー…毛色が灰色のワンちゃんです。

 

そして、グレーのお腹には子どもがいました。

もうすぐ生まれてくるようです。

 

グレーはいつも思っていました…

「どうか、生まれてくる赤ちゃんが真っ白な毛色でありますように…

 

そして、無事に2匹のワンちゃんが生まれてきました。

生まれてきたのは、毛色が白いワンちゃんと毛色が黒いワンちゃんです。

 

グレーはそれぞれをしろ吉くろ吉と名づけました。

 

ワンちゃんの親子のイラスト

 

しろ吉もくろ吉も、同じときに生まれ同じものを同じだけ食べて育ちました。

 

でも、ひとつだけ違っていたことがあります。

それは、しろ吉とくろ吉に対する母親グレーの態度です。

 

グレーはいつもしろ吉に言いました。

「しろ吉…お前はなにをやっても素晴らしいねぇ…

 

グレーはいつもくろ吉に言いました。

「くろ吉…お前はなにをやってもダメだねぇ…

 

しろ吉とくろ吉が一緒に走って同じ速さでも…

しろ吉とくろ吉が同じことを話しても…

 

グレーはいつもしろ吉に言いました。

「しろ吉…お前はなにをやっても素晴らしいねぇ…」

 

グレーはいつもくろ吉に言いました。

「くろ吉…お前はなにをやってもダメだねぇ…」

 

子ども時代の経験は成長しても大きな影響を与えている。

しろ吉とくろ吉は大きくなって

母親グレーのもとを離れてパン屋さんに住み込みで働き始めました。

 

しろ吉はニコニコ仕事をしています。

くろ吉はオドオド仕事をしています。

 

でも、毎日出来上がるパンの出来栄えも数もまったく一緒です。

 

しろ吉はニコニコ周りの人と話をしていました。

くろ吉はオドオド周りの人と話をしていました。

 

でも、毎日出来上がるパンの出来栄えも数もまったく一緒です。

 

しろ吉もくろ吉も、

毎日、同じ出来栄えのパンを同じ数だけ作っているのに

しろ吉はいつも自信があり。

くろ吉はいつも自信がありません。

 

白いワンちゃんと黒いワンちゃんのイラスト

 

ある時、パン屋の店主が不思議がって2匹に聞きました。

「おい、しろ吉…」

「お前はいつもニコニコ自信を持って仕事をしているな?どうしてだい?」

 

しろ吉は答えました。

「えぇ店主さん、私はなぜか楽しいのです…」

「なぜか失敗してもイイと思えるのです。」

 

そして、パン屋の店主が聞きました。

「おい、くろ吉…」

「お前はいつもオドオド自信なさそうに仕事をしているな?どうしてだい?」

 

くろ吉は答えました。

「えぇ店主さん、私はなぜか怖いのです…」

「なぜか失敗は許されないと思ってしまうのです。」

 

パン屋の店主は、不思議そうに言いました。

「お前たちは、毎日同じ出来栄えのパンを同じ分だけ作っている。」

「お前たちは、競争をしても同じ速さで走っている。」

「しかも、同じ時に同じ場所に生まれ同じ母親に育てられたのに…」

「どうして?しろ吉は幸せそうで、くろ吉は幸せそうじゃないんだい?」

 

しろ吉もくろ吉も、すぐにはわかりませんでした。

そして、考えました…

 

店主の言うとおり…

毎日同じ出来栄えのパンを同じ数だけ作っているのに

かけっこをしても同じ速さで走るのに

同じ時に同じ場所に生まれて同じ母親に育てられたのに

 

パンのイラスト

 

どうして?しろ吉はいつもニコニコしてるのだろう?

どうして?くろ吉はいつもオドオドしてるのだろう?

 

そして、くろ吉は言いました…

「それは…僕は毛色が黒くて…しろ吉は毛色が白いからです…」

 

すると、店主は言いました。

「おいおい…それはおかしいな?」

「くろ吉は毛色が黒いから自分に自信が持てないっていうのかい?」

 

くろ吉は答えます。

「ええそうです…僕は毛色が黒いから僕はダメな犬なんです…

 

店主は言いました。

「おいおい…それはおかしいな?」

「くろ吉は毛色が黒い犬は、ダメな犬だというのかい?」

「世の中には毛色が黒い犬はたくさんおるのに…」

「くろ吉は毛色が黒い犬は全部ダメな犬だというのかい?

 

くろ吉はビクビクしながら答えました。

くろ吉はとても心臓がドキドキしていました。

 

くろ吉はとても焦りながら答えました。

「そっ!そうではありません!…」

「すいません…僕だけがダメなんです…

「僕だけが黒いからダメなんです…」

「ダメな黒い色をしてるから自信が持てないんです…」

 

店主が言いました。

「くろ吉…お前だけが、黒くてダメな犬なのかい?」

「ほかにも黒い毛色の犬はたくさんおるのに…」

「どうしてくろ吉だけがダメだと思うのだい?」

 

くろ吉は答えました…

「どうしてかはわかりません…」

「たぶん生まれた時からダメなんだと思います…」

「僕は生まれてきてはいけなかったんです…」

生まれた時からダメなんです…

 

家族が仲良く暮らしているイラスト

 

自信がない理由は、くろ吉の欠陥ではなく、母親のリアクション不足

!(^^)!お話はここまでです。

 

さて…しろ吉とくろ吉は…

毎日同じ出来栄えのパンを同じ数だけ作っているのに

かけっこをしても同じ速さで走るのに

同じ時に同じ場所に生まれて同じ母親に育てられたのに

 

どうして?

しろ吉はいつもニコニコして自信があるのでしょう?

 

どうして?

くろ吉はいつもオドオドして自信がないのでしょう?

 

くろ吉が言うとおり…

くろ吉は生まれながらにダメだったのでしょうか?

 

自分では選べない毛色が

たまたま黒だっただけでくろ吉は一生ダメなのでしょうか?

良かったら考えてみてくださいね。

 

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©2012-メンタル心理そらくも
-- 11時19分--