うつと向き合う生活:強い心より柔らかい心
私は、うつを完全に克服する!と心に決めました。
そして、うつを克服するとはどういうことなのか?を考えました。
その時、うつを克服するには、腰を据えてうつと向き合い、
長年培ってきた様々な感じ方のクセや生活習慣を修正する必要があると感じました。
なぜなら、私の場合、うつの原因が、生活と考え方の全般に関係していると感じたからです。
うつと向き合う生活で見つけたこと、強さより柔らかさが安全
うつと向き合う生活を始めて私が最初に感じたのは、私がうつを悪化させた原因です。
私がうつを悪化させた最大の原因は、うつを気合と根性でねじ伏せようとしたことでした。
スポ根やど根性精神のように、気合で頑張っていればなんとなる!と追い求めた強い心は、結局、耐え切れずに激しく壊れてしまったんです。
抗うつ剤を飲んでいればなんとかなる…くらいにしか思っていなかった私は、
うつと向き合い始めて、自分のうつへの姿勢は根本的に間違っていたんだ!
そんな強い衝撃を受けました。
そして、自分の考え方や感じ方を根本的に見つめ直す必要があると考えました。
うつと向き合うことで感じたこと、強さのみでは無責任
心のバランスを崩してどうしようもなくなったとき、
「心が壊れた!」という言葉を聞きます。
なぜ?こんな風になってしまったんだろう?と聞けば、
「心が弱いからだ!」という答えが聞こえてきそうです。
では?どうすればいいの?と聞けば、
「心を強くすればいい!」という答えが聞こえてきそうです。
私は、長い間、機械設計エンジニアでした。
その経験で、深く感銘を受けた言葉があります。
それは、「世の中に壊れないものはない。」と「強いものは激しく壊れる。」の2つです。
先年の東日本大震災で、絶対に壊れないと思われていた発電所の設備が、もろくも激しく破損してしまっている様子を見て、私は、強さのみにすがることへの危険さと無責任さを感じました。
うつと向き合い始めて、強いものがよいとは限らないとふと思い始めました。
では?どんな心を持てばいいのか?
それは、ゴムのようなスポンジのような柔らかい心だと感じました。
柔道でも、「柔よく剛を制す。」という言葉がありますが、
頑張ったり我慢して心をガチガチにしてしまうと限界がきたとき一気に崩れてしまう…
でも、柔らかい心持ちだと、予想外の強い衝撃を受けたとき、
はじめは大きく揺れるのだけれど、しばらく待てば自然と元の形に戻る。
うつと向き合うことで、そんな、柔らかくしなやかな心を持つことが私の理想となっていきました。
そして、その心が自分という存在の原点と言いますか、根本と言いますか、うつ克服のスローガン=心の基礎になっていきました。
(関連:ゆらゆら揺れる木、ゆらゆら揺れるこころ)
住宅に例えれば、
地震に耐える耐震住宅ではなく、地震をやり過ごす免震住宅を目指そう!
うつと向き合うことでこのような新しい心の感じ方を見つけていきました。
そして、私はうつを完全に克服するため、理想の心=柔らかい心を作り始めました。
このように、今までのクセや習慣を少し見つめなおし、うつと向き合う生活を送る中で、自然と様々な新しい感じ方を見つけていきました。
うつと向き合う作業自体がうつ克服の作業だった。
うつと向き合う生活を始める前、私は、うつ病の薬としてサインバルタという抗うつ剤を飲んでいました。
正直、うつ病の薬の効果もよくわからないままに抗うつ剤を飲み続けて、なにも変わらないのは世の中が悪いとしていたようです。
うつを抱えている自分と向き合うことを恐れ目を背けたかったのかもしれません。
なにしろ、うつと向き合うことから逃げていない!うつと向き合っている!ということ自体が、逃げていることへの罪悪感を減らしてくれました。
それに、いざこうしてうつと向き合いはじめると、目を背けていた時とは違って、うつはそれほど怖いものでもないのだなと余裕が生まれてきました。
うらを返せば、うつと向き合うことから目を背けず、うつと向き合う作業自体がうつ克服の作業だったように思います。
うつは確かによくわからない病気ではあるけれど、うつの所有者は自分なわけなので、腰を据えてうつと向き合う時間を過ごすことで、うつと向き合うことに慣れ、うつと向き合うことが自然となり、うつと向き合うことが楽しくもなり、淡々とうつと向き合っている日々を過ごしているだけで、いつのまにか心が軽くなりうつの症状が和らいでいました。
そして、
「あぁ…この感覚が受け入れるって感覚なんだなぁ…」と感じ、
「自分はうつを受け入れることができたんだぁ…」とも感じて、
私は嬉しくなって心がさらに軽くなっていきました。